勇者、お尋ね者
「この小袋は、指名手配中の罪人が逃亡中に落としたものだそうだ」
格式ばった制服を着こんだ大人が、机に小さな袋を落とす。それは、俺がいつも持ち歩いていた、見慣れたものだった。
「これは貴様のものだな?」
「逃げ切れたんですか? その人」
「貴様からの質問は許していない」
乾いた声が俺の言葉を遮る。
ここは小さな石の小部屋。高い位置にある小さな窓は、縦に鉄格子が嵌まっている。
「じゃあ俺も答えません」
バン、と、けたたましい音が机から鳴る。目の前の彼が机を叩いた音だった。
「お前が渡したこのよく分からん護符のせいで、奴らは攻撃を逃れ、俺たちは奴らを逃した。分かるか? 貴様は罪人の逃亡の手助けをしたのだ」
乾いた声が俺を責めたてる。彼は、落ち着いた低い声で、俺をしっかりと見つめながら話しかけてくる。
「俺も、似たものを持っていました。彼女の身の安全を願って渡したお守りですね」
「彼女の素性は知らなかったのか? 奴らが何者で、何をしようとしていたか、何をしたか」
「詳しくは知りません。街で困っていたから、多少話しただけです」
「何を話した? 何をした?」
その大人は、間髪入れずに俺に問いただしてくる。
「大したことは、何も。彼女からは、彼女に関することは話したがらなかったから。俺も深くは聞きませんでした。お腹が空いていたようなので、ご飯を一緒に買って食べた、それくらいですかね」
「ふん。呑気なものだな。奴らが何者とも知らずに、か」
暗い部屋の中、彼は鉄格子のはまった窓の外を眺める。狭い窓から、白く曇った空が見えている。
「何者なんですか?」
「……」
彼の冷たい視線は、ゆっくりと俺の方に帰ってくる。
「あれは人の形をした化け物だ。同じ人間などとは思うな」
*
「馬鹿なことをしましたね」
俺は、教室へと帰ってきた。同じ建物の中には、先生の控室のようなものがある。両側には本のぎっしりと詰まった棚があって、部屋には、ソファとガラスのテーブル、奥には窓と、先生が座っている執務用のデスクがある。そこは何度か訪れたことのある部屋だった。
先生は対岸のソファに座り、俺に話しかけてくる。
「指名手配犯の逃亡を補助した挙句、まさか、詰め所で暴れるとは」
「……」
「あなたは勇者としての資格が不十分とみなされ、その資格を剥奪されました。あなたはここで、もう、勇者としての教授を受けることはありません」
ガラスのテーブルの上には、俺の顔の絵と、俺についての情報が書かれたシートがある。顔の上から、大きく赤いバツが書かれている。
「勇者を離れるあなたに、私がこれから、これ以上できることはありません。今までお疲れさまでした。あとはお好きなように生きてください。望むなら、最後に好きな場所に送りましょう」
「……」
「これは餞別です。多少のお金が入っています。自由に使ってください。また、勇者としてのあなたに貸し出していた物品や部屋などは、すべて回収させていただきます」
「……」
「以上で手続きは終了になりますね。なにか、質問などはありますか?」
俺の口は重く、視線は垂れ下がり、ガラステーブルの上に落ちている。
「それでは行ってください。あなたのこれからの人生に幸運があることを願っています」
先生は、俯いて黙っている俺を、ただそこでじっと見下ろしていた。
「と、ここまでが、学校の経営者として私からあなたに贈る言葉ですね」
ぎし、と、先生がソファの背もたれに寄りかかる音がする。
「馬鹿なことをしましたね」
「……」
「役人の言葉など適当に聞き流しなさい。そこで歯向かってどうするのですか? たとえあなたが正しさを持っていたとしても、話が通じず、相手のほうが有する権限が上。そんな状況で彼に楯突いたらどうなります? 見ての通り、あなたはなけなしの権利を失っただけです。得られたものは何もない」
俺は、少し顔を上げた。視界の端に、先生の顔が映る。
「残念ながら、私の力では、今のあなたの待遇を変えることは出来ませんよ。あなたは、勇者としての資格を失い、私が勇者を育てるこの学校の中にあなたは居られなくなる。結果は変わりません。私は、手の中の勇者の雛を育てるために日々力を尽くしています、手の中から零れる落ちていくあなたを、こぼれないように止めることは出来ても、零れ落ちた後も手を貸し続けることは出来ません。あなたはこれから一人で生きていくんです」
「怒らないん……ですか……?」
俺は恐る恐る顔を上げて、先生の顔を見た。俺は、続きの言葉を紡ぐ。
「期待外れだとか、よくも余計なことをしてくれたな、とか……俺のやったことを、責めたりしないんですか」
「責めてほしいのですか?」
「……」
「どうでしょうね。まぁ拘束中に暴れたのは、馬鹿なことをしたとは思いますが……」
「よく知りもしない罪人を助けて、それで捕まったことは、責めたりしないんですか」
先生は、何と答えるかを考えているようだった。テーブルの上に置かれたカップを手に取って、それをゆっくりと飲んだ。再びテーブルの上にカップを戻す。そして、先生は語りだす。
「いいことを教えてあげましょう」
「……」
「この学校では、勇者になるためのさまざまなことを教えます。知識、技術、力、技、経験。魔王やその他を倒すため、人間の世界を守るため、勇者を強くするためのさまざまな課程があなたがたには与えられます。しかし、勇者になるために必要なものが一つ、この学校では教えられていません。それがなんだか分かりますか? キョウゲツさん」
先生はいつものように、俺に質問の答えを聞いてくる。
「……生活能力」
「確かに教えていませんね。ですがそれはお金でまかないましょう。勇者のような危険な仕事は、お金がいっぱいもらえます。誰にでも出来るような仕事はお金で肩代わりしましょう」
「……」
「心ですよ。勇者を目指す心、勇者としての心は、この学校で教えることはありません。私はその教え方を知らないし、それが何かも分かりません。この学校は、勇者っぽい兵士を育てるための学校です」
「……」
確かに。この世界で、「道徳」みたいな授業は、ここでは一回もやらなかった気がする。字の読み方や、この世界の常識や、計算の仕方やこの世界の道具の使い方、そんなものはいっぱい学んだが、勇者としての心なんて……いや、この人が最初の方に要らないとか言ってなかったか?
「あなたは、勇者としての心を自前で持っているようです。まぁ多少目が曇っていたり、力の足りない場所にでも突っ込むような”蛮勇”も、持っているかもしれませんが」
「……」
「私は勇者としての心はないので、あなたがよく知らないその辺の人を助けて、それが罪人で、そして助けることが罪で捕まったとしても、馬鹿なことをしたなぁとしか思いませんよ」
「……」
「あなたのしたことを私は責めはしません。まぁでも、勇者っぽいんじゃないですか?」
勇者っぽい……浅い感想。だが、先生は授業以外の場面では素直なところがある。その言葉は、先生の心から出た率直な感想なのだろう。
「勇者は……今日で辞めますけど」
「数日前に辞めてますよ」
それ今言う必要ある?
「勇者は……俺は、勇者を辞めるんですか」
「ですねぇ」
実感が湧かない……シルベヤマ……そうか、あの山にはもう……もう、いいのか。何も考えなくて。ほかのみんなも……みんなは……俺以外のみんなとも、もう何の関係もない……。
「……頑張った生徒をかばうとか、してくれないんですか」
我ながら甘い考えだった。けれど、それは思わず口から出てしまった。
「まぁ殴っちゃったんで。役人を。あっちはカンカンですよ。もう広まっちゃってますし、私ではどうにもなりませんね」
「……」
「どうします? 元の世界に帰りたいですか?」
もう、話は進めるのか、先生は。
「……いえ、特には。あっちの記憶もないし」
「そうですか。まぁ、もし勇者に戻りたいというのなら、結果を残すといいですよ。七星や聖剣の使い手を決める大会で優勝するとか。力があればこの界隈どうにかなるので」
「……」
「とはいえ、まだまだ未熟なあなたには遠い話ですね。これからどうする気ですか? 元の世界に帰らないということは、これからこの世界で、あなたの力だけで生きていくということですよ? あ、冒険者でもやってみます? まぁ、花屋とか、戦闘から離れた世界に行くのもいいですけどね」
「……部屋も、没収ですか」
「武器もですよ」
「慈悲とかないんですか?」
「まぁ、多少のお金は包みましたし。それは私の懐から出たお金です。それでどうにか頑張ってください」
と、先生は机の上に置いた布袋をこちらに押してくる。俺がそれを手に取り、口を開いて中を覗くと―
「おいこれ! 日本の通貨じゃねぇか! しかも古い小銭ばっか!」
「あぁ! ちょっと! 乱暴にひっくり返さないでください! 私の大事なお金ですよ!」
「うるせぇ! せめてこの世界で使えるお金を寄越しやがれ!」
「ちょっと離して! だ、誰か! 誰か来てください! ここで犯罪者が暴れてます!」
チュートリアル:勇者への階段 終
古銭
先生が持っていた古い日本のお金。この世界ではもちろん使えない。一人で寂しい時、先生はこのお金を眺めて過ごしていた。




