休み時間、迷子の蝙蝠*
時系列:この回だけちょっと戻ります。キョウゲツ、キララ、ヒカリの三人で、四合目ー六合目を攻略した後くらいです。
「あ、居たわね人間」
見た目には少女、背中に黒く小さい羽を生やした少女は、斜面の上で、宙を浮きつつ俺を見下ろしている。
「ちょうどいいわ。あなたに犠牲になってもらおうかしら」
*
シルベヤマ四合目、先日は三人で攻略した山道を、今日は一人きりで登っている。ここらで出会うモンスターは、俺が一人で対処するにはまだ厳しかったが、だからこそいい練習になると、俺は一人、異界の山を登っていた。
風にざわめく山の木々、視界は天へと伸びる多くの枝葉によって遮られ、地上には日の光は乏しい。かすかに漏れて落ちてくる木漏れ日も、風に合わせて揺れている。土の匂いがする。道は、ずっと登る斜面で、進めば足への疲労はどんどん溜まる。風が、火照った頬の熱を少しだけ冷ましてくれる。
その少女は、不意に俺の視界に現れた。
彼女は、何の前触れもなしに、木の陰からふらっと現れた。彼女は、黒く、華奢なドレスをまとった少女だった。背中には、蝙蝠のような黒く小さい羽が付いており、彼女は小さな羽をはためかせ、ふよふよと空中を浮遊して移動している。
一目で分かる、普通じゃない。まぁこんな場所で誰かと出会うこと自体おかしい。
けれど俺は、彼女があまりにも自然としていたので、その違和感を気にしなかった。
少女はやがてこちらに気づき、俺を見つけてぱちくりと目を瞬かせる。あっちの少女も、誰かと遭遇することは予期していなかったようだ。
「やぁこんにちは。こんな所で奇遇ですね。あなたも登山客ですか?」
俺が話しかければ、くいと、不思議そうに彼女は首を傾げる。
「あなたは、私が普通の人間に見えるの?」
「……おおまかには?」
彼女は空中で、スンとした表情で俺の方を見下ろし続けている。すとんと、彼女の両足が地面を付いた。
「私は魔王軍所属、“ヴァンパイア・バット”のヴァイオニット」
………………は? 今、なんて? 俺の思考が一瞬凍る。
「ちょうどいいわ。使いやすい人間が欲しかったの。あなたにしてあげる」
直後、俺の両脇から伸びてきた黒い手、俺はそれをほぼ直感だけで背後に避けていた。影の手は、目の前で衝突、交差した二つの影の手が、まるで金属同士が擦れているかのようなけたたましい音を立てて動いている。
「あら、勘がいいのね」
黒い影のような手が、遠回りして少女の背中へと戻っていく、攻撃したのはこの少女の意思だ、それは俺へと向けて放たれた。
「な、な、なに!? だれ!!?」
「あら、今言わなかったかしら? 私は魔王軍の手の者。あなた、勘が鈍いの?」
「ど、どうして!? どうして俺を攻撃するの!?」
「理由が必要? 私は魔王軍、あなたは勇者」
彼女の背後にある影の中から、無数の手が伸び、手の先には三つ爪が鋭く付いている。少女の背後に帯のような影がいくつも現れ、垂れて、まるで九尾の狐のようにそこに構えている。
な……なんだ今の攻撃!? 当たったら、俺の体が危なかった、俺の思考がようやく攻撃に付いてくる。
「て……敵?」
「深く考える必要はないわ。私はあなたが欲しいの、だから、まずは痛めつけて弱らせる」
「い、今は……だって、魔王と勇者は、争ってないって」
「話は終わりよ」
彼女の背後、無数の影の手が持ち上がり、今か今かと揺れて俺に向いている。風になびく包帯のような形状だが、さきほどの威力を見るに、その影は鋼くらいの強度がある。俺の思考は冷めていく。
「……俺が、欲しいって?」
「そう。玩具が欲しいの」
「おもちゃって何するの?」
「それを玩具が知る必要はないわ」
来た。同時に七本、黒い揺らめく影のような帯が、俺めがけて勢い良く伸びてくる。右に避けても左に避けても逃げ場はなく、背中を見せて走っても追いつかれる、もちろん正面にも逃げ道はない。なら―
俺は無言で武器に込めたスキルを発動させる。俺の体は足場を失い、重力に任せて暗闇の水面へと落ちていく。
音が籠もる。俺の視界は地下へと潜る、地面の下から、俺の足元を執拗に攻撃し通り抜けていく影の手と、向こうの地面で、俺が居た地面を興味深げに見つめている浮遊している少女とが見えた。
俺の体は上向きの浮力に引かれ、やがて地上へと戻される。音が、地上の空気が戻ってくる。しゅるしゅると、伸びた手が彼女の背中の影へと戻っていく。
「へぇ、面白い技ね」
「争いたくない。話し合いでどうにかならない?」
「なに?」
「遊び相手が欲しいのなら、付き合ってあげるからさ」
少女はくすと、笑みを漏らした。
「そうね。まずは、一生外れない首輪を付けてあげる」
「……お洒落なのがいいな」
「降伏の印に、こうべを垂れてくれる? 私の手が首に届きにくいわ」
「実は首を痛めててね。そっちが両手を挙げて、こちらに来てくれない?」
「そう。でも、首の痛みだけなんて、すぐに気にならなくなる」
また来る、俺はすぐさまスキルを発動させ、地面へと潜り移動する、俺の居た地上を無数の黒い手が通り過ぎて……彼女の目線が、移動する俺の地上の影を追っている、黒い手の軌道が曲がり、再び俺の影へと迫ってくる! まずい! 俺の体は浮力に引かれて今地上へと上がる!
音が戻った、そう思った瞬間、俺は凄まじい力に突き飛ばされ俺の体は地面を転がる、背中に木の幹が当たって俺の体は無理矢理に止まった。視界がぼやける、体の節々が痛い、目線が合えば、彼女が空に浮き、じっと俺を見下ろしている。
「ふふ。寝てていいの?」
俺は飛び起き、咄嗟に右へと転がる、直後、無数の手が俺の背後にあった木の幹へとぶつかり、その体を削っていった。木は音を立てながら、そこでゆっくりと傾いていった。
「おもちゃは大事に扱いなよ!」
「気が早いわ。まだあなたは私の玩具じゃないの」
……やるしかないのか。彼女の攻撃には容赦がない。このまま、やられっぱなしではいずれ俺に攻撃が当たる、当たれば俺は無事では済まない。彼女に捕まればどうなるかは分からない。安易に逃げさせてくれる?
「いい顔になったわね。その反抗的な目つき。もっと虐めてあげたくなるわ」
彼女は向こうで、蕩けた笑みを浮かべながら浮いている。
「……少しだけ、乱暴してもいい?」
「あら、ダメって言ったらやめてくれるの?」
「……」
「じゃあダメ」
俺は手元に魔力を溜めていく。
「攻撃するよ」
「その宣言は必要なの?」
俺は手を彼女に向けた。
「“風刃”っ!」
俺の手から三叉の槍が放たれる、それは三つの、刃のような風の線、螺旋を描きながらまっすぐ彼女へ向けて飛んでいく。
彼女は目を見張り、背中から無数の影の手が飛び出した、彼女の前方でそれらは幾重にも重なり、三叉の槍を受け止める。捻じれた三叉の槍は、それらすべての黒い帯を弾き飛ばした。風の刃は役目を終え、空気に消えていく。
俺はその時にはもう、剣を構えて彼女の目の前まで迫っている。
「はぁっ!!」
俺は、彼女の首を狙い、下から剣を振り上げた。それは彼女の首に到達する前に、真横でその刃が止まった。俺の剣と、彼女の首との間には、黒い帯が一枚挟まっている。
「覚悟が足りないわ」
「……」
「殺せないということは、殺されるということよ」
俺の剣は、黒い帯に触れる前に止まった。攻撃を妨がれた訳じゃない。俺が、自分で攻撃の手を止めた。自分で止めた。
俺と彼女の間にある帯は、そろそろとこちらに伸びてくる、その三つに尖った切っ先が俺の方へと伸びてきて、俺の額へと突きつけられる。俺の剣は、まだ動かない。
「……君が可愛いから、傷つけるのがもったいないね」
「あら、可愛いことを言うのね」
「そこまでです!!」
不意に、山の中に大声が響いた。声のする方には一人の女性が立っている、白いマントを羽織り、自分の背丈ほどもあるような大きな大剣を手に構え、立っている。
「それ以上、私の後輩に手出しはさせませんよ!」
目の前のコウモリ少女は、お姉さんの方に目線を向けた。じっと見ている……あのお姉さんは、この子にとって脅威なのだろうか? と、彼女は唐突に呟く。
「今日のお遊びは、もう終わりね」
「……」
「また会いましょう?」
少女は俺に目を合わせて、くすと笑った。その瞬間、目の前から白煙が沸き起こる、煙の中から一匹の小さなコウモリが現れ、空を羽ばたき、飛び出ていくのが見える。
「大丈夫でしたか! キョウゲツくん!!」
と、白いマントのお姉さんは、逃げ行くコウモリを鋭く見つめながらこちらへと駆けてくる。
「“先生”からの救援要請を受けて助けに来ました、勇者見習いのミズノと言います」
お姉さんは、コウモリの行き先を十分に見送った。俺に目を合わせ、明朗快活に名乗りを上げてくる。安心する笑みが俺を見下ろす。
その顔を見て、俺の中の力が、ふっと抜けていく。
「……ぇえっ! 大丈夫ですかキョウゲツくん!」
よろけた俺の体を、がしっと彼女が両手で掴み、止めてくれる。
「……あぁすみません、緊張が解けて、ちょっと力が……」
「大丈夫ですよ! 大きなケガなどはありませんか? 少し休んで、教室に戻って治療を受けましょう! 大丈夫です、すぐに痛いのなんて無くなりますよ! 記憶もちょっと!」
≪ひとくちモンスターずかん≫
ヴァンパイア・バット
”吸血鬼”と呼ばれるモンスターの近くにいくつか飛んでいる、強めのコウモリ。血を吸うのが好き。全体でみると強めのモンスターだが、”吸血鬼”と相対するような人間からすると、強いやつの近くにいる弱いやつ。




