第十二話、一時帰省
時間とお金に余裕が出来たので、久々にあの街に戻ってみることにした。距離的には、今の居る町からは遠いアイリスの街だが、実はここから近い距離に、アイリスの街から一本で飛べる転移点があり、それを知っていれば戻るのにさほど苦労しない。
俺は馬車で転移点の設置されている町まで足を運び、そこからアイリスの街の広場にワープ。
知っている空気、知っている匂い、知っている街並み。ここは石レンガの敷き詰められた広場、広場の中央には噴水があり、広場の地面の各所には、それぞれの転移点へと飛ぶことの出来る魔方陣が、白いチョークのようなもので描かれている。
俺は広場に現れ、すぐに魔方陣の上からどく。知っている空気に思わず気が緩むが、ここはもう俺の居ていい街じゃない。俺は、この街に来た目的を果たすため、とあるアパートへと向かう。
街並みを歩いて、少し入り組んだ先にあるアパート。変わっていなければ、今もあの子たちはここに住んでいるはずだ。
と、アパート二階の外廊下、柵にもたれかかって金髪の少女が外を見ている。アパートに近づいてくる俺に、彼女は気づいたようだ。俺が外階段を登ってその扉の前まで行けば、キララさんが俺が来るのを待っていた。
「よぉキョウゲツ、久しぶりじゃねーか」
彼女は俺の背中をバシバシと叩く、痛い痛い。
「久しぶりー。時間が空いたから来ちゃった。この前はありがとねー、キララさんの作ったクッキー美味しかったよー」
大半は奴に食べられたけど。
「……あぁ? オレがどれを作ったか、分かったのかよ」
「形が不格好なやつでしょ?」
「……ヘタクソで悪かったな」
「味は良かったよー」
そうかよ、と、少女は隣に吐き捨てる。
「っつか、なに急に居なくなってんだ、てめぇはよ」
「まぁ俺も想定外だったけどね。人生なんてそんなもんだよ」
「突然飛ばされた割には、案外元気そうじゃねーか」
「そりゃ元気が無きゃ顔は見せないし」
「そりゃそうか」
と、キララさんは部屋の扉に背を持たれかけさせ、あー……と上を仰ぎながら何かを考えている。
「オレのことは後回しでいいからよ、先にミナモの顔見に行った方がいいんじゃねーか」
「なに? ミナモさんがどうかしたの?」
「んー……お前が居なくなってから、なんか落ち込んでるっつーか、ちょっと不安定っつーかな」
俺は一旦別れを告げ、外廊下を歩いて彼女の部屋の前まで行く。今日は休みの日のはずだから、たぶん部屋には居るはず。トントンと、彼女の扉を叩く。もう何回か叩いても返事は返って来ない。
「ミナモさーん?」
ドアノブを回せば扉が開いた。あれ、今開けてんのか? 不用心だなあいつ。
「入るよー?」
扉の中に入れば、そこは玄関、およびキッチン。目の前の引き戸を隔てて彼女の私室があるはず。玄関に靴があった。だから、彼女は部屋の中に居るはずなのだ。
「ミナモさん? ……開けていい?」
俺はもう一度引き戸をノックして、それをガラガラと開けた。
散らかった部屋があった。衣類や物が散乱して、どかさなければ床には足の踏み場もない。窓はカーテンが閉まっている。見渡せば、布団を被った塊が奥に居る。
「ミナモ……さん?」
俺の声に、布団の塊が反応した。顔を上げて、少女が俺を視認した。
「ミナ―」
弾かれたようにその影は駆けて来て、そのまま俺の胸元へと飛び込んでくる。少女の両腕と体が俺の前に収まる。
「なんで……」
声が少女の口から漏れてくる。
「なんで……私と一緒に居てくれないの……」
少女の腕が、俺の服の襟元を掴んでいる。少女は顔を伏せていて表情が見えない。
「ずっと……一緒に居られれば良かったのにね」
俺がそう答えると、ぎゅっと、服を掴む彼女の手に力が入る。
「今日からここに住んで……ここで寝て、私とずっと一緒に……」
「俺は……俺の道を進まなきゃいけない。俺の道はもう……君が歩くそれとは違っていて、もう別々に歩かなきゃいけないんだ」
「私が……アオイくんの分のお金なら、私が出すから……」
「誰のお金? 君のお金? 違うよ。君はまだ見習いの身で、君の周りのいろいろは、君が成長するために使わなきゃいけないんだ」
「……じゃあ。じゃあ、私も、そっち側に……」
「駄目だよ。俺に引っ張られて、君までこっち側に堕ちることはない。そっちに居る方が、君はずっと幸せだから」
少女の声が訥々と胸の中で語る。少女の頭が真下に見える。俺は何か、彼女に触れるべきだろうか。あの子にしたみたいに、抱きしめ返したり、あるいは肩を掴んだり、頭を撫でたり……迷っているうちに、先にミナモさんが口を開く。
「剣を……買ったの」
「剣?」
「持っていって、部屋に置いて」
「剣? またくれるの? 観賞用?」
と、少女の体が俺から離れた。ミナモさんはそこら辺に屈み、何かしらを発掘し、その袋から剣の柄を、その先に生えた音叉のような剣身を見せてくる。
「あ、転移剣」
「これ持ってって」
“転移剣”。剣自身がワープポイントとなる、持ち運べる転移の魔方陣だ。
「いいけど、どこと繋ぐの?」
ミナモさんは、同じ袋から布を取り出す、くるくると丸められたその布を広げてみれば、布の上に魔法陣が描かれている。
「これ。こっちを、私の部屋に置く」
……となると。
「俺の部屋と、ミナモさんの部屋が繋がるってこと?」
「そう」
まぁいいけど、
「これどうやって手に入れたの?」
「買った」
「買った?」
え、買った??? いくらしたんだこれ。布の魔方陣もそうだし、この転移剣は転移の魔道具が内蔵されたものだから、絶対庶民が簡単に手の届く代物じゃないぞ。……まぁすでにあるなら考えなくていいか……。
「俺の部屋に置いておけばいいんだよね? 出かける時とかも」
少女はこくんと頷いた。
「受け取って、くれる?」
少女は再度、俺に問いかけてくる。俺は特に深く考えることはしなかった。
「……まぁいいけど」
俺の部屋に来る気だろうか、それとも俺がこちらに来るのだろうか。あいつらが来てる時に鉢合わせたら面倒なことに……まぁいいや。その辺はその時考えよう。
「じゃあ、これで今日からいつでも会えるね、ミナモさん」
俺がそう言うと、少女は顔を逸らし、俯きながら答える。
「……うん」
「おーい、居んのかー?」
と、玄関から声がする。キララさんが来たみたいだ。彼女は返事を待たず、ガラガラと扉が開いて中に入ってくる、と、キララさんが部屋の内情に顔をしかめる。
「おわ……なんだこれ、なんでこんな散らかってんだ……?」
ミナモさんを見るが、ミナモさんは何も答えない。……まぁなんだ、しばらく部屋の整理も手につかないぐらい、ずっと落ち込んでいた。そういうことだろう。
「ちょっと待ってて、今片付けて―」
「昨日ワカバが綺麗に片づけたばっかだろ。なんでこんな散らかってんだよ、ミナモ。部屋の中で台風でも起こったか?」
「まぁそう言わないであげて、ミナモさんも―」
……え? 昨日?
「どういうこと? ミナモさん。しばらく掃除に手が付かなかったとか、そういうことじゃなかったの?」
俺がミナモさんに聞けば、すーっと、ミナモさんの顔があっちを向いていく。
「……ワカバちゃんが」
「ワカバさんが?」
ミナモさんはぎこちなくあっちを向いて、続きの言葉を語る。
「ワカバちゃんが……アオイくんが来た時にこうしてれば、こっちの要求が通りやすくなるだろうって」
………………。
「……おい」
「も、もう言ったよね、剣は持ち歩くって」
ミナモさんは俺の空気を上書きするかのように言い募る。
「言ったけど。いや持ち歩くとまでは言ってないし」
こ、こいつ……あれ? 俺、また騙された?
「っていうか普通に言えお前。こんな状況見たら心配するだろ」
「……じゃあ、普通に言ったら聞いてくれた?」
いや……まぁ普通に聞いたんじゃないかな。言うてただ剣受け取るだけだし。だが、ここまでされると何か騙された気分だな……。
「あ、キョウゲツくん!」
と、渦中の顔が空きっぱなしの玄関の向こうから姿を現す。
「あ、ワカバちゃん! 成功したよ!」
「ほんと? 良かったねー」
ミナモさんとワカバさんはそれぞれにこやかに顔を見合わせている。良かったねぇ、ところで。
「ねぇワカバさん。ミナモさんに余計な入れ知恵をしたことに対して話があるよ」
「まぁまぁ、今はそんなことより久々の再会を祝おうよ。私たちの部屋に来て! お菓子とジュースがあるよ!」
「行く!」
と、ミナモさんが元気よく答えている。俺はミナモさんの肩を掴む。
「待て。せめてお前にだけは話があるよ」
「な、なに……? お菓子とジュースの後でよくない?」
すっかり元気になったなこいつ……はぁ。まぁいいか。俺が穴を開けたことは結局俺の過失、それ以上でも以下でもない。それに振り回されたのはこの子たちの方で。俺は彼女らに借りがあり、けれど彼女らが俺を責めるようなことはしなかった。
俺はここに帰って来て、ずっと温かい家だった。多少は何か、俺が開けた穴を埋めるような、借りを返せるようなことを彼女らに出来ればいい。少しくらい、彼女らの思い付きに振り回されるのもいいだろう。
俺は、ワカバさんたちの部屋に移動しようと三人の背中を追う。
「あ、アオイくんは部屋片づけといて」
「ワカバさん、もう一回ミナモさんと二人きりにしてもらっていい?」
「おっけー」
「あぁ!?」
*
「あ、キョウゲツ! なに勝手に居なくなってんだてめー!」
と、アパートの前でまた見知った顔を見つける。
「モモモじゃーん、痛い痛い肩殴るな」
モモモはシュッシュとボクシングポーズを取りながら話しかけてくる。
「てめーが居ないせいで結局シルベヤマの攻略終わらなかったじゃねーか!」
「え? 途中で終わっちゃったの?」
モモモの言うシルベヤマ攻略。高く登っていくほどにモンスターが強くなる、特殊な環境の山であり、俺は勇者の時にその登頂を課題に課されていた。
「そう。頂上になんか妙に強いやつが居てさー、でもそいつには今のわたしたちじゃ敵わないって、結局課題は途中で終わっちゃったよ」
「じゃあ俺のせいじゃないじゃん」
「お前が居たら攻略出来てたかもしれないだろっ」
「六が七になっても大して変わんないでしょ。ぽこぽこ殴んな」
と、少女は構えていた手を下ろす。
「……なんで急に居なくなっちゃったの」
少女は急に萎れた声を出す。
「まぁ……そういう運命にあったとしか」
「なにそれ。……ねぇ、もう戻って来れないの?」
「俺に言われてもね。俺は一方的に資格剝奪された側だし。まぁ大会で結果とか残せばワンちゃん帰れるかもって言われてたけど」
「優勝してこい」
「無茶言うな。今も生きるので精一杯なんだぞ」
俺がそう言うと、モモモは憂うような目線を向けてくる。
「その……大丈夫なの? ……少しくらいだったら、私もお金……出せるけど」
何の心配してんだこいつ。貰えるかよお前から。
「もう大丈夫。なんだかんだで生活は安定してきたし。まぁ自転車操業だけどね」
「……そう」
と、少女はこちらに背を向ける。
「……わ、わたしはっ、お前が居なくなって寂しいと思ってるからなー!」
モモモはそう言いながらこの場を走り去っていった。なんだあいつ……苦笑しながら、俺はその背中を見送った。あったかいな、ここは。




