第七話、ハートマーク ーII
「先生が……私を、助けてくれるんだよな……?」
「……もちろん」
折り畳みの椅子に、ツバキが小さく座っている。彼女の左目の下、黒い、大きめのハートマークが付いている。ヒメトラが言うにはこれは“呪い”らしい。
「じゃ、じゃあやってみるぞ……」
「お願いします」
ツバキはお利口に椅子の上に座っている。澄ました、無垢な表情が俺を見上げている。いったん目を逸らして欲しい……。
「唇、かさついてなかったかな……料理食べた後で、口の匂いも……」
「そこら辺はどうでもいいんで早くしてください」
傍で眺めてるだけのヒメトラが急かしてくる。こいつ……まぁ確かに。俺の状態なんてどうでもいい、早くこの呪いを解いて、ツバキを安心させてあげないと。
俺は目を瞑り、少女の顔に顔を近づけ、そっと口先が彼女の肌に触れる。すぐに離れた。
「もっと思いっきりやったらどうですか? 今の付いたんですか?」
「ど、どうだ?」
見れば……ツバキの目の下から、その黒いハートマークが消えている。
「……無くなってるな」
「ほら言ったじゃないですか! 私の言うことは正しかった! 呪いは本当にあったんだ!」
お前じゃなくて雑誌……まぁいいや。ヒメトラの口から、その情報を聞けたことは確かだ。
「……じゃあ、あと九回? だっけ。どこに移動したんだ?」
「どうでしょうね。ぱっと見、見当たりませんね。服の下でしょうか」
……おいおい、マジで変なところには現れないで。現れないでください。お願いします神様。
「ありました」
と、後ろを向いていると、ヒメトラから声が掛かる。
「ごしゅじんさま来てください、肩の上ですよ」
後ろを向いてそのまま一回転。
「何してるんですかごしゅじんさま。そっち向いてないで早く来てください」
「いや服はだけてる。直して」
「そりゃ肩だし、はだけるでしょ。って言うか、もう全部脱いでいいんじゃないですか? さっき全部見たでしょ。九連行きましょう九連。それに、急がないとどんどん色変わってきてますよ」
簡単に言うな。全部は見てない。ちゃんと逸らしてたし。
「色?」
「マークの色です。黒からどんどん変わっていって、まっぴんくになると時間切れです」
俺は目を細めて顔を逸らしながらツバキに近寄る、彼女の晒された左肩を見れば、黒いハートマークがそこに付いている。
「まだ全然じゃねーか」
「いいから早く」
「はい……」
俺は屈み、少女の肩にそっと唇の先を触れさせる。
「……終わったぞ」
「じゃあ次の場所探しますねー……ってありますね。お腹ですねお腹」
ヒメトラがツバキの服をまくっていた、そこから、白くて引き締まった、彼女の綺麗なお腹が見えている。可愛いおへそがあり、それをちょっと左下に降りるとその黒いマークが見える。
「……ツバキ、その体勢じゃやりにくいから一回立って」
少女は、俺の言われるがまま素直に立った。少女は自分で服の裾を持ち上げ、下をずらしてそのマークを露出させている。……。俺は黙ってしゃがみ込み、少女のお腹へと口を近づけていく。これは医療行為これは医療行為これは医療行為―
少女のお腹に唇の先を触れさせた途端、その肌から、ぽこんと何かが湧き出た。砂の上に落ちる前に俺はそれをキャッチする。なんだこれ……石? ハート形の、小さなピンク色の透明な結晶だ。
「これは、いりょう……なんか出たぞヒメトラ」
「え? もうですか? まだ三回しかやってませんよ?」
ヒメトラの反応を見るに、これはその十回の儀式が終わった後にでるはずのものらしい。
「これが出たってことは、もう終わりってことでいいのか?」
「そうですね。その“薬”が出たら儀式は終了です」
彼女の言葉に、俺は一気に体の力が抜ける。良かった……肩に疲労がどっと落ちてくる。
「もう終わりですか……まだ面白い場所に出てないのに」
ヒメトラが何か言っている……こいつ……他人事だと思って……本当に変なとこに出なくて良かった……。心臓が痛ぇ……。俺は椅子に腰を下ろし、机の上にへたり込む。
「くすり? それは何のくすりなんだ?」
と、ツバキがヒメトラに聞いている。
「……良くないお薬です」
「良くない薬ってなんだ? 薬なのに、良くないのか?」
「……まぁどっちかというと」
……絶対えっ……な奴だろ……。
「ヒメトラ、その記載がある雑誌寄こせ」
「だめです」
「……お前何読んでんだ」
「なななんですか? 健全な雑誌ですよ? それより、その石はどうなさるんですか?」
話を逸らしたな。まぁいい。
「どうって、何が?」
「高く売れるらしいですよ、それ!」
仮にも、ツバキの体から出たものを、他人に飲ませたくない。
「これは、俺の方で処分する」
「飲むのか?」
「飲みません。処分します」
「そんな、もったいないですよ!」
「……せめて、持っておくだけだ」
俺は机の上に顔を付け、ぼーっと手の中のハートの石を見つめる。面倒なものが手に入った……まぁ見るだけなら綺麗な石か。頭上の橙の明かりに照らされて、ハートの石は綺麗だった。あとでヒメトラが参考にしたという文献は俺の方で探すか、一応。
俺はそれを懐にしまい、立てかけてある剣を手に取る。
「あれ、ごしゅじんさま、お出かけですか?」
「探して殺す」
「え? 例のをですか? 生け捕りじゃなくて? 懸賞金掛かってますよ?」
「関係ない。殺す」
「ちょっと! ごしゅじんさま! 他人のペットですよ! 勝手に殺したら可哀そうじゃないですか!」
え、何? ペット? ……形式上、ヒメトラはうちのペット、同じ立場のそいつを……そいつを……まぁ殺意はあるが、ここは抑えよう。
「まぁいい。少し探しに行く。まだ近くに居るかもしれない」
「先生、私も行く」
と、ツバキは元気なようだ。立ち上がり俺の後ろに付いてくる様子。
「ツバキはここで待ってなさい。またそいつにやられたらどうする」
「また? その時はまた、先生に解呪して貰えば」
簡単に言うな。簡単に言わないでください。もう心臓がもたない。
「それに、先生の近くが一番安全」
「今からそいつを探しに行くので相対的に危険です」
夜の森を歩き回ったが、ツバキが見たという子豚の姿は、影も形も見当たらなかった。
夜の砂浜。夜の闇の中でも、押しては返る波の音が鳴り続けている。波が来る浜を陸の方に上がっていって、そのうちまばらに地面に緑が生えてくる。その少し先から、木々が生え、森が広がっている。
俺たちは森の手前、浜の、緑が生えた所あたりに幌車を止め、幌車の隣に寝床の準備をする。その辺の草をかき寄せて集め、上に一枚のシートを敷き、二人分の寝袋を並べる。
「ヒメトラ、寝ずの番は任せていいかー?」
にゃあ、と、幌車の幌の上に登った小さなトラが返事をした。幌車の屋根の柱の脇に、小さな明かりが吊るされてあり、橙の弱い光が、その真下のみを小さく照らしている。
俺たちは寝る準備をして、いそいそと寝袋の中に入っていく。見上げれば、夜の闇と数千の星々。頭上で森が風にざわめいている。絶えず波の音が繰り返している。
「先生」
隣を見れば、銀髪のミノムシがこちらに視線を向けてきている。
「どうした?」
「おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
日は落ち、世界に暗闇は広がって、俺たちの意識も闇に落ちていく。
アオトビ
海辺に現れる、深海のような深い青が特徴の鳶。青空にも夜闇にも海面にも紛れて飛んでくる。その深い青の羽は人気が高く高級品。このモンスターが登場するおとぎ話もある。
愛の豚
とある魔女が作ったというモンスター。管理が杜撰で逃げ出した。現在指名手配中、要生存。豚に触れると呪いに掛かり、解呪には特定の手順の儀式が必要となる。儀式を経て、ハートの結晶が生み出され、この結晶を飲むと、儀式中に生じた対象の感情を追体験できる。




