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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
終、 遷都、東京
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 2

「君と話をするのは楽しいな。やっぱり傍にいてもらいたいよ」

「男とはごめんです」

「残念。でも、懲りないよ」

 たいして痛手と感じていない岩倉は、己と吏鶯の間にある馴染みのある気配に向かって宣言する。

「人の欲は果てがない。一方通行な友情だが、いまに想いを通い合わせてみせる。それまでせいぜい独り占めしているがいい」

 そして、吏鶯に向かって微笑んだ。

「さて、これからすべきことは山とあるが、暇を作っては会いに来るからね」

 立ち上がった岩倉の姿は、いつもの公家の服ではなく、黒色の細い横縞が入った濃紫の飾りネクタイに濃灰色の縦縞の入った灰色の胴着ベストに、同色の三ツ釦の上着ジャケットを粋に着こなしている。髪型も変わって、結い上げて烏帽子に収まっていた長髪がばっさりと短くなり、意外とやわらかそうな毛束感が伝わる爽やかさだった。

 常に華やかな雰囲気を持つ岩倉だったが、洋装をすることでより有能さが際立ち、一段と魅力的にみせている。

 岩倉を見上げた吏鶯は、にっこりと微笑み返した。

「会いに来てくださらなくて結構です」

「素っ気なくしても無駄だよ。開き直りは君だけの特権ではないからね」

 岩倉もまた吏鶯に微笑み返した後、ふと何かに思い至る。

「遷都は決定したけれど、江戸という名では少し恰好が悪いな」

 ふむ、と嘆息する岩倉は、悪戯っぽく吏鶯を見下ろした。

「何か良い案はないだろうか?」

「新しい都となる土地の命名権を、私に委ねるのですか」

「大丈夫。私の案として使わせてもらうよ」

 嫌そうに顔をしかめる吏鶯に、岩倉はくすりと笑う。

「それぐらいの意地悪は許してほしいな」

「……わかりました」

 思案げに顔を曇らせる吏鶯だっだが、ちらりと笑った。そして、仰々しい名前だと覚えにくいだけだからと、前置きをしてから遷都の名を紡いだ。

「東京──で、いかがですか?」

「それは京都から東へ移る都だからか?」

「ええ、その通りです。安直ですが、覚えやすいでしょう?」

「……確かに」

 顔を見合わせるふたりの笑みが濃くなる。

「ああ、やっぱり君を連れて行きたいな」

「懲りませんね」

「ああ、懲りないよ」

 立ち去る間際、岩倉は華麗に微笑んだのだった。



「──まさか、彼との会合がこれほど穏やかなものになるなんて、以前の私には想像すらしていませんでした」

 逆に彼の来訪を待ち遠しく感じるなど、青天の霹靂と言っても良いくらいだ。



 くすくすくすくす……


 やわらかな笑い声が吏鶯の耳に届く。

「やはり、おかしいでしょうか?」

 己の膝に頭を乗せて横になっている佳人を見下ろし、苦笑する。

「おかしくはない。感心しておった」

 佳人は身を起こすと、吏鶯の顔をしみじみと見つめた。

「ヒトの欲とは限りがない」

「ええ、想いは変わっていきます」

「……開き直られれば、愛しいそなたとて小憎たらしい」

「心配入りません。私の貴女への想いは変わりません」

「恥ずかしげもなく……」

 呆れる佳人の手を取った吏鶯は、その手のひらに優しく口付けた。

「私を変えたのは貴女です」

 秘密を打ち明けるように佳人の耳元に囁き、まだ何か不服を紡ごうとした唇を塞ぐ。唇を舌で割り、微かな抵抗を押さえつけた。

 ようやくにして拘束を解かれた佳人は、吏鶯の口付けによりもたらされた甘い余韻に眼を潤ませている。

「私は貴女のものです」

 爽やかな笑顔と共に紡がれた言葉に、佳人はこくりと頷く。

「そして貴女は、私のものです」

 再び首肯する。



燕君えんき



 真名まなに宿る支配力が佳人を束縛する。

 充福感にぼんやりとする魔性は心の中で、真名を教えてしまったことを少々悔やんでいた。

 それでも、名を呼ばれて喜ぶ感情が確かにある。

(……闇で出来た妾に、これほど温かな感情が芽生えるなど──)

 再び唇を塞がれ、思考が遮られてしまう。

 やわらかく優しい温もりが胸の内を満たしてゆく。


「貴女を愛しています」


 そして魔性は、嫣然と微笑んでみせたのだった。


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