第十三話、船の上の夢 ーIII*
「坊主、お前は夢とか無いのか?」
赤髪のおじさんは俺に聞いてくる。
「夢……ですか?」
「おぉ、せっかく冒険者になったんだ。大金稼いで金に埋もれたいとか、毎日酒池肉林で遊びたいとか。そういう夢はないのか?」
「これ。こやつはそういう奴じゃないと言っておろう」
シラアイは俺を何だと思っているのか、ちょいちょいハウスガッシュさんの発言に口を挟んでくる。
「まぁいいじゃねーか。俺はただ夢を聞いているだけだぜ?」
夢……か。夢か。俺の夢。俺のやりたいこと、将来なりたいもの、そうなりたい姿。俺の夢……。
「あー……あった方がいいですか?」
おじさんはぷっと噴き出す。
「なんだ坊主。じゃあ俺が“あった方がいい”って言ったら、お前は夢を用意してくんのか?」
「まぁ……必要であれば」
「真面目ちゃんだな。そう堅く考えなくていい、もっとこう、自由な夢だ」
夢か。正直、今は何かに追われるように生きているだけで精いっぱいだ。
「おじさんには、夢があるんですか?」
「おぉ、おじさんと来たか」
「あぁすみません、ハウスガッシュさん」
「はは、いやいい、そりゃお前から見たら俺もおじさんだ。だがお前はがきんちょだな」
「張り合うところはまだガキじゃの」
ハウスガッシュさんは再びジョッキを担ぎ、喉を潤す。
「そうさ。俺にはある。でっかい夢がな」
「聞いてもいいですか?」
「もちろんだ。減るもんじゃない」
ハウスガッシュさんはゆっくりとジョッキを机の上に戻した。
「俺は竜を手懐けたい」
「そんなこと、まだ言っておったのか」
「こら、夢を語るときに水を差すんじゃないぞ」
言われて、シラアイは口を噤んだ。
「竜って何ですか?」
「お、坊主は知らねーか? そりゃ知らねーよな。普通、あれはおとぎ話の上の存在だ」
おじさんは両手を広げ、謳うように語りだす。
「そこは地の果て、延々と伸びる洞窟の先に、一匹の竜が住まうという。竜は自身を倒すものが訪れるのをいつまでも待ち望んでおり、竜を倒したならば、そいつは一生を遊んで暮らせるほどの大金が得られるだろう」
おとぎ話の上の存在。
「おとぎ話……ってことは、本当は居ないってことですか?」
「んなことはねぇ。ごく稀に、竜を見て帰ってきたって奴が現れる。冒険者ならみんな、そいつが本当に居るってことを知ってるし、そいつを倒せるような奴が居ないってことも、みんな知ってる」
「証拠はあるんですか? 見たっていう、その証言だけじゃなくて」
「竜の骨を持ってかえってきたって奴がいる」
おじさんはふぅーと鼻から息を吐いて俺を見返してくる。お酒臭い。
「そして、その竜の骨こそが、万金に値する財宝さ」
「竜の骨?」
「お前、竜っていうと、どんな姿を想像する?」
竜か……どっちだろう。四つ足の、がっしりとした羽の生えたドラゴンか、あるいは天を昇る大蛇のような竜か。
「……羽の生えていて、四つ足で、それから炎の息を吐く」
「はは、そりゃおとぎ話のドラゴンだな」
「“本物”は違うんですか?」
にぃと、おじさんは笑う。
「スライムって奴を知ってるか?」
スライム。
「あのねばねばしたどこにでも居る奴じゃねぇぞ、光の玉みたいな、精霊みたいな、不思議な生き物がこの世には居んのさ」
見た記憶があるな。この世界に来て最初に遭遇して、先生がえらい怯えようで逃げていた。
「そいつは高濃度の龍脈の塊。そして……竜の、卵さ」
「竜の、卵……?」
おじさんは調子づいたように饒舌に語る。
「そいつら“スライム”は、成長してくると段々体の中に結晶を浮かべ始める。予想は付くとは思うが、この結晶ってのは超高濃度の魔石だ、普通の魔物が体内に作るようなちゃちな奴じゃねぇぞ、その結晶一つで莫大な魔力を内包する、とんでもない魔石なんだ」
「……その石が、“竜の骨”?」
「そうだ。坊主は勘が良いな」
おじさんはいったんジョッキに手を伸ばし、また中身をぐびぐびと飲んでいる。
「最初はほんの爪先くらいの小さな結晶さ、だが、それはだんだん大きくなって、やがて何かの骨みたいな形になる。それがさらに成長すると、何かしらの骨格を作る。まぁここら辺はちゃんと順を追って確認できた訳じゃないけどな。そして、骨はどんどん大きくなり、最終的には……竜になる」
おじさんは溜めて、最後にそう言った。へぇ……面白い話だ。
「それが、竜の正体ですか」
「あぁ。ちなみに、実際に竜の個体はギルドで確認されているらしい。どこかの地価の多く深く、洞窟を潜った先の最奥に、そいつは居るって話だ」
「なんだ、意外と身近な話なんですね」
「いや、あくまで噂だな。その“竜の所在”についてはギルドが握っているらしいが、その情報は、ギルドの中でも最高クラスの結果を出した冒険者にのみ明かされる、って話だ」
おじさんは、手元に持ったジョッキをちゃぷんと揺らす。窓の外で、薄暗い夜の海も揺れている。
「うわさ、ですか?」
「その最高クラスの冒険者ってのは、要するに単独で深層にも潜れるようなやばい奴らさ。そんなの、人界にも数えるほどしか居ねぇ。そしてそいつらでさえ、“竜の所在”を知っても竜を倒したって話は聞かねぇ。確かに居るはずなんだが、その真相は曖昧なもんさ」
「でも、おじ……ハウスガッシュさんは、竜の存在を信じているんですよね?」
「そりゃな。それが俺の夢だからな」
おじさんは、最初に何と言ったか、確か竜を手懐けるのが夢だと言ったんだ。
「竜を手懐けて、それからどうするんですか?」
「そりゃやることと言ったら一つよ。他の竜を倒させて、その竜骨を売って稼いでがっぼがっぽさ」
「ふん。行きつく所は結局金かの」
呆れたように、シラアイが息を吐きながら口を挟んでくる。
「俺がどう見える? 俺はそういう人間だろ」
「あぁ。自分で竜を狩ると言い出さんだけ、小賢しいがの」
「無茶言うなよ、俺は俺の身の丈を分かってる。俺の人生で俺が竜を倒せる瞬間は来ない」
「やる前から諦めるとは、つまらん男じゃの」
「そりゃ夢にだって現実性は必要さ。俺が自分で信じられるくらいの、ちょっとした現実性がな」
ハウスガッシュさんは、薄く笑みを浮かべながら俯き、近くにあったツマミに手を伸ばす。肌色の小さな種、何かのナッツだったか、彼の口の中でぽりぽりと小気味よい音が鳴る。
「どうやって竜を手懐けるつもりなんですか?」
「お! よく聞いてくれた坊主。いいか、まずは竜骨を集めるんだ」
俺が聞くと、おじさんは水を得たように語りだす。
「竜骨を?」
「あぁ。それだって相当希少な物だがな。とにかくまずは竜骨を集める。結局、ドラゴンってのは、竜骨と、それを操るスライムで出来てんだろ? んで、十分な竜骨が集まったら、一匹のスライムにその竜骨をどんどん与えて、育てていく。最終的には立派な一匹のドラゴンが出来上がるって訳だ」
「そう上手くいくかの」
シラアイは乾いた目をハウスガッシュに向けている。
「俺は見たのさ。昔、何かの拍子に竜骨を手にする機会があった。竜骨といや、どんな小さなものでも最上級の魔石だ、それは最高クラスの魔道具なんかにも使われるし、とにかく高い値が付く。俺が大事に大事にそれを持ってたつもりなんだが……どうしたことか、少し目を離したすきに、俺のバッグからそれがなくなってやがる。俺は周囲を必死で探したよ。高いものだしそりゃ盗むやつも現れる。で、その竜骨、結局なんで無くなってたと思うよ?」
おじさんは俺に問いかけてくる。
「石がひとりでに歩いて行った?」
「惜しい。結論から言えば、俺の大事な竜骨は盗まれてたんだ。でも相手は人じゃねぇ」
おじさんは溜めて、後にその続きを口にする。
「スライムだよ。お腹を空かせた、って表現が正しいかは知らねーが、空っぽのスライムが、俺の竜骨を持ってって、嬉しそうにぽよぽよと近くを跳ねてたんだ」
おじさんもスライムに逢ったことがあったのか。確か、人生に一度会えるか会えないかぐらいって聞いたぞ。
「それで、その後どうなったんですか?」
「俺は必死に頭を下げて頼んだよ。実力じゃ敵わないことくらい身に染みて、肌でひしひしと感じていた、でもその時の俺は事情があって、それを無くすと命に関わるくらいは大事なものだったんだ。とにかく返してくれって、俺はそいつに頭を下げ続けた。するとどうだ、俺の必死の願いが通じたのか、そいつはぺっと俺の前に竜骨を吐き出して、それから俺の前を去って行ったよ」
おじさんは話を終え、ふぅと息を吐いた。シラアイは聞いたことのある話なのか、冷めた声で続きを急かす。
「それで? その体験談がどう“竜を育てる”という話に繋がるんじゃ?」
「分かんないか? 要は、スライムは竜骨を栄養源にするんだよ。竜骨を取り込んで、そして育っていく。じゃあ俺がそれを集めてスライムに与えれば、竜が育つし、スライムは俺に恩義を感じて俺の言うことを聞いてくれるって寸法さ。会って分かった、あいつは話の分かる奴だよ」
「んで、どうじゃ。そちの竜骨集めは、順調に進んでおるのかの?」
シラアイがそう聞くと、おじさんは途端に渋い顔をして苦笑する。
「……まぁ、小袋いっぱい一つ分って所だな」
シラアイはわずかに感嘆したような様子を見せる。
「意外と頑張っておるの。それだけあれば、老後まで慎ましく暮らせるの」
「慰めを言うんじゃねぇ、こんなんじゃまだまだ足んねぇよ。目標は荷台一山分ってとこだな」
「そうか。それでどうじゃ? それはそちの人生で実現可能なものなのかの?」
また痛い所を突かれたようで、ハウスガッシュさんは返す言葉もなく苦笑している。
「ま、俺の手で竜を倒すよりかはな」
「夢じゃな」
「あぁそうさ。そして俺は夢のために生きてる」
「応援しとるの。竜を呼び出せたなら、わらわを背に乗せて空を飛んでくれ」
シラアイは、澄ました顔でコップに口を付けながらそう言っている。
「おいおい、相手は真性の龍脈の生き物だぞ。表面に触れた途端、高濃度の龍脈に侵されて、体がずたずたになる」
「なんじゃ、夢のない返しじゃの」
「……はは、そうだな。じゃあその時は、専用の鞍でも作って乗せておくよ。どうせ、その時には腐るほど金を稼げるようになってる。飛び切り高級な奴を乗せといてやる」
「それは、夢のある話じゃの」
ジャノメと、それからそっちのシズメさん? は、酒に弱かったのかお酒を飲んですぐに酔い潰れて寝てしまった。ジャノメははしゃぎすぎたのかお早めの就寝。気が付けば、窓の外は暗くなっている。月光が海の上から明るく世界を照らしている。
「さて。今日はそろそろお開きにするかの」
「そうだな。どうせ海の上では明日も暇さ、夜更かしする意味もねぇ。長時間話に付き合わせて悪かったな、坊主」
「いえ、話がすごい面白かったですし。また続きを聞かせてください」
「お、いいねぇ。じゃあ今度は、俺の武勇伝でも語って聞かせるか」
シラアイは椅子から降りて、机に突っ伏したジャノメの体を揺すっている。
「おい、ジャノメ。部屋に帰るぞ。自分の足で立って歩け」
「ふぇ……?」
「あぁ、いいよいいよ。俺が背負って持ってく」
「これ、子供だからと言ってあまり甘やかすでない。……そっちの娘は、ハウスガッシュに任せてもいいのかの?」
「おう。部屋に放り込んどきゃ明日には起きるだろ」
「襲うなよ」
「襲うかよ。ここは逃げ場のない船の上だぞ」
その日はお開きになり、夜の船の上、それぞれの部屋へと解散した。
≪ひとくち魔物ずかん≫
スライム
龍脈の中に生まれる意識。その振る舞いは奔放で無邪気だが、自身が触れたものは、自身の帯びる過剰な龍脈に焼き焦がされると知っている。
骨付き(、骨持ち)
体内に超高濃度の魔石を生成したスライム。本質はスライムの時と変わっていないが、魔石という実体を手に入れたため、少し安定している。
コッカク
何かしらの生き物の骨格の一部、のような魔石を体内に浮かべたスライム。スライムは何かになりたくて、今日も魔石を育てている。
ドラゴン
体内になにかの巨大な生き物の完全な骨格、にも見える魔石を内包したスライム。その骨格は、地上に存在するどの生き物にも該当しない、とあるスライムが夢に見た夢の果て。完全に出来上がった骨は、光の体に包まれて、肉をつけることは無かった。空虚な骨はカタカタと笑う。
触れるどころか、もはや普通の生き物は目にすることすら適わず、ドラゴンは、自身の強大な力が誰かを歪めてしまうことを強く恐れ、みずから地中の奥深くへと引きこもっていった。




