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三浦にも感じたことだが、岩倉の言葉の端々に深い知性を感じるのだ。それに、新選組に属するこれまでの知性派とは一線を画している。改めて感じる己と彼らとの違いに瞠目する。
(あの副長でさえ、この男には及ばないのでは……)
土方の知略を見知っている斎藤だが、ふと気付いてしまう。
(……ああ、そうか。副長の意識は、常に新選組に向けられている)
対する彼らの意識は、朝廷や個別の藩の枠内を越えて、海外列強国と対向する為に動いている。勿論、絡み合う利権の存在を忘れてはいないだろうが。
短い御陵衛士時代に幾つかの西洋の知識を学び、伊東の警護として要人たちとの会合の席に侍り、交わされる論議に耳を傾けていたせいか、僅かなりとも変化の芽が育っていたのだろう。
広がった見識は、自ずと内面の意識に奥行きを持たせた。志向の柔軟さが培われただけではなく、その事実に気付くなど、これまでの斎藤にはなかったことだ。
特に岩倉という男の存在は、斎藤がこれまで関わってきた者たちとは明らかに違っていた。生きることへの強かさを感じたのだ。
覇気で言えば誰よりも強く華やかさがあった芹沢だが、逆に人一倍の危うさと諦観を持っていた。
穏やかな人柄の山南には、新選組という組織において致命的な、潔癖過ぎた精神の細さと脆さがあった。
舞台役者のように洒脱な伊東は、どこか人の甘さが出てしまう育ちの良さと、人を陥れるには生真面目な性質が、策士と名乗るには未熟過ぎた。
──だが、岩倉はどうだ?
(……黒い噂などさして気にしないどころか、逆にその噂を最大限に利用しようとするだろう。いや、その噂自体、自分で広めていそうだ)
彼の目は未来に向けられている。その身にどれだけの闇を抱えていたとしても、目的の為ならその闇すら利用してしまうだろう岩倉という人物を、斎藤は改めて見つめた。
嫉妬と憧憬が入り混じった感情が溢れ出る。
(……嫉妬、か)
斎藤の口元で、微苦笑が滲む。
目を逸らしてきた自身の劣等感に、諸手を上げて降参するしかなかった。
(そう、どこかで諦めていた。己という個は、このまま何も変われないのだと……)
自然と下がる視線に気付き、今度こそ苦笑した。
(何だか馬鹿らしくなったな)
現状を無理矢理納得させていた胸の痞えが、するりと滑り落ちた。ゆるゆると新しい感覚が全身を満たしてゆく。
己を否定するのでなく、肯定できる喜び。
変わろうと思えば、これからでも、また何度でも変われることができるのだ。
(──生きている限り)
こんな易しいことが難しかったなど、何やらおかしかった。ましてや死を乞うかのように、人外の力を頼ろうなどと、己がどれほど病んでいたことが理解できる。それも月光に照らされた油小路を鬱々と歩いていた時ほど、妄信的な思考に固まっていたことなどない。
斎藤は苦笑を噛み殺した。
(何かに執着するものを見つけたいとは思っていたが、……生死に執着するなど、俺という個は、意外と単純にできているな)
呆れながらも、抵抗なく受け入れることができた。
「ああ、つまらぬ」
蕩けるほどに麗しい声が飛んだ。
三人の男たちの視線が集まる。
「ひとり、欠ける」
──何が欠ける?
訝しげに顔を曇らせる男ふたりに対して、言葉の真意に気付いた斎藤は、改めて魔性の姿を見つめた。
こうして静かな気持ちで対峙できることに、若干の寂しさが募る。
「結局、おまえは何者だったのか……」
こちらを残念そうに見て微笑む姿が揺らぎ、色が透けてゆく。
「妾は妖。ヒトが持つ闇を糧にする者ぞ」
にいっと笑みを浮かべた魔性が、宙で右手を払う。
……ザァ…………ッ
冷気をたっぷり孕んだ強い風が吹くと同時に、魔性の背後にそびえ立つ椿の古木が波打ち始め、一斉に花を咲かせた。
吹き抜けた風の置き土産のように、いつまでもしなる枝から、花がぽとりぽとりと降り落ちる。
寒月夜に浮かび上がる深紅の椿。その化身たる妖艶な美女。
淫靡でありながら艶やかな美しさに、斎藤は息を飲む。もう二度と己の目に映ることのない姿を、脳裏に焼き付けた。
(この女は、人が抱える闇が産み出した結晶のような存在だ。極端に言えば、俺自身の闇が具現化したもの……)
そして、その姿が見えなくなるということは、迷いが断ち切られたということだ。
蒼い闇空を背景に、幽玄に浮かび上がる椿の木を見上げた。
──潔く、首を落とす花。
いつか土方が椿をそう評した時は、殺伐とした暗い感情が湧いたものだが、今は違う。
身を律するかのような凛とした気高さを持つ花の姿を、純粋に愛でることができる。
くすくすくすくす……
あの女の笑い声かと思ったが、それは微風に揺れて葉が擦れる音だった。
もう、見えない。もう、聞こえない。
だが、確かにそこにいた存在に向かって、一言告げる。
「俺は戻る」
斎藤は踵を返した。
背を向ける一瞬、まるで憑き物が落ちたかのような、すっきりとした表情を見せた斎藤に、魔性と共に残された男ふたりは面食らう。
「待て、どこへ行く。そなた、そこの妖を斬りに来たのではないのか?」
岩倉の苛立った声に立ち止まった斎藤は、首だけで顧みる。
「確かにそのつもりだったが、姿なき者をどうやって切れる?」
あの日、落ち椿の石段で一太刀浴びせることができた斎藤だったが、もう一度同じことをしたいとは思わなかった。
「姿がないだと……?」
戸惑う岩倉は、巡らした視線の先で嫣然と微笑を湛える魔性の姿を捉えた。そして、その傍で蒼白に顔色を変えた吏鶯に気付く。
「吏鶯?」
怪訝げに顔を顰め、声を掛ける。
「……貴方は、椿姫の姿が見えなくなったのですか?」
驚愕に震える声が紡いだ言葉に、岩倉は弾けたように斎藤を振り返ったのだった。




