第三十五話、強さの指標
曇りガラスの向こうではもう日が昇っているのだろう、暗い宿の部屋の中、窓だけが白くぼんやりと光っている。落ち着いた木材の匂いの漂う部屋。ここは静かで、空気も冷たく、部屋の中を見渡せば、床に大きなクッションを置いてそれに埋もれて横たわっているタヌキの姿がある。
今日は休みの日だった。俺はぼーっと、朝の空気に浸りながら、冷たいシーツに額をこする。
「先生、ギルドに行きましょう」
部屋の扉を叩かれて、開くと銀髪の少女がそこに立っている。休みの日だというのに、彼女は冒険用の装備に身を包んでいる。熱心だなぁ。
俺は無言で少女の頭をポンポンと叩き、扉を閉めようとすると閉まらない。見れば、下に彼女の足先が捻じ込まれている。
「ツバキちゃん、今日は休みの日だよ」
「先生、ギルドに行きましょう」
ツバキは閉じかけの扉の向こうで、にこやかに同じ文言を繰り返す。
「ちゃんと休養を取らないと体が大きくならないよ」
「一日休んだら、その分の遅れを取り戻すのに数日掛かるんですよ」
俺は丁寧にツバキの足を外し、扉をぱたんと閉めた。鍵を閉めてベッドへと戻っていく。ふぅ。
「せんせい! 中に入れて! わたしをすてないで! せきにんとって!」
「おぉい! どこで学んできたその言い方!」
俺たちは町のギルドへとやってきた。軽く掲示板の依頼を眺め、内設の売店で軽食を買って、二階の窓の側のテーブルで落ち着き、もそもそと朝食を口にする。ツチはヒメトラに任せてきてしまったが大丈夫だろうか、俺は窓の外を眺めながらちらりと考える。
「ここには、しけた依頼しかありませんでしたね」
「しけた……まぁでかい街とかじゃない限り、仕事の量も少ないしな」
ギルドではモンスターを倒す依頼が多いが、その“倒すべきモンスター”というのは基本、“人に迷惑を掛けるモンスター“である。人が居ない場所の危険なモンスターの討伐なんてわざわざ依頼されないし、だとすれば、依頼が多いのは、モンスターと人間との衝突が起こる人の街の近くである。
今滞在しているのは、通り道に発展した宿場町。ここは人通りこそ多いが、道行く人々の戦闘のレベルは一般の人々よりワンランク高い。危険な町の外を自分たちだけで歩けるのだから、戦闘手段を備えているのは当然。この近場で出現するモンスターは、並大抵なら通りすがりの誰かに倒されてしまうだろう。
人を困らせるモンスターが居なければ、ギルドで依頼として募集される仕事も少ない。あっても、もう一段階上の危険な仕事、あるいは普通はやりたがらない面倒な処理。
要するに、ここでは冒険者の需要が少なく、ここにある依頼はしけた依頼。
「先生……私は、強くなれているんでしょうか」
目を戻せば、銀髪の少女はストローを咥えながら俯いている。何言ってんだ。めきめき強くなってんじゃん。
「なってるよ」
「しかし……先生の背中は遠いままです」
「まぁ、俺も進んでるからね。君の前を、君より先に。焦る必要はないよ」
俺は窓の外を眺めながら、ゆっくりと琥珀色の飲み物で喉を潤す。
「焦って追い付いたって、息を切らして、呼吸を整えてる間にまた置いて行かれるんだ。君は、君のペースで強くなればいい」
「……強さの指標が欲しいです。分かりやすいものを」
「最近倒したモンスターを調べてみれば? 復習になっていいよ」
「……もっと分かりやすいものです」
強さの分かりやすい指標、か。まぁ、確かに欲しいよな。あてもなく歩いて旅をして、俺たちを評価してくれる人間はそこには居ない。討伐の実績は積み重なっているが、モンスターの強さは個体によりばらつきがあって、後から調べて正確に分かるわけじゃない。
俺たちは強くなりたいと、そう掲げて旅をしている。しかし、そこに強さの表示は付いて回らない。分かるのは、なんとなく、くらいで。
冒険者の強さの大まかな指標としてよく用いられるものに、“深度”と呼ばれるものがある。“深度”は、本来龍脈の濃さを表す指標ではあるが、龍脈は濃くなるほど出現する魔物たちの強さや厄介さが上がっていく。“深度”は、モンスターの強さや、それに対処できる冒険者の強さとしても使われることがある。
深度“0”は、龍脈のない安全地帯。“1”から“5”は、一応一般人でも通行可能な初心者帯の“上層”。“6”、“7”辺りになってくると、然るべき戦闘の装備が欲しい“中層”。“8”、“9”は、人界の中で最も危険な場所の“下層”。
冒険者の強さは、この“深度”を用いて、“3”から“5”ぐらいは行けるとか、“8”まで対処が可能とか。大まかに、“上層冒険者”、“中層冒険者”、“下層冒険者”なども言われたり。
「ツバキは、前までは“上層冒険者”、“3”から“5”あたりが適正だったけど、今は“5”とか、相性次第では“中層”の“6”も行けるんじゃないかな」
分かりやすくと言われたので、“深度”を用いて、改めてツバキの強さを評価する。
「……そうですか? 私も中層に行けますか?」
「そろそろ入っても良い頃合いじゃない? 中層の、弱いところから徐々にね」
そうですか……と、ツバキは野菜や肉の挟まれたパンをもぐもぐと食べている。
「先生は?」
「うん?」
「先生の、今の強さはどれぐらいなんですか?」
「今……どれくらいなんだろう」
前までは“6”とか“7”とかが俺の適正だった。それより上、“8”や“9”とかになると、もう“下層”である。“下層”クラスは、旅の中でもたまに出会ったり、頑張って時間を掛けて倒したり、あるいは無理だと諦めて逃げたり。“下層”相手の戦績は個体によってまちまちで、俺は“下層”に入っているとも、入っていないとも言える。
俺こそ……俺こそ、ちゃんと強くなれているのだろうか。“下層”とかに潜って、俺もちゃんと俺の実力を確かめてみるべき?
しかし……と、俺は目の前の少女の顔を見つめる。澄ました顔で、小さい口で少女は目の前の食べ物を片付けて行っている。この子たちが居る限り、俺はあまり危険な場所へは動けない。
俺が“下層”に行こうとなれば、“中層”入りたてのツバキはもちろん、非戦闘員のツチやヒメトラを、一緒に危険な場所に連れていくことになる。
でなければ、こっそり一人で行くか……いや、ツバキやツチは、まだ目を離して良い段階じゃない。ヒメトラも、長い時間放っておいたら寂しいだろう。この子たちを置いて、俺一人でそんなに遠出は出来ない。
となると、ちょっと行ける範囲で行ける“下層”……結局、旅の途中で見つかる、はぐれの“下層”個体に挑戦する。それくらいが精々になる。それが俺の実力を確かめる機会だ。もちろん、それは高い精度の実力の測定じゃないが。
俺は手元のパンを食べ終え、ほうと息を吐く。今の強さを知りたい気持ちもあるが、今はほかに優先すべきこともある。今は、無理に危機に飛び込む時じゃない。
「どうしたんですか? 先生。もう私のほうが強い?」
「いや全然。俺もそろそろ“下層”、“8”に入れるかなー、くらいじゃないかな。実力」
「ほんと? 思い上がりじゃないですか? 頑張ったら私でも勝てない?」
「いや全然」
ギルドにはめぼしい依頼も無かったので、空き地で二人で、武器や魔法の練習をして過ごした。




