勇者、小さな勇者
街を歩いていると、以前に見かけたことのある背中を見つけた。今日は、どうやら古ぼけた外套を頭まで被っているが、雰囲気と匂いでそれが誰なのか分かった。
「なにしてんのー?」
「ひゃぁっ!」
俺が背中を叩くと彼女は飛び上がって驚く。そんなに?
「……あぁ、この前の。何の役にも立たない自称見習い勇者さんじゃないですか」
「心優しいお兄ちゃんが来てあげたよー。今日はなにかお困り?」
俺の問いに、少女はしばらく俺の顔を見上げていたが、やがてふっと顔を逸らす。
「……なんでもありません」
「そう?」
「……暇じゃないので。今日はもう帰ってください」
と、彼女は明らかに俺を追い払いたい様子だ。
「ふーん? お腹とか空いてない?」
「いいからあっち行ってください」
追い払われた。離れたところでもう一度振り返って見てみたが、彼女はその場から動く様子はない。誰か、人を待っているのだろうか? それで俺を会わせたくなかったとか……まぁ、普通に邪魔に思われてる説もある。
彼女が困ってないなら、俺が出るべき幕もない。深く考える必要はないか。俺は俺の日常に戻ろう、さて、何を買うんだったかな―
「すみません、この人を見かけていませんか?」
街の中、雨が降ってきた。俺は露店で適当な傘を買い、ぶらぶらと買い物袋を手に帰り道を歩く。と、道の通りが何か騒がしく、どうやら衛兵さんらしき人が、聞き込みをして回っているようだった。
「すみません、ご協力願えますか?」
「あ、はい。自分ですか?」
「人を探しているのですが、この顔を見かけていませんか?」
衛兵さんは傘を片手に、濡れたボードを差し出してくる。そこには複数の姿絵が描かれてあった。四人の少女の似顔絵……え?
「この方たちが……どうかされたんですか?」
「指名手配中の罪人です」
「ざい……罪人? この子らが?」
「見た目に騙されてはいけませんよ。彼女らは、国家の転覆を企てる凶悪なテロリストたちです」
犯罪者? 国家の転覆? 凶悪なテロリスト? どれも、聞き馴染みがない概念だけに、どうも上手く頭に入ってこない。
「この……この子らが、何かしたんですか?」
「正確には、今からしようとしている、ですかね。とにかく、この顔を見かけていませんでしたか?」
俺は、恐る恐る口を開いた。
「あ、おかえりー」
勝手に部屋を開けて中でくつろいでいたミナモさん。家主が帰ってきたというのに、床で寝っ転がったまま、彼女から声が発せられる。
「今日のご飯なにー?」
「……悪いけど、また出かけるから。ご飯は適当に食べといて」
……ミナモさんのご飯は俺が用意するのか?
「出かける? この雨の中?」
ミナモさんは、窓の外と、俺の顔とを順番に見比べる。
「……うん」
「私は一人で食べるの?」
「……寂しいならまぁ、キララさんやワカバさんの部屋に行ったら?」
俺は無言で出かける支度をする。
「街の外に出るの?」
彼女は、部屋の装備に手を掛ける俺を見て、そう声を掛けてくる。
「……まぁ、そんなとこ」
「そう……まぁ気を付けてね」
彼女は若干気になる様子だったが、それ以降の追及はせず、手元の冊子に目を戻した。
俺は雨の中、冒険用の雨具を被って街の中を駆ける。今日、最後に彼女に会った場所。とりあえずあそこに行ってみよう。まぁ、さすがにもうあの場からは居なくなっているだろうが……あの場所に行って? それからどうしよう。
俺はあの子を探すのか? 手がかりもなしに? 衛兵さんたちも探しているのに? 俺はあの子のことを何も知らないのに?
最後に彼女を見かけた街の通りに着いた、そこに彼女はもう居なかった。ただ、雨の中、少なくなった人たちがそれぞれ雨具を掲げながら、通りを行き交いしている、そこに彼女の顔はない。
ここに彼女は居ない。それで……それで? 俺は……どうしよう。テロリスト? てろりすとって、なんだ? 彼女が……ともかく、俺は彼女に話を聞きたかった……でも、ここにはもう彼女は居ない。どうする? 探すのか? 俺は、俺は―
俺はさっき、衛兵さんに“この顔は知っているか”と聞かれた時に、“何も知らない”と答えたのだ。それは良くないことだ、彼らはきっと正しい行いをしていて、俺はそれに反する行動をして……だから、俺は責任を取る必要がある。
俺は彼女を探して、見つけて、話を聞いて……それから? それからは……聞いてから考えよう。
「すみません、さっきまで、ここにぼろ切れを被った女の子が居たと思うんですけど、どこに行ったか分かりませんか?」
俺は街角に立っていた、帽子屋のおばちゃんに声を掛ける。
「え? 女の子?」
「実は……彼女が忘れ物をしてて。俺はそれを届けたいんです」
「そうなのぉ? えぇと、さっきの暗いコートを被った子でしょう? えぇとねぇ―」
いくつかの道を歩いた。いくつかの人の話を聞いた。いくつかの過去の足跡を辿った。街の知らない道を通って、彼女はどこかへと向かっているようだった。
「その子? その子って、今あそこに居る、あの子かい?」
民家の軒先に座ったおじさんが指さした先、そこにさっきの彼女の背中を見つける。
「あ、あの子です。ありがとうございました!」
俺は慌てて彼女の背中を追った。彼女は路地の角を曲がっていく所だった、一瞬見失う、これ以上遠回りしてたまるか、今手を伸ばすんだ。俺は走ってその角を曲がった。
角を曲がった直後、俺の体は壁に叩きつけられる。
「誰……あれ? あなたでしたか」
俺の体を壁に押さえていたのは、少女のか細い腕だった。冷たい声はすぐに溶けて、深く目深に被ったフードの中から、少女の顔が窺える。
「なんですか? 見習い勇者から、ストーカーに転向したんですか?」
「話してもいいけど、ここで話してもいいの?」
俺の言葉に、フードの奥から、彼女の鋭い目が俺を貫く。
「……何の話ですか?」
「なんで追われてるの?」
無自覚だろうか、俺の肩を押さえる彼女の手に力が入る、多少俺の体が軋んでいる。
「……それを、あなたが知る必要はありません」
「知る必要があるかどうかは、俺が決めたいな」
「私は暇ではないんです。今日はもう帰ってくれませんか?」
「俺は納得してないから、君に聞きに来たんだ。納得する理由を君に聞けないのなら……俺は君を、衛兵に突き出さなきゃいけない。かも。平和を望む、市民の務めとしてね」
彼女は乱暴に、俺の肩から手を放す。
「好きにすればいいんじゃないですか?」
「好きにはしてるよ。だから君に話を聞きに来た」
「衛兵を呼ぶなら呼べばいい、私を捕まえるなら、そうすればいい。悪を倒すのが勇者の務め、そうでしょう?」
目深に被った外套の奥に、彼女の目が見える。降る雨よりも冷たい、冷えた目つきだった。
「違うよ」
「……」
「助けたいものを助ける、それが俺の役目だよ」
「……」
「首ばっかり突っ込んで、いつも力は足りないけどね。それでも力になれるなら、俺は君を助けたいよ」
「……勇者が、何を言ってるんですか?」
雨の中、彼女の冷たい声が返ってくる。
「衛兵さんは、君が国家を転覆させるだとか、凶悪なテロリストだとか言ってた、でも、俺には到底そうは見えないよ。君はきっと、悪い奴じゃないんだと思う」
雨が通りの地面を打つ。ここまで何度も曲がり角を曲がってきて、人通りのない、寂れた裏の道だった。今も、俺の肩の上を雨粒が打ち付けている。
「……知った口を。あなたが、私の何を知っているんですか?」
「あんまり知らないね。だから教えてよ、君のこと」
彼女はまた黙って、やがて目を伏せる。
「あなたはまた、ただ首を突っ込みに来ただけなんですね」
「……そうだね。君のことが、気になるから」
はぁ、と、小さく彼女から息が漏れた。
「……あなたにしてもらうことは、何もありませんよ。小さな勇者さん。あなたに話すことも、何も」
「……そっか」
まぁ、そうだ。俺はただの、力のない、通りすがりの見習い勇者だ。
「風邪を引かないように、あなたはこれから帰って、早く濡れた服を脱いで、体を温めて寝てください」
「……君は、これから?」
「私はまだ、やることがあるので」
「やることが終わったら、帰るあったかい場所はあるの?」
少女はフードの中で、くすりと笑みを作った。
「大丈夫です。あなたが示した正義と勇気が、私の心を温かく照らします」
「言葉で体はあったまらないよ」
「さっさと帰ってください。もう満足したでしょう?」
彼女は、もう何も話したがらない様子だった。俺が、彼女のために、今の俺が何か出来るだろうか? その辺のモンスターにさえひいこら言ってる見習いの俺が?
今の俺に、人を助けるための大した力なんてない、彼女の言う通り、手持ちの優しさだけあげれば、後はしてあげられることなんてもう無いのだ。ここでこうして引き留めたって、俺は彼女の何かを邪魔しているだけだ。
引き際だ。力ない勇者はこれ以上進めない。
「……帰ったら、あったかくして寝るんだよ」
「当たり前じゃないですか。私は、寒いのは嫌いなんです」
「……そうだ、これ要る?」
俺はカバンの底から小さな袋を取り出し彼女に差し出す。
「なんですか? それ」
「お守り。君のことを守ってくれるように。君にあげるよ」
「お守り? 私は、特定の神は信仰してないのですが……」
「大丈夫だよ、俺も信じてないし。でも効果あったよ」
俺は彼女にその小袋を押し付ける、たぶん、俺の持ってる中で一番上等なものがそれだだった。
「罰当たりですね。その内、罰とか当ててくるんじゃないですか?」
「まぁまぁ」
じゃあ、ありがたく貰います……と、彼女はそれを懐の中にしまった。
「じゃ、俺は帰るね」
「……はい」
俺は、街角に消えていく彼女の後ろ姿を見送った。




