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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
壱、 迎春の宴
13/47

 8

 宴もたけなわの最中さなかに、ひっそりと現れた男がいた。

 目聡く彼の姿を視界に捉えた斎藤は残りの酒を仰ぎ、傍らに侍る紺乃の耳元に顔を寄せる。

「迎えがきたようだ」

「ええ、今度こそは本命でしょうね」

 優雅な笑みを浮かべた紺乃もまた、斎藤の首筋に甘えるように擦り寄り、囁き返してくる。

「妬けるなぁ、斎藤さん」

 その様は閨を何度も過ごした男女特有の馴れ合い感が溢れ、真向かいに座る篠原は空の盃を振ってからかった。妬けるもなにも、そう見えるように振る舞っている斎藤と紺乃はお互いを見やり、篠原に向かってにやりと微笑む。

「お互い様さ」

「違いない」

 見目美しい相方の肩を抱き寄せた篠原は、尊大に笑う。

 その間も斎藤の視線は、影のごとく滑るように歩き、伊東の背後に潜んだ山崎の姿を追っていた。

「伊東先生、もう充分でしょう。お戻りください」

「おお、山崎君か。ご苦労だったな」

 声音静かに告げた山崎に、伊東はかすかに形の良い眉を震わせたようだった。だがすぐに人の好い笑みをたたえて山崎を労うと、さっと盃を置いた。

「さて、諸君。そろそろ戻るとしようか」

 伊東の鶴の一声で、隊士たちはおもむろに大小の刀を引き寄せると、多少ふらつきながらも応えてゆく。まるで山崎が迎えにくるのを待っていたかのような態度に、斎藤は閃くものを感じた。

 探索方とは、土方が作り出した部署だ。

 新選組結成当時、それこそ武士道に反するなどと反論が多く上がったのだが、土方は頑として聞く耳を持たなかった。ある意味、土方の息が一番深く掛かっているとも言える。中でも副長助勤に昇格した山崎蒸は、土方の信頼厚い人物だ。

 伊東は最初から、山崎が来るまで居座っていたのだろう。

「さぞかし鬼のごとく怒り狂っているはずだ。皆、覚悟しろよ」

 揶揄を込めた伊東の軽口に、隊士たちは景気良く笑い声を挙げた。彼らの顔や態度には怖れの色はなく、逆に余裕すら感じられた。

 ふらつく足取りで、伊東を先頭に部屋から出て行く。

「せいぜい頑張って」

 そう言って首筋に唇を寄せてきた紺乃に、斎藤は困惑げに眉をひそめた。

「……このまま紅をつけて戻れと?」

「このほうが真実味があるでしょう? 油断を誘うにはもってこいよ」

「確かに」

 心憎い気遣いを掛けられ、内心では裏の意味を探していた斎藤は苦笑を零した。

「有り難くもらっておく」

 ひらひらと手を振る紺乃に僅かな視線を投げてから、伊東たちの後を追う。案の定、首にべったりと張り付いた紅の存在を、次々にからかわれた。

「参ったな」

「どうぞ使ってください」

 ぼやく斎藤に、座敷外の板廊下で全員が出てくるのを確認していた山崎が近付き、そっと懐紙を手渡してきた。

「すまない」

 綺麗にぬぐい取るのではなく、敢えてき残してしまうことを自然にやってのける斎藤に、監察の山崎の目に光が宿る。

「────……せんよ」

「何のことだか」

 山崎の囁きにちいさく笑い飛ばせば、一瞬のことだが胡乱な目で見られてしまった。かと言ってそれ以上話し掛ける気はなかったのか、山崎は斎藤から離れると、危うい足取りの永倉の傍につく。

 すると今度は、沖田が斎藤の傍に寄ってきた。

「皆さんには悪いのですが、私は屯所に戻ったら隠れていますからね」

 ぺろりと舌を出して囁いてきた沖田に、斎藤は目を瞬かせる。その要領の良さに呆れながらも、どこか憎めない不思議な雰囲気を持つ沖田に、斎藤は嘆息をついた。

「たとえ隠れたとしても、沖田さんのことだ。好奇心に負けてひょこり出てきて、副長の雷に当たるのが目に見え……」

「それは否定しません。でも、間を置けば、雷は遠ざかるでしょう? そのまま忘れてくれたらこっちのものです」

 斎藤の言葉を軽い調子で遮り、にっこりと微笑んでみせたのだった。


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