第二話、蛍火の里
水の流れる音がどこかから聞こえている。俺たちは木々に紛れた山中の道を歩いている。空は緑の葉っぱが連なって覆われており、足元には落ち葉が積み重なり、道らしき、頼りない歩けそうなルートを辿って、どうにか俺たちは進んでいく。
「先生、本当にこっちで合ってるんですか?」
後ろを歩く、銀色の綺麗な髪の少女が俺に問いかけてくる。
「道しるべの“釘”に沿って歩いてるから大丈夫だよ」
俺がそう返せば、俺の手前を歩く、白い髪の子供が口を挟んでくる。
「その論法は危険だぞアオイ。深層では、龍脈による地形変動がそう珍しくない。昨日歩いた道が、今日変わっていることもある」
俺は先を歩く子供に返す。
「この辺りでその地形変動の痕跡は見えましたか?」
「別に」
「じゃあ今言わなくて良くないですか?」
やがて、視界が開けた。
俺たちは崖の上に出た。崖の下には、石の河原と深くて透明な川が流れている。水は、右手を上流にして左手へと流れていく。水が削って出来た渓谷だ。鬱陶しい緑の天井が途切れ、ようやく視界が晴れて、空を見渡せる。
「ここまで来たら、後はもうすぐだね」
白い髪の子供は崖の間際に立ち、真下の川を見下ろしている。山の木々が切れ、見上げれば、今日も青い空が広がっている。
「おんやぁ?」
渓谷の上に渡された木製の吊り橋を渡っていると、俺たちの足音に、向こう側に居た人間がこちらに気づいた。
すげぇ、深層にも人間が居るんだ。初遭遇だ。昔の記憶なら忘れました。
つり橋を渡ってくる三人の子供。向こうの、おそらくはこの里の住人と思われるおじさんがこちらを見る目は、決して優しくない。
まぁ、こんな僻地を歩いて知らない子供が山の中から現れたら、俺だって警戒する。それはモンスターの擬態か、はたまた物の怪の類か。
「そこで止まりなさい」
吊り橋を渡りきる前に、おじさんがこちらに言ってくる。俺たちは素直に言葉に従い立ち止まる。今は、足の下は透けて遠く川原が見えている。風に景色が揺れる。
「何者かね」
「旅の者です」
向こうからは、乾いた応えが返る。そりゃ疑っているだろう。
「ほう。子供だけでかね」
「そうですね。連れは、ここに居る三人で全てです」
「ふむ……」
と、こちらを訝しむ目が、俺たちを順番に見て行って。
そして、先頭に居る、白い髪の子供に止まる。
「……いや、待てよ……? 旅をする白髪の子供……あんたまさか……“放浪の賢者様”か……?」
彼女はやはり、何でもないことのように頷く。
「そうだよ。その呼び名は、僕を指すものだ」
と、一転、彼は慌てた様子でその場を後にする。
「す、すんません! 今すぐ長を……いえ、長の元まで案内しますんで!」
「おやおや……これまた、ずいぶん小さくなられて……」
「変わってないよ」
俺たちは、渓谷の崖上に作られた集落を案内される。ひときわ大きな三角屋根の民家があり、俺たちはその中へと通される。
中はワンルーム。土間があり、一段上がって部屋がある。見上げれば、壁と壁との間を渡る木製の梁が、中を横切って浮いている。
中には白髪のおじいさんが、座布団らしき布の塊の上に座っていた。俺たちは促されるまま、部屋の上へと上がっていく。
「して……此度は、何用でこちらに……?」
「特に用はないよ。僕の記憶違いでなければ、この時期にお祭りが開かれるはずだ。できれば見ていきたいな」
「ほう……」
「無いのなら、僕たちは野宿もできるけど、空いている家屋や軒下があれば貸して欲しい」
「ふむ……」
「僕は手が器用で、求められたことは何でもできる。この里に滞在している間、お困りごと、人手が足りなければぜひ手を貸すよ。あなたも、何か僕に出来ることがあれば言ってくれ」
ぱぁ、と、しらがのおじいさんの顔が明るく変わる。
「そうですか! いやぁ、賢者様のお知恵を借りられるとは有り難い。ぜひ、好きなだけ里に留まってくださいな。空いている家屋が里のはずれにあります。ささやかながら、ご食事も用意させていただきますので」
「本当かい? それは楽しみだ! 食料の備えは大丈夫なのかい?」
おじいさんは鷹揚に頷く。
「はい。祭りの時期となれば、少なからずこの里にも人が訪れます。宴のために、食料も蓄えがありますので」
「深層の人里は閉鎖的な場所も少なくない。けれど、彼らだって孤立するのは嫌でね、“お祭り”という形で、外の人を呼び込むことがある。深層を渡り歩くなら、各地に点々と存在する人里を足掛かりにするのは必要不可欠だ」
俺たちは、山の中に拓かれた小さな集落の中を歩いていく。家屋を数えてみれば、大体30から、多くとも100人程度の村だろうか。
「近くで祭りをやっている村があれば、優先的に訪れるといい。一度できた縁もそうそう切れない。良くも悪くもね」
俺たちは里の中を歩きながら、師匠のありがたい言葉を聞く。
「だって。分かった? ツバキ」
「私はまだ深層を歩く意思は見せていませんよ。今回は先生に付き合ってあげているだけです」
離れにある、また一つの家屋。三角屋根の、木造の家だ。がらがらと引き戸を開けて中を見る。
中に入れば暗い、高い所にある白く曇った向こうから、外の光が漏れて入って来ている。若干埃が落ちていれば、掃除をすればすぐだろう。
「じゃあ俺は中を掃除しとくんで。師匠は適当に外を歩いといてください」
「うむ」
「先生がやるんですか? では私も」
と、言い出すツバキの手を俺は止める。
「あぁいいよ。幼い子供の顔の方が、いろいろ気を緩めて話をしてくれやすいんだ。ツバキも、出来れば一緒に里の中を回って、里の人たちの話を聞いてきてくれる?」
なるほど、というようにツバキの表情が変わる。
「情報収集だ」
「里に居る間に、出来るだけ早く役に立つこと、使えることを見せておくと、滞在中にもいろいろ顔が利くからね。ツバキも、一人で旅をするのなら、人の家に入り込むスキルを、学んでおくといいよ」
「なるほど、流れた葉っぱが詰まっちゃってるんだね。ちょっと待って」
青空の下、平地に切り開かれた田んぼ。川から引かれた水が深い水路を渡って流れていく。水路の隣には小屋があり、小屋の脇には木製の、大きな水車が付いている。
「お、おい嬢ちゃん、あんまりのぞき込むとあぶねーぞ? 確かにして欲しいとは言ったが、別に自分で出来ないって訳じゃねー、俺が後ですりゃいい話だ」
「大丈夫。僕に任せて。里の中で魔法は使っていいんだよね?」
「あ、あぁ。物を壊すようなものでなけりゃな」
師匠が水路の水面に手を浸す。彼女の手を、青い魔力が流れ出す。するとどうだ、水中の中でひとりでに水流が生まれ、水面を立ち上がり、それは水車を詰まらせた長い草の塊に当てられる。
師匠こと“空の賢者”は才能の天才である。彼女の体はすべての属性の魔力に適性があり、あらゆる属性のあらゆる魔法が使える。ちなみに俺も魔法の適性は全属性あるのであまり凄さは分かっていない。
太い水流が、水車に引っかかった草の塊を徐々にほどいていく。やがて草の塊は水面に浮いて、水車は回り、取れたごみはそのまま水面を流れていく。
「終わったよー」
と、案内してくれたおじさんは、ほえーと白い髪の子供を見つめている。
「あんた、それも魔法かい? 器用なもんだな」
「まぁね。僕は大抵の問題を人より手早く終わらせられる。ほかに、お困りごとは無いかい?」
「そうさなぁ……そういや、向かいの家の古い置き時計が壊れたって言ってたなぁ」
「時計の修理か。僕に任せて」
「任せてって、賢者さんはそんなことまで出来んのか?」
「そうだよ。むしろ細工は得意分野だ」
対話する二人を追って、俺たちはただその後ろを付いて歩いていく。青空の下、ここは田んぼの広がる山に囲まれた平地。明るいあぜ道を俺たちは歩いていく。
「なんだか……意外、ですね」
と、隣を歩くツバキが、俺に頭を寄せて、小声で話しかけてくる。
「何が?」
「いや……大物だと聞いていた割には、こんな……小間使いのようなものまで、しなさるのかと」
俺たちの目は、前を歩く白く小さな頭に向いた。
「そうだね。ここは危険で未知に溢れた深層という世界の中だ。その中で暮らしている、住人たちの知っている情報はとても有用なものとなるし、拠点を構えるとなったら、やっぱりこういった人里の中の方が安定する。深層を歩くには、その地の人々と信用、信頼を築くのは、重要なことだよ」
銀髪の少女は、やはり不可解といった表情で前を向いている。
「しかし……彼女は、いわゆる“偉人”という奴ですよね? もっとこう、大きな問題に当たった方が、目立つし、効率的じゃないですか?」
なるほど、と、俺は少女の疑問を理解する。
「“空の賢者”は、言わば伝承の中の存在、お伽噺の中の英雄なんだ。そこに人間性はないし、伝承の中の存在に、信頼も、親近感もないね。信頼っていうのはね、ツバキ」
俺は、ちらりと隣の少女を見る。
「つまり、自分の生活を助けてくれる存在なのさ」
「生活を助けてくれる……?」
「そう。例えばこの近くで火山の噴火でも起きて、それを師匠があらかじめ教えてくれたっていうのなら、師匠の信頼はそれ一つで爆上がりだろうよ。でもさ、深層の中にある人里だと言ったって、いつも危機に瀕していて、いつもどうにもならない困難を抱えているわけじゃない」
俺は、前を見ながら、親しげに住人と話す師匠の背中を見つめる。
「師匠は、いわば長すぎる帯。帯って分かるかな? 帯に短し襷に長し。日常では、ほとんどの場合師匠は無用の長物ってわけ。里で暮らしている間、何の役にも立たず、ただ飯を食べて去っていくだけじゃ、あまり人々の心証は良くないよね。いくら人を救っている英雄でもね。だから、信頼がない間は、あぁやって、小さな所から信頼を稼いでいくってわけ」
ふーんと、納得したように、銀髪の少女は前を見つめる。
「私は、伝説の中の存在というのは、もっとこう、ふんぞり返っているものだと思っていました」
「ふんぞり返っているだけで生きていけるのなら、もしかしたら師匠もそうしたかもね。でもここは深層で、師匠は未知がどう危険なのかも知っている」
と、前を歩くおじさんが、苦笑しながらこちらを振り返る。
「お前さんらは、ずいぶんと小難しい話をしているんだな」
師匠もまたこちらをちらと見て、それからおじさんの方を見上げる。
「まだ未熟な賢者の弟子さ。彼らの言動は気にしないでくれ。そんなことより、最近ここらで異変とかはないかい? ほら、もうすぐ“あの”祭りだろう?」
師匠に聞かれ、おじさんはうーんと唸っている。
「まぁ、山はどことなく浮ついているけど、それは祭りの前はいつものことだしなぁ。でもそういや、近くででかめの影を見たって話も―」
今日は、止まった水車を動かし、壊れた時計を修理し、村で飼っている病気の鳥の診断と手当てをして、それから離れた所にある社までの参道を掃除して回った。




