勇者、迷子の仔兎
街で困っている女の子を見つけた。その小さな女の子は、一人きりで、今にも泣き出しそうな顔で、おどおどと、落ち着かなく周りを見ていた。俺は、前と同じように、勇気を抱いて一歩踏み出す。
「どうかしたの?」
俺が声を掛けると、びくり、少女は肩を跳ね上げる。おそるおそる、少女はこちらを振り向いた。俺は柔らかく意識して笑いかける。
「大丈夫、変な奴じゃないよ。俺は勇者。と言っても、まだ見習いだけどね」
俺は茶化したように述べる。勇者、その単語を聞いた途端、少女の瞳孔が大きく開く。
だっと、次の瞬間には俺から背中を向けて走り出していた。えぇ……? あれ、”勇者”に何かトラウマでもあるのだろうか……手を付けちゃったことだし……と、彼女の背中を追いかけたことが、この出来事の分岐点だったのだろう。
少女は街の構造に詳しくなかったようで、すぐに道の行き止まりを引き、囲まれた高い赤レンガの塀を忙しなく見渡していた。そして、追って現れた俺の足音を見て、彼女は絶望する。
「ま、待って! 別に取って食おうって訳じゃないから! ただ、なんだか君が困ってそうだったから、力になってあげたいなって……」
俺はどうにか見失わずに彼女に追いついて、その場で膝に手を付いて息をする。
「力に……私の……?」
彼女はか細い声で、怯えた様子で俺の方を見ている。
「ご、ごめんね、なんだか怖がらせちゃったみたいで。なんか放っておけなくってさ。助けが必要じゃないって言うんなら、ぜんぜん俺は帰るし。でも、本当に困ってるんだったら、例えばこの街に詳しくないから案内してって、それくらいのことでも言ってくれていいよ。知り合いの冒険者の女の子が居るんだ、俺が怖いって言うんなら彼女に言ってもいいよ、その……」
俺はどうにかその子の警戒を解こうと言葉を述べ続ける。と、彼女は俺の言葉を聞いているうちに、徐々に体の強張りを解いていく。
「私を……助けて……くれるん、ですか?」
「俺でよければ、力になるよ」
これナンパかなぁ? ナンパっぽいなぁ……。俺は、どうでもいいことを考えながら、笑顔を浮かべて彼女に近づいていく。
「へー、身分を証明するものがなくて、冒険者にもなれなくて、お金もなく、仕事も就けず。それで困ってたんだ」
「……はい」
街の、適当な木陰のベンチ。通りから少し離れた小さな広場で、少し向こうには通りがあり、俺たちはその行きかう人たちをを眺めながら、ベンチに座って話している。
「お腹は? 空いてる?」
「……いえ。まだ、大丈夫です」
「身分証明ってどうやって発行するんだろうね。一緒に、役所みたいな所に行ってみる?」
彼女はふるふると小さく首を振る。行きたくない? 行けない?
「……今まで何してたとか、どこからここに来たとかは、聞かれたくない感じか」
少女は俺から目を逸らしながら、ゆっくりと首肯を返した。
「困ったねぇ……」
「……ここで生活が出来ないようなら、外へ帰ります。無理にここで暮らしたいとも、思いません」
「外? そっちには家があるの?」
「野で、適当に獣を狩って……」
「へー、サバイバル出来るんだ! すごいね!」
少女はちらと俺の目を見上げ、また俯いて地面を見る。
「じゃあもう外に帰るの?」
「……あの……あなたが、助けてくれるって話では……」
「俺が? 見習いの勇者に出来ることなんて限られてるけど。まぁ出来る範囲で手を貸すよ。何をして欲しい?」
「……」
「ねぇ、もう外に帰るの? なら俺も付いて行っていいかな? 俺もサバイバルやってみたい!」
少女はゆっくりと目線を上げ、俺に視線を合わせた。
「……あなたは、興味本位で、首を突っ込んできただけなんですね……」
「何かして欲しいことがあったら聞くよ? ぜんぜん」
「……じゃあ肩叩いてください」
「おっけー」
俺は少女の背後に回り、彼女の肩をぺしぺし叩く。硬かった。岩かな?
「お客さん凝ってますねー」
「……柔らかい布団で、寝れてないので」
「宿にも泊まれないの?」
「お金ないので……」
「かわいそうだねー」
うちに泊まる? は、さすがに踏み込みすぎか。
「恵んでくれないんですか?」
少女は、ちらと俺の顔を窺ってくる。
「君の抱えてる問題は、少額のお金で解決できる?」
「……」
「今日のご飯代くらいはあげられるよ。俺が自分で稼いだんだー」
「……」
少女は何も言わず、ただ後ろから俺に肩を叩かれるままでいる。風が吹いて頭上の葉っぱが騒いでいる。背後の柵の向こうは崖の下で、下っていく街の景色が広がっている。
「……聞かないんですか?」
「うん?」
「私が、何者なんだとか。危ない奴じゃないのか、とか」
「そうだねー。言ってくれたら、力を貸せる範囲が増えるかも」
「無理には、聞かないんですね」
「俺は別に警察や衛兵じゃないし。危ない奴が暴れてたら、それから市民を守る、それが勇者の仕事。の、見習いだね俺は」
少女は静かに俺の言葉を聞いている。
「人類の敵と戦うんですか?」
「うん。まだ表に立って戦ったことは、ないんだけど」
「じゃあ例えば。私がここで急に暴れだしたら、あなたは私と戦うんですね」
「君くらいなら、後ろから抱え上げるだけで十分じゃない?」
ちらと、控えめに彼女は俺の顔を見た。くるりと身を反転させてこちらを向き、少女は俺の首に手を伸ばす。冷たい手の温度が俺の首の周りを包んだ。彼女はその一連の行動を、蛇のようにするりと終わらせた。彼女は俺の首を包んだまま、言ってくる。
「私は力が強いですよ。私が十分な力を入れたら、あなたの首はへし折れる」
「こわいねー」
「本当ですよ。私の手をどかしてみてください」
俺が彼女の腕に手を添えると、細い腕だった。それを左右にどけようとしたが、それはまるで空間に固定でもされているかのように、ピクリとも動かせなかった。石かな?
「力つよーい」
「……私の言葉を信じてないんですか? 私はいつでも、あなたをどうとでも出来る」
「君はここに、この街に、平和な人の街に馴染みに来たんでしょ?」
「……」
「じゃあしないんじゃない?」
少女は少し黙った後、言い返してくる。
「……もう帰るとこです」
「お土産とか要る?」
ベンチに座ったままの彼女は、じっと、俺の表情の些細な変化でも逃さないようにと、じっと綺麗な目で見上げ続けている。ここはちょうど木の陰になっていて、風が吹けば少し肌寒いくらいだ。周りからは何をしていると思われるだろう。
少女はふっと息を吐き、俺の首から手を緩めた。
「わーい自由だー」
「……ここであなたを殺しても何にもなりません。負うのはリスクだけ」
「安易に殺すとか言っちゃダメだよー」
彼女は、はぁ、と小さく溜め息をつく。彼女は迷いなく立ち上がった。
「私を助けてくれるんでしたよね。では、お勧めのお店を教えてください。食事を持ち帰れるところを。仲間への土産にします」
「おっけー。美味しいお弁当のお店だよねー。あんまり高くなくても大丈夫?」
「施しは要りません。自分で買いますから」
「んじゃ行こっかー。少し歩くけど大丈夫ー?」
「大丈夫じゃないって言ったら、どうするんですか」
「負ぶって行ってあげるよ」
「私汚れてますよ。臭いとか汚れとか、移るかも」
「じゃあやめる」
「……」
「うそうそ。要望通りの持ち方で運んで、痛ぇ!」
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