第三十九話、月の下の果 ーII
やがて、彼女の言うとおりに道の先に丘が見えた。それは、道を外れて斜面を上がっていって、大地から突き出て、向こうで崖になっている。
「お前の行きたいっていうのは、あの崖の上か?」
「そうです」
さっきのを見るに、この子は少しの距離を動くにも遅く、疲れそうだった。俺たちの足ではここまですぐだったが、彼女の足ではいったい何日、あるいは何週間掛かるのか。慣れない道中で食事だって探さないといけない。
「じゃあ、車に乗ったまま、あの丘の上まで行こうか」
荷車は重いが、燃料には多少余裕があるし、馬力もある。これくらいのオフロードの斜面でも、まぁ登って行けるだろう。
俺は荷車を先導して、草の上を歩いていく。そこは森の中でひときわ突き出た丘だった。辺りはそろそろ暗くなってきて、丘の先の木の隣に月が見えている。
少し掛かって、荷車は丘の上まで付いた。崖の上からは森の景色が見渡せる。俺は荷車の車輪をロックして、少女を荷車の上から降ろしていく。
「ずいぶん離れたところに居たんだな」
「大きな鳥にさらわれて……あっちまで」
「そりゃ災難だったな」
俺は荷車の入り口の外から、少女に両手を伸ばす。植物型の少女は、じっと俺の両手を眺めている。
「……? 降りないのか?」
「……どうして?」
「何がだ?」
「どうして、わたしの言うことを信じてくれた?」
なに? 救助者アンケート?
「信じてはないよ」
「……」
「疑ってもいない。俺はそういうのを見分けるのは苦手だから。だから、信じも疑いもせず、ただ言葉に従っただけ。今のところ、君は嘘は吐いてないみたいだね」
結果的に。少女は、荷車の上からぼーっと俺のことを見下ろしている。
「……襲われたら? わたしが、あなたたちを襲ってたらどうした?」
「その前に俺が止めるよ。この子らに被害は出させない」
「……あなたが、強いから? だから、私が裏切ろうがどうでも良かった?」
「俺が強い? どうだろうね。俺が君を止めるなら、俺は怪我をするかもしれないし、負けるかもしれないし」
「……」
「違うか。そう難しい話じゃないよ。俺がただ、困ってる君を助けたくて、それ以外の要素が小さかっただけ」
「わたしを助けたい? なんで?」
「なんで? 君が助けてって……そういう、生き物だから?」
「そういう生き物……」
少女は、俺が適当に言った言葉を、口の中で繰り返している。
「……わたし」
「うん」
「もう一生帰れないと思った。高く空にさらわれて、離れた場所まで運ばれて……どうにか助かったけど、私の足では、この場所は遥か遠い場所にあった。なんでこんな目に遭うんだろうって、どうして私だけ、突然、こんな不幸な目に遭うんだって……」
「怖かったねぇ」
「……でも」
俺は、差し出した手を、少女に引っ張られた。意外に強い力で引っ張られ、俺はそっちによろける。少女の体が俺を抱きとめた。
「あなたが来てくれた」
「うん」
「あなたが来てくれたの」
「良かったね」
少女は月の下で、噛み締めるようにそう呟き、俺の体に手を回して、俺の体を抱きしめ続ける。
「あー! ごしゅじんさまが捕食されてますよ!! ツバキ!! ツバキ!! 急いでそいつを引き剝がしてください!」
と、幌の上、今起きたのか、ヒメトラが俺たちの様子を見て騒ぎ出す。
「いやいや、大丈夫だからヒメトラ。これはコミュニケーションだから」
「ちょっと……ちょっとだけ吸っても……」
「ん? あ、おい、腹の刺伸びてきて……おい痛い! 痛い! なんか刺さってる! ツバキー!」
「誰彼構わず好意を振りまいてるからそうなるんですよ、先生。ちょっとは反省したらどうなんですか?」
「いやツバキそんなこと言ってる場合じゃ……力つよ! 離してー! 食べられるー!」
「ちょっとした出来心じゃん。なに? みんなで寄って集って私を殴って。私が何か悪いことした?」
「なんでこの期に及んで開き直れる?」
植物の少女は、体を縄でぐるぐる巻きにされてそこに転がっている。
森の上に突き出た丘の上、丘の上には一本の木が生えており、いっぱいに生えた枝葉が俺たちの頭上で茂っている。夜の空、地平線の上に丸い月が浮かんでいる。森の上で、涼しげな風が吹いている。
「どうします? こいつ。埋める?」
「ここまで来たんだから、最後までやってあげよう。埋めよう、腰から上を」
「逆逆」
ヒメトラとツバキが冷めた目で横たわった少女を見下ろしている。
「さっきいっぱい栄養あげたから、体を刻んで食べたら美味しいんじゃないですか?」
「恐ろしいこと言わないでくれ。君は私を食べるために育てていたのか?」
ツチにまで言われ、俺たち四人に見下ろされ、草の上に横たわって、なおも彼女は元気の減らない様子だ。
「まぁこいつ悪魔だし。人類的には見かけたらやっといた方がいいね」
「違う違う、さっきの感情表現だ。あなたを食べたいくらい好きだよって、そういう愛らしい表現じゃないか。何か誤解してないか?」
俺に言われ、ぺらぺらと少女は並べ立てる。
「痛いのはちょっと趣味じゃないんだ」
「そうか。これでお互いの理解が深まったな。これからはよりよい関係を築いていこう。この縄は何だい? 私は動けないよ?」
「空から落ちたんだし崖から落としても平気だよねって」
「まぁまぁ落ち着き給え。落ちた私をまたここまで誰が運ぶんだ? もう一回荷車に乗せて、私をここまで運んでくるのは骨だよな?」
「なんでもっかい運んでもらえる想定だ?」
「おいおい、ここで私を手放してしまったら、ここまでの苦労が泡になってしまうぞ。いいのか? 自分がやったことが無駄だったとは思いたくないよな?」
こいつ……この期に及んでぺらぺらぺらぺらと……。
丘の上、気持ちのいい風が吹いている。丘の上に一本だけ生えた木が夜空に影をさし、さらさらと木の葉を揺らしている。
「……先生。良いんですか?」
俺は少女の横に屈み、縄に手を付け、解いて彼女の体を起こす。
「俺たちを襲う想定なら、もっと適したタイミングがあっただろ。移動が終わったから襲ったって話も、返り討ちが見えてるのに俺だけ襲うのは周りが見えてない。ついうっかり手を出しちゃったって、こいつの話はまぁ本当だろう」
俺は解き終わった縄をするすると巻き上げ、まとめていく。少女は体に付いた土や草を手で払っている。
「な?」
「“な”じゃない」
「さっきのはキスマークみたいなものだ」
「こいつらに妙なことを教えるな。お前もお前で何を知ってんだ」
ふぅと、植物少女はそこで一息吐いた。
「ここまで、私を運んで来てくれてありがとう」
夜空の下、月明かりに照らされて、植物の肌を持つ少女はそこに佇んでいる。
「もういいのか?」
「あとは、気に入った土に根を張るくらいはまぁ。自分でも出来る」
「ここにずっと、お前は居たのか」
「そうだな」
森の上、景色の良い丘の上だった。見渡しは良くて、けれど側に木があるだけだ。
「ここらを掘り返してみましょう、ごしゅじんさま。人の骨など見つかるかもしれません」
「地面を耕してくれるのはありがたいが、私は人を食べた覚えはないぞ」
「そもそもこんな所に人が来るのか?」
植物少女は、風に吹かれ、その長くて綺麗な髪をたなびかせている。
「来るには来る。ここは目立つからな。流れの旅人、休息に、高い場所からの景色を見に、珍しいモンスターを捕まえに。良い人悪い人、いろいろ」
「探しましょう。あるはずです」
「人は食べてないって言ってるだろ」
植物のモンスターは、ヒメトラの疑いに反抗して否定している。
「お前は、ここに一人で良いのか?」
俺の言葉に、少女はこちらを向いた。
「まぁ植物の感性は知らないがな。一人で、寂しくはないか?」
「寂しい、か。あまり考えたことは無かったな」
「先生」
と、隣でツチが俺に声を掛けてくる。
「一人は寂しいですよ、先生。植物だってモンスターだって。当たり前です」
「……そうか」
「ここに一人で置いていくのは、可哀想です」
ツチは続けて言ってくる。自分の境遇と重ねているのだろうか。
「俺のすることは決まってる。俺はここにずっとは居られない」
ツチは、俺の顔とそこの少女の顔とを交互に見比べる。やがて、ツチは植物の少女の前に出た。
「ねぇ、あなたも一緒に来ない?」
植物の少女は、ツチの提案にぱちくりと目を瞬かせる。
「私たちは旅をしているの。みんなと一緒に、いろんな景色を見て回って。きっと楽しいわ」
植物の少女は驚いていたようだった。ツチの提案から、言葉が返ってくるのには、少し時間が掛かった。
「旅か。考えたこともなかったな。わたしは土に根を張って生きる植物の仲間だから」
「どう? 先生は優しいから、頼んだらきっと受け入れてくれる。私も一緒に頼んであげる」
植物の少女は、静かにツチのことを見返している。
「君は、わたしのことをずいぶん気にかけてくれるんだな」
「私も一人だったの」
植物の少女は、斜面の上で、じっと、ツチのことを見下ろしている。
「わたしには、さして、寂しいという感情が備わっているわけではない」
「……そう」
「けれど確かに、君たちに付いていくのは楽しそうだな」
「ほんと!?」
と、ツチはまるで自分のことのように喜んで、顔に笑顔を浮かべている。
「だって! 先生! 連れて行ってもいいわよね!」
「俺はそいつを拾っていいなんて言ってないぞ」
「え?」
ツチはぱちくりと目を瞬かせる。
「どうしてだ。順調な流れだっただろ」
「順調の意味を調べ直して来い。波乱があっただろ」
「ねぇ先生、こんな時に意地悪は良くないわ!」
「いや、無制限にモンスターを拾って来られても困るんだよな……荷車だってそう大きくないし」
「でかくすればいいんじゃないですか?」
と、ヒメトラも言ってくる。
「俺の金でだろ。でかくしたら通れない道が……まぁ特殊な魔法で、サイズはそのまま内部の空間の圧縮とかは出来るけど……」
あれ出来るの、でかい街のすごい職人とかだし。金も結構掛かるだろうし。そもそも数が増えることの解決にはなってないし。
「ごしゅじんさま! わたしこたつ欲しいです!」
「何思い描いてんだ。家作る気か?」
話が散らばってきたな……とりあえず要望を出し始めたヒメトラを押し戻し、俺は植物の少女に向き直る。
「一緒に来たいか?」
「行きたい!」
思ったより強い返事が返ってくる。
「……仕方ないな。今回だけだぞ」
町に入るたびに“悪魔”の申請とか必要だよな……モンスターのペットの申請とは別で、さらに厳密な、危険性とかの審査も……まぁ入れなきゃ町の外に置いていくか。野ざらしでいいか植物は。
荷車を木の脇に停めなおし、日も落ちたので、俺たちはそこで夜を過ごす準備を始める。丘の上、涼しい風が草の上を吹いていた。




