第二十二話、闖入者といつもの顔 ーII
「先生、泳げないんですか?」
銀髪の少女の、真摯な目が俺の顔を見上げている。
「泳げなかったら、もしも水中に落ちた時、戦えなくて不利ですよね。水中に落ちることは、旅の中で想定できない事態じゃない、海の上、川の上、渓谷、湖、落ちてしまうかもしれない水面は、旅の中でいくらでも遭遇します」
「水面を凍らせれば事態は解決するよ」
「先生は大量の水を凍らせるほど魔力が豊富でしたか?」
少女は、何がそんなに嬉しいんだか、珍しく分かりやすく笑顔を浮かべて、俺に言ってくる。
「私が泳ぎを教えてあげます! ぜひ一緒に泳ぎましょう!」
俺たちは冒険者用の装備のまま、木刀一つ握って、ぷかぷかと湖の中に浮いている。
「こういうのじゃないです」
「なんだ? 水中戦闘の練習がしたいんじゃなかったのか?」
「違います。先生に、私が、泳ぎを教えてあげるんです」
と言っても、別に俺は泳げないわけじゃない。ぎりぎり25m泳げるか泳げないかくらいだ。まぁ泳げないといえば泳げない。どういう練習を想定しているかは知らないが、ツバキに両手を引いてもらって泳ぐのも、なんだか恥ずかしい。
「じゃあ、お前が俺に勝てたら、泳ぎを教えられてあげるよ」
「……偉そうですね」
「俺の方が偉いからな」
「水の中でも、そうですか?」
体を動かそうにも、重い水の抵抗が邪魔をして思うに動けない。風の領域も、もちろん水中だと展開できない。どう考えても地上より不利だ。だがまぁ、その条件はツバキも同じだろう。
「体に棒を当てたら勝ち、ですね」
俺とツバキは、それぞれ水の中で木刀を構える。
水中では、自身の体重による足の踏ん張りがきかず、腕の力や腰の回転のみで木刀を振らなければならない。水中では面白い動きや筋肉が要求された。練習を終える頃には、体がへとへとになっていた。
「先生! 次は泳ぎの練習ですよね!」
湖のそばで横たわってへばっていると、頭上から少女の影が遮る。少女の上半身が、俺の頭上を覆っている。濡れた銀髪が垂れており、ぽたぽたと上から彼女の水滴が落ちてくる。
「ツバキは元気だねぇ」
「早く行きましょう!」
「待ってー、もう少し休憩してから……」
「先生、準備はできましたか」
黒い水着を着た銀髪の少女が、腰に両手を当てて仁王立ちでふんすと立っている。
体を守る厚い生地の冒険者装備は脱ぎ捨てて、今は薄着になっている。彼女はぴちゃぴちゃと水辺の水の中に足を入れていく。透明な水面には青空と雲が映っており、作った波紋が薄く映る空の景色をかき乱す。
俺も彼女に続いて、透明な水の中に入っていく。
「先生、まずは水面に顔を付ける所から始めてみましょう」
「そのレベルじゃないけど別に」
「……? じゃあどこら辺?」
「うーん……十数メートル……ええと、この湖を横断するとしたら、その三分の一くらいは泳げるけど全部は無理、みたいな」
「なるほど。泳げるには泳げるけどしょぼい感じなんですね」
「しょぼいって言うな」
「まぁ私が見てあげます。とりあえず泳いでみてください」
俺の肩の下、少女の肩くらいの水深の所までやって来た。
「中心付近は足が付かないので、中心を避けて、ここから向こうにまっすぐ泳いでみましょう」
少女は本当に泳ぎを見てくれるらしい。しかし、見られたとてどうにかなるんだろうか。とりあえず彼女の指示に従って、俺はバシャバシャと水面を進んでいく。
息が切れて、水底に足を付いて立った。振り返れば、少女がすいすいと水面をかきながらこちらへとやって来ている。
「……こんなんで何か分かるのか?」
「苦しそうでしたね」
「……まぁそりゃ泳げないからな」
「推進力やフォームに関しては問題ないですかね。思うに、息継ぎが下手なんじゃないですか? 長い距離を泳げないなら」
「息継ぎ?」
「もう一回泳いでみてください」
俺は呼吸を整え、再び水面に顔を付ける。泳法は、学校で習ったクロールしか知らない。必死に顔を水面の上に上げ、水に浮かんで水をかいて蹴って進んでいく。
再び息が切れて、ぷはぁとその場に足を付いた。
「先生、我慢しすぎですよ」
「……なに?」
と、背中から少女がまた追ってきて、そう声を掛けてくる。
「おそらくですけど、最初は適当に息継ぎをやってて、呼吸が苦しくなってから息継ぎを頑張り始めてるんです。我慢しちゃだめですよ、最初からちゃんと、余裕を持ちながらやりましょう」
「……見苦しくて悪かったな」
「先生も出来ますよ。今覚えましょう、やり方は、私が教えてあげますから」
と、銀髪の少女は、柔らかく笑みを浮かべて、俺の顔を見上げている。
少女の言われるがまま、俺は泳ぎの練習を続けた。先に覚えていた泳ぎの癖を直すのはなかなか難しかったが、少女は辛抱強く付き合ってくれて、徐々に、俺の泳げる距離は伸びていった。




