第百十五話、時の階梯―II
俺は空から降りてくる人影に、言葉を失った。透けた氷で作られた両翼、銀色の髪をなびかせて彼女は空から落ちてくる。
「……ッ馬鹿野郎!! 来るな!!」
「私だって戦えます!!」
山の中の縦穴、そこに広がる花畑の広場に、彼女が降り立つ。ロッドはすでに氷に覆われ、槍先には青い結晶の破片が埋まっている。
「誰が使っていいって言った!!」
「先生が死んだら何も意味ないじゃないですか!!」
くそっ、ここで言い争っている場合じゃない。説教は後だ。
「地面に氷を展開しろ!! 相手は時間の加速と減速を操る剣士だ! 加速中でも地形を無視して動けるわけじゃない! 足が滑る平らな氷だ!」
「了解です!」
背後にはツバキとバットが地面に居る、ツバキが地面に突いた槍から氷が広がり、花を薙ぎ倒して平らに地面を覆っていく。時魔法を使った軽い体では、まともに氷の上で動けないだろう。これで、彼女らには近づこうと思わない、はず。
一方で、俺も氷の上では戦えない。俺が氷の上に居ても有利を取れないし、三人とも氷のフィールドに居れば相手が優先的に俺を狙う理由もなくなる。相手の時魔法に対しては、行動を常に先手で予測したい、相手の行動は狭められる方がいい。
俺は地面を広がる氷に対して、向こうの白黒の影を睨みながら、剣を構えて氷のない地面へと移動していく。やがて十分な広さの氷のフィールドが出来上がり、広がるのが止まった。
向こうは新たな参入に、様子を見て動かないでいた。揺れる顔は、やがて俺の方に定まる。
相手の体に虹色のエフェクトが現れる。
来る。
目の前に、刀を持った人影が現れた。奴は俺の首元へと、刀の切っ先を向けて突いてくる。
これは“見せられている”。相手がわざわざ俺の視界から切り掛かってくる理由がない。そして相手の服のはためきを見れば分かる、まだ加速中だ。わざと遅く動いて、この軽いはずの一撃に対応しなければならない、俺にそう思わせるためのブラフだ。
相手のゴールは有効的な一撃を俺に与えること、それは加速が解けた状態の刀の一撃であることが必要だ。しかし、よほどでない限り、俺は全方位からの攻撃に反射で対応できる。だから、相手は俺に“間違った行動”を誘導しているのだ。
この刀の突きはブラフ、俺が引っ掛かった瞬間にどこかから本命の一撃を入れてくる。だから俺は、直剣を握る手に力を込め、わざと剣を上げる動作を見せて、相手の誘いに乗った。
加速した世界で、俺の動きを視認したのだろう。目の前から人影が掻き消える。そして背後に何かしらの気配の出現を確認する。背後で、刀を握り、俺に切り掛かる動きを読み取った。
俺は体内に魔力を流し、背後の気配に向けて体を翻し剣を振り切る。
振り向いて、そこに人影はもう居なかった。
これも……ブラフだった。相手はそもそも、俺が何か行動をするまでフェイントを繰り返していれば良かった、俺が一手を切って、それを見てから後出しで本命の一撃を出せばいい。
背後の空中から、切り掛かってくる気配がある。俺の体では間に合わない、魔力強化も使ったばかりだ。同時に、氷の地面の上空を抜けてくる線が見える。
上空に居た人影を、影の帯の奔流が襲う。人影は影の帯に突き飛ばされ、向こうの地面の上を転がる。
向こうの地面で人影が立ち上がり、刀を構えてバットを見る。
「そっちに行くぞ!!!」
途端、氷の地面の上、垂直に白い障壁が持ち上がる。バットがツバキを抱え、重そうに空中へと浮かび上がる。
向こうの人影は、空中の二人を見ていたが、やがて、視線が俺へと戻ってくる。
危ない……ひやひやする。上空でふわふわと二人が浮かび、俺と奴は花畑の地面の上に居る。地面を覆っていた氷が、彼女が離れると同時に、溶けて縮小を始める。
おそらく、処理の優先度が上がれば奴はバットやツバキも狙う。氷の上では体勢を整えにくい、とはいえ、相手は加速持ち。どちらにしろ一瞬で近づかれ、捨て身で攻撃しにくれば二人には致命打が入る。
二人は今空中に居る、つまりバットは今援護の影を飛ばせない。今の状況で再び時の賢者からの痛手を貰えば、俺はそれを防げない、最悪はそのまま死ぬ。
相手の動きも見えてきた。同時に、相手も俺の動きが見えてきた。どんどん俺に迫る刃の精度は高くなる。長く続けていれば、先に落ちるのは俺の方だろう。
そして俺はもう気付いている。俺の実力では届かない。何かの偶然で相手を倒せるとして、その何十倍もの可能性で相手の偶然で俺が負ける。
今の俺では勝てない。だから、ここで強くならないといけない。
魔力強化にはいくつかの段階がある。まずは“部分の強化”だ。殴られる瞬間に体を強化しダメージを軽減する、筋肉を強化して一時的に力を増幅する。これが一段階。
次に“動作の強化”だ。物を殴る、ジャンプする、剣を振る、走る、そういう一つの動作に必要な肉体の部分を強化して、一つの動作の強化を図る。これには、一つの動作にどの筋肉を使うか、どれくらいの強化をしていいかなどの、慣れやバランス感覚が必要だ。
俺が今出来ているのはここまで。
次の段階は、“一連の動作の強化”。それは一つ一つの動作の組み合わせだ。例えば、今居る場所から向こうの地面へと走り終わるまでに、あるいは相手に切り掛かって切り終わるまで、など、”二つの時刻の間に使うすべての動作”に魔力強化を行い、事を終える。
もちろん、慣れたら事前に思考の準備をせずとも感覚で使えるのだろうが、俺の魔力強化の場合、強化は体の動きを加速させる方向に働く。
俺が魔力強化を使えば、動作が一瞬で終わる。俺はこの一瞬の間に起こることには反応しきれないので、一連の動作は事前に頭の中で組み立て、決まったコマンドを入力するかのように次々と体を動かし、認識せずに終わりの瞬間まで駆け抜ける。
要は、一瞬で終わるから、先にその一瞬の間の全てを考えておく必要があるのだ。もちろん、その間で使うすべての魔力強化の使い方も、俺がすでに熟知している必要がある。
この”一連の魔力強化”の使用には、各動作での魔力強化の使用に慣れておく必要があった。だから、今まで難しかったし、今もまだ難しい。
けれど、相手の加速する時間に追いつくには、今、この技術が必要になる。
俺は剣を構えなおし、向こうの人影を見つめる。
重要なのは、始めと終わり、それからその間に起こるすべての手順の把握。相手と違い、俺は体が速くなっても頭は速くならない。
俺は全身に風の魔力を流し、そして、全身の細胞を活性化させる。
俺は低く体を屈める。地面を駆け抜け、空中に跳べば機動力を失うので跳ばず、相手の地面の直前でさらに踏み込み、剣を振り上げ、切り上げる。切った後、俺の魔力強化は終わる。ここまでが想定する一つ。
俺は低く体を屈め、そして切り終わった。黒い渦の向こうで驚愕に目を見開いた人影は、刀を盾にして、刀ごと俺の剣に斬られており、体に浅く傷を作った。
人影はよろめく。俺は追撃を考えたが、相手の次の行動が来る。
相手の体の直上に、色んな絵の具を混ぜて作ったような、一粒の色の濁った雫が現れる。それは人影の左肩の上辺りに出現し、落ちて、奴の体に染み込んだ。
俺は咄嗟に剣を縦にして、相手の攻撃に備える。相手の体が加速し、刀が振られた。
俺は重い衝撃に体を吹っ飛ばされ、ごろごろと地面を転がる。すぐさま立ち上がったが、奴は、向こうの地面で改めて刀を構え直している所だった。
ついに……本気になったか。




