第十九話、別れ
「わらわが今からこの棒で二人に殴りかかる。ひたすら避け続けよ。建物の外に出てはならん。時間は、この砂時計が逆さになるまでじゃ」
里の外れに、今は使われていない大きな建物があった。床に黒い木板の張られた、剣道場みたいな大きな建物。
建物の中に、三人の人影が立っている。俺と、白髪の少女と、おかっぱの子供。俺とジャノメはそれぞれ目に黒い覆いを巻いており、シラアイは手に硬い木刀を持っている。
「やるぞ。準備せい」
俺は俺の“領域”を展開した。風の音がよく聞こえる。足を少しでも動かせば、足元に溜まるそれらの動きが乱される。
「それでは、始めじゃ」
「大分、形にはなったの」
俺たちは建物の縁側に座り、突き出した庇の下で、熱くなった体を落ち着けている。
「じゃあ、次はー?」
「後はもう、自分で極めていくのみじゃ。わらわが教えるには限りがあるし……それに、この旅程も、残り日が少ないしの」
建物の外を走る廊下は日陰、足を下ろした少し先には、日に照らされた明るい地面がある。目を上げれば、暗い森がそこから始まっている。
こぽこぽと、水筒に口を付け、シラアイは隣で水を飲んでいる。多少汗をかいたのか、シラアイの服もほんのり湿っている。
「増えないの?」
「増えぬの。ジャノメも、旅立つ日はもう決まっておるじゃろうて」
隣を見れば、白髪の少女はぷらぷらと足を揺らして遊ばせている。俺の視線に気づき、少女は“ん?”と、俺の顔を見上げてきた。
「じゃあ……このままジャノメをここで拘束し続ければ、ジャノメの門出は失敗か」
「やってもいいが、責任の取り方は考えておけよ」
「責任ねぇ」
俺は手を伸ばし、白髪の少女の頬に触れる。今しがた運動していたばっかりで、少女の肌も上気し、少し濡れている。ぷにぷにと、俺はその感触を楽しむ。
帰りのバスが来た。荷物をまとめた俺たちは、そのバスに乗り込む。また最後尾の一列を確保し、三人で並んで座った。
帰りは静かな行程だった。大した会話も起きず、ただ外の景色が流れていく。いつの間にか時間が過ぎて、俺は寝ていたようだった、気が付けば慣れた雰囲気が近づいてくる。
俺たちは森林街へと辿り着いた。バスは大通りの中をゆっくり進んでいき、やがて止まる。俺たちはそこで降りていく。
「じゃあ、ここでお別れじゃの。わらわは実家へ帰る、ジャノメは魔法の学校へ。キョウゲツは、まぁ決めてはおらんようじゃが、とりあえずここに残るのかの」
世界は陽光の下だった。眩しくて明るい青空の下、隣でシラアイが何かを言っている。
「キョウゲツ。おい、キョウゲツ」
俺の袖が引かれていて、俺は隣を見た。そこには白髪の少女が立っている。
「これを持っていけ」
少女は荷物の山から、ぬいぐるみの一匹を抜き取り、俺へと差し出して来ている。それは、ドラゴンをデフォルメしたかのような、ふわふわとした丸々とした白いぬいぐるみ。
「キョウゲツが寂しくないように。わしを恋しくなったのなら、それを代わりに抱きしめるとよい。わしの匂いがいっぱい付けてある」
「……いいの?」
「あぁ。わしはほかにもいっぱい持っておるし、わしはたくさん貰った」
俺は地面に膝をつき、そのぬいぐるみを、少女の体ごと抱きしめる。
「ジャノメは? ジャノメは寂しくないの?」
「一人はいつだって寂しい。でももう大丈夫じゃ、わしはもう一人じゃないから」
俺は少女の肩に頭を置いて、しばらくそうしていた。
「……キョウゲツ。そろそろ」
「……分かってる」
俺はシラアイの言葉に、少女の体を手放して、一人で立ち上がった。
「さよならだね、ジャノメ」
「うん。ばいばい、キョウゲツ」
そのうち来たバスが、白い髪の少女をさらっていった。
「……行ってしまったの」
シラアイが、バスの消えていった彼方を見つめながら、ぽつりと呟く。
「じゃあ、もうわしも行くぞ。一人で大丈夫か?」
おかっぱの少女は、俺の顔を心配そうに見上げている。
「……うん」
「それではさよならじゃ。気が向いたらまた出てくる。運が良ければまたどこかで会うこともあるじゃろう。それまでは、さよならじゃ」
「……うん」
「別れの品などなにも用意しては居らんかったが……そうじゃの。欲しいならこれを持っていけ。わらわのハンカチじゃ。多少はわらわの匂いも付いとるじゃろうて。まぁ、二、三度洗えば無くなるじゃろうがな。たまにはそれを見てわらわのことを思い出せ」
俺は、差し出された真っ黒なハンカチを、そのまま受け取る。
「……まだ」
「なんじゃ?」
「……まだ、シラアイに貰った恩を、返せてない」
「何を言うておる。そちが受け取ったものは、そちはそのまま後ろの子へと渡していたであろ。それは、わらわが受け取るものではない、後ろへ後ろへと、連綿と渡していくものじゃ。まぁ、そちが何かくれると言うのなら、わらわも断りはせんがの」
俺は手を握り、手を開くと、そこには、黄緑色の小さな、中に金色の光を宿す、小さな石の欠片が乗っている。
「……これ、あげる」
「なんじゃこれは」
「風の石。一度だけ、シラアイの身を守ってくれる」
「護身の魔道具か。まぁ、ありがたく受け取っておくとするかの」
少女は、その小さな石の欠片を布に包み、小さな袋に入れ、カバンの中にしまった。
「じゃあわらわは行くぞ。もう心残りはないかの」
「……」
「あってももう行くぞ。ほれ、さよならじゃ」
黒い髪の少女も、俺に小さく手を振って、歩いてどこかへと消えていった。風が吹いて、広い街の中に、俺は一人で立っている。
俺の背中を、何かが押した。
「ねー、また冷蔵庫こわれてたー、今日のご飯ないー」
振り返れば、懐かしい匂い、見慣れた淡い色の長い髪。
「……大した用事でもないのに、飛んで来てんじゃねぇ」
「大した用事だよぉ、今日食べるもんないぃ」
「もっと近くに人が居るだろ。隣の部屋の人とかに言え。ここは海の向こうだぞ」
「隣の部屋の人に言ったら迷惑じゃーん」
俺を何だと思ってるんだこいつは。俺は呆れて息を吐き、少女に押されるまま、近くの宿屋へと歩いていく。
「うん、なんでぬいぐるみ持ってんの? ってか、私のジャノメは?」
「お前のジャノメじゃないだろ。俺のジャノメはもう旅立ったよ」
「おまえのジャノメじゃないだろ」
第二部 冒険者の道 完




