閑話、夜の訪問
トントンと扉を叩く音がして、何かを期待して扉を開けたら、見えた頭は低い所にあった。
「どうも、隣に越してきたジャノメです」
「おやおやそれはどうもご丁寧に」
何やら隣から音がしていたと思ったが、こいつが隣に来ていたか。まぁギルドの貸し部屋だ、金のない奴はここに集まるだろう。少女が、少しでも誰かの庇護を求めてここに越してくる気持ちも分からなくない。と、少女は、俺の背中越しに俺の部屋の中を見ようと背を伸ばしている。
「中には何もないぞ」
「……その。入ってよいか?」
ジャノメはおずおずと言ってくる。寝巻きに、胸元には何かが入った麻袋を抱えている。
「まぁいいけど」
俺が脇にどくと、彼女は中へと入っていく。と言っても、ベッドと小さな棚と、あとは一角に荷物をまとめて置いているくらいの小さい部屋だ。寝て起きるだけの部屋、大したものはない。彼女はベッドの隣に入って、きょろきょろと周囲を物色している。
「何か面白いものは見つかったか?」
俺が扉を閉めて声を掛けると、ピクリとその背中が跳ねる。窓の向こうには、夜空に浮かぶ冷たい光の三日月が見えている。
少女は部屋の奥で、胸にそれを抱えたまま、恐る恐るこちらを振り返る。
「……少し。頼みたいことがあるのじゃが」
「内容は?」
少女はじっとこちらを見上げている。部屋の明かりは付けておらず、差し込む月の光とは逆光になり、彼女の顔は暗く、その表情を窺いにくい。
「わしの……頬を。触れてみてはくれんかの」
「ほっぺた? なんで?」
少女はじっと、暗い顔でこちらを見上げている。俺は特に考えることはせず、彼女の頬に手を伸ばした。そっと、彼女の頬に俺の手が触れる。冷たくて、さらさらとして、押せば柔らかい感触が返る。少女は俺が差し出した手に、擦り寄るように顔を動かしてくる。猫か何かなの?
「冷たいな。おぬしの手は」
「そう?」
「わしは、体内に高濃度の魔力を保有している。それはわしの完全な制御下になく、わしの体から常にわずかに漏れ出している。ゆえに、人界の人間は、無為にわしに触れることを嫌う」
「そ、そうなんだ」
俺はわずかに、彼女の頬から手を引こうと、手を動かしてしまった。少女はそのわずかな動きに気付いて、少女は俺の手を手放した。
「おぬしはどうも、龍脈による影響を受け付けない特質を持っているようじゃ」
少女は続ける。
「龍脈による影響を受け付けない?」
「自覚が、無かったのか? おぬしは、わしが触れても、わしから漏れ出す魔力の影響を受けず、あるいはすり抜けてしまう。だから、“冷たい”手だと言った」
「あー……あれだ、俺は“空のお守り”? を、持ってるからね」
“空のお守り”。身に着けていれば、周囲の龍脈からの体への影響を軽減する効果を持つ。ギルドに所属した時に、最初にもらえるものだ。
「違うな。それはおぬし自身の特性じゃ、ほかの人間じゃこうはならん」
「そう……なんだ」
言っていることはよく分からないが、つまりは、
「俺は、君に触れることが出来るって訳だ」
両手を伸ばし、彼女の顔を両方から挟んだ。ぐにぐにと、手を動かし少女の頬を動かして遊ぶ。楽しい。少女は、抵抗するでもなく為すがままにされている。
「ひとつ、お願いがあるのじゃ」
「あ、まだ終わってなかったんだ」
「わしを抱きしめてくれんかの」
少女は俺の間近で、黙って俺の顔を見上げていた。少女はただ待っていた。俺がそうするのを。
「あー……」
俺は若干顔を逸らしながら考える。俺はどうするべきだろうか? 断るべき? 傍から見れば、何かが不純……でもたかがハグだ。俺が過敏に思っていることこそ不純か?
要はこういうことだ。少女は魔力が漏れ出す特異な体質で、普通の人間は少女に触れたがろうとしない。少女は人の温もりに、人との触れ合いに飢えている。
じゃあ俺がその相手になるべき? 俺の特異体質とやらは知らないが、少女に触れることが出来るのが俺ただ一人、という訳ではないのだろう。でもおそらくは、少女の身の回りにそれに当たる人物が居らず、あるいは、俺が初めてのそれに当たるのかもしれなかった。
俺の代わりは居るのだろう、しかし、俺が少女のこの小さな願いを挫いてしまえば、少女の今後の、人との関わりへの欲求というか、そういうものを大きく削いでしまうかもしれない。
……いや、難しく考えすぎだろう。子供が寂しいと、ハグを要求しているだけだ。俺はただ、この子の甘えを聞いてあげればいいだけ。
俺は、少女の前に膝を付き、そっと手を伸ばして彼女の体を抱きしめる。小さい、華奢で柔らかい体だった。
「……あたたかいの」
少女は息を漏らすようにそう呟いた。彼女もそっと手をあげて、俺の体に手を回してくる。
「一人じゃ……」
少女の声がすぐ俺の耳元で聞こえ、俺の耳をくすぐる。
「一人じゃ……うまく寝付けんのじゃ。今日は……ここで寝たい」
外聞が……いや、だから考えすぎだ。この子がここで何をしているかは知らない、が、周りに親らしきものは見当たらず、親代わりも見当たらず、金も職も家もなく、ただ冒険者として生きようとしている。ここはギルド管理の貸し部屋だが、鍵は簡素なもので、蹴破れば簡単に開くだろう。
少女が部屋にたった一人きり、普通ならまだ親と一緒に寝ていても不思議ではない年頃だろう。それが、今はたった一人きり。頼りになる人間も周りにはいない。そんな状況で、狭く暗い部屋の硬いベッドの上で、一人で寝ることの、どれだけ心細いことか。
いやでもベッド狭いしな……まぁ俺とこいつなら入るか。狭いけど。
「……いいぞ。今日だけな」
「……うん」
少女は胸に袋を抱え、のそのそとベッドの上に上がっていく。そこで、袋を置いて頭を乗せ、薄い布を引き寄せて、そこで丸まった。それ枕だったのか。あと大胆に敷地占有したな……。
どうせベッドも硬いし床で寝てもいいのだが……まぁおそらく彼女は一緒に寝てほしいのだろう。少女の背中の後ろから、くの字にしてどうにか体をベッドの上に納める。寝返り一つ打てない。起きた時落ちてそうだな……。
「もうちょいそっち詰められないか?」
俺がそう言うと、少女はちらとこちらを見て返す。
「まだ隙間が空いとるぞ」
「いや……これ以上は、くっついちゃうし」
「抱いて寝ればよい。場所の余裕はないぞ」
俺はしぶしぶ身を寄せる。少女は、丸まった猫のように俺と同じベッドの上で寝ている。今日は石鹸か何かを使って髪を洗ったようで、髪からわずかに甘い香りが漂っている。
多少慣れない環境だったが、何より疲れていたこともあり、身をじっとさせていれば、その内意識は無くなっていた。




