ステップ18
「固まりなさい!」
ミルドレッドの声が響く。
「ミスビー!」
「はい!」
よろず屋の声に答える聞き覚えのない声。
水煙を割って一人の少女が飛び込んできた。
ぎゃりぃいっと耳障りな異音が響く。
波打つ金髪。桜色のひらりとしたワンピース。襟元と裾のレース飾りが揺れている。
『防壁結晶』
少女の発する呪文に答えて真紅の壁が広がり、すぐに見えなくなった。
「なに?」
少女は金髪と桜色のレースの裾を揺らし、こちらを振り返った。
「円から出ないでくださいまし。私の術はまだ精度が低く、範囲から出てしまわれると守護の力がおよびませんの」
円?
そう、少女が言っている間にゆっくりと水煙が晴れてゆく。
きらめく緑の瞳が楽しげに見えた。
「お父様! お戻りください!」
少女がどこかに向かって叫んだ。
一拍おいて真紅が瞬間だけ瞬いた。そこに壁があり続けているらしい。
「怪我は? ミル」
「ないわよ。って、何時の間に子持ちなの?」
「ああ、この子はミスビアンカ。今はこのあたりの守備を担っているんだ」
「ミスビアンカと申します。お見知りおきを」
少女、ミスビアンカはミルドレッドと僕らに優雅にお辞儀をしてみせる。
「答えになってないわね。エリコ」
「お父様に問題はありません。そのお言葉を理解することのできぬ我が身を……。お父様?」
ミスビアンカの口を慌てた表情で塞ぐよろず屋。
「ミスビー、彼女は説明が足りないと言っていて、それは決して間違っていない。状況は適切に判断されなくっちゃいけない。わかるね?」
言い聞かせるよろず屋。
よろず屋の言葉に神妙に頷くミスビアンカ。
「まだ、学びが足りぬことを恥じたいと思います。申し訳ございませんでしたお父様」
「いいから。それよりサカナによる戦闘は参考になるからちゃんと見ておくよーに」
「はい。お父様」
「それよりまず、私に謝りなさい」
「必要性を感じません」
ミルドレッドとミスビアンカは妙に険悪だった。
うぞりと円の外で何かが動いた。
「由貴さん、もう少し、こっちです」
軽く円君に引かれる。
ふと見るとのぞみちゃんもアディも不安そうに見ていた。
攻撃してきてるらしいモノが接近する度に真紅が閃き視界が妙に明滅する。うん。酔いそう。
『知覚鏡』
ミスビアンカが呪文を唱えると真紅の内側に紅い鏡が表れた。
そして鏡面に映る触手の魔物と漆黒の影。
「ユーキ、さかなの戦闘形態」
アディが説明してくれる。
全体像は見えない。
アディが指すそれは漆黒の影だった。
やっぱり、大きい。
「ドヴェストの一種かよ」
よろず屋が青い髪を掻き上げつつ、鏡を覗き込む。
「ハイ。捕食攻撃性の高い個体の養殖調教に失敗致しましたが侵入者排除に役立っておりましたので放置しておりました」
ミスビアンカが平坦な声でよろず屋に報告する。
「な、何をしてるのよ!」
「防衛・敵性物質の除去です」
ミルドレッドの糾弾に胸を張って応じるミスビアンカ。
険悪にやり合う二人を気にすることもなく、よろず屋は鏡から視線を外さない。
「怪獣大決戦みたいだなー」
円君がキラキラした眼差しで鏡に映る映像を見ている。
言われて、そういえばと思わなくもない。
よろず屋にドエスと呼ばれていた触手がゆらりうぞりとサカナに向けて動きはじめた。
鈍い光沢をもつ影が触手を掻い潜るように水路を泳ぐ。
よく見ると触手を持つ魔物のむこうには地底湖のような広がりが見えた。つまりものすごく広い?
鏡を前によろず屋が考え込んでいるのか、軽く指を動かしている。
「ミスビー」
よろず屋に呼ばれたとたん、ミスビアンカはミルドレッドとの口論を止め、そちらへ姿勢を正す。
「ラークは何か言っていた?」
「創師は何もおっしゃってません。ミスブランカ姉さまがお父様がいらっしゃってるので迎えに行くようにとおっしゃられて」
「ミル、ちょっとむこうへ行って来るよ」
よろず屋は考え込むように天井を見上げて、それでもほぼ間を置けることなく手を動かして真紅の壁を見えるようにした。内側から触れても真紅の壁は視覚化するらしい。
「は?」
険しい表情でミルドレッドはよろず屋を睨む。
ちらりと向けた鏡には吹き飛んだ先から再生する触手という気味の悪いものが展開している。
そんな光景にも平然としているよろず屋の反応に無駄と判断したのかミルドレッドは大きく息を吐き、赤い髪を大きく払う。
「いってらっしゃい。気をつけるのよ。あんたにあるのは逃げ足だけなんだから」
厳しく言われてよろず屋は明るく笑う。止めないんだ。シブい表情だったから一応でも止めると思ったのに。
「ああ。わかっているさ。基本、戦闘は不向きなんだ」
「危険です! お父様。興奮してるので血の判別ができずに攻撃を仕掛けてくると……」
「わかってるよ。ミスビー。だからこそ行く。サカナは様子見しているけど、もうじき血の匂いに寄ってくる魔物が出てくる。その前にできれば退避か、大物の除去ができないとまずいんだ」
悔しげに俯くミスビアンカの髪を撫でてよろず屋はミルドレッドに視線を向ける。
「じゃあ、頼むねミル。ミスビーも今回はミルの指示に従うように。障壁維持が難しくなったらすぐ報告だよ?」
「はい。お父様」
きゅうっとスカートを掴んで生地にしわができている。
「じゃあ、いいね。ミスビー」
「はい」
「ミル」
「なによ? ちゃんと様子は見るわよ?」
「障壁を一回外すから気をつけて」
「なっ! 工程は事前に伝えなさいよっ!」
「ミスビー」
「はい」
『防壁結晶瓦解』
ミスビアンカの呪文に応じて真紅の破片が高音で弾けていく。
『偉大なる我らが御神
汝を称えしわれに裁きの刃を揮う事を許したまわん!』
『錘炎牙!!』
ミルドレッドの放った緑の炎が周囲にあった触手を焼いていく。
『防壁結晶』
再度唱えられた呪文。
真紅の障壁が再生されていき、見えなくなる。
僕は再び守護の中にある状況をよくわからぬままただ見ていた。
「あら。ノゾミ、アディはどこかしら?」
「……知らないわ」
アディが見えないことは気になるけれど、怯えているのぞみちゃんをなだめる。
周囲を囲むのは知らない人たち。
そして結界陣の向こうには敵がいて、どうにかする手段は人任せにする以外なくて。
せめてのぞみちゃんは安全に。
でも、敵ってどうすればかいくぐれるものなんだろう?
それにしても触手モンスターってエロゲの鉄板モンスターポイよね。
ああ、あの触手すっごい再生力だなぁ。
切断されたところから二股に分かれて再生してる。
あ、捻れて絡まっているところもあるや。
「なんだか網みたいだ」
すごくおっきいけど。
『ユーキ。えらい! 網だな』
サカナの声が届く。
えらいってなにが?
触手が捻れて集まっている場所に黒い影が突っ込む。
え?
捕まりに行った?
「ぇ? サカナ!?」
なに、する気だ?
『撃破』
静かな声。
サカナだ。興奮を交えぬ事実を告げる言葉。
撃破の言葉通りグズグズと魔物が崩れていく。
何が起こったかわからない。
『結び目を壊したぞー。ユーキィ』
サカナの歓喜の声。
終わった? 結び目?
「ちょっ…………」
「来る!!」
慌てたようなミルドレッドとミスビアンカの声が聞こえた。




