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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
壱、 迎春の宴
11/47

 6

今回R15描写があります。

「……あっ、ふ……」

 女芸者の艶やかな喘ぎが宙を舞う。

 着崩れた着物からは形の良い二つの膨らみが零れ、白磁の脚が覗いている。

 再び斎藤の唇が女の首筋へと移り、湿った舌で耳殻をなぞるようにして舐め含めば、男の熱い吐息と唾液とで、耳がしっとりとふやけてしまう。

 じんと痺れる甘い余韻に、女芸者はうっとりと目を閉じている。その表情をやけに醒めた目で見下ろす斎藤は、組み敷く女の正体に気付いていた。

 居続け初日から己の横に陣取り、あからさまな色仕掛けを向けられた時にはとにかく呆れてしまい、何度もやり過ぎだと注意しそうになったほどだ。

 またそれ以上に、いまだ斎藤の腕の中で意のままになっている女の思惑が図れず、困惑の色が強くなる。

「……まさか、今回の宴にも入り込んでいるとは思いもしなかったぞ」

 続けざまに「紺乃」と、女の名を耳元で呼んだ。

「驚いてくれた?」

 耳元の囁きに目蓋を上げた女の目には、悪戯が成功して喜ぶ子供のような無邪気さが宿っていた。

 ころころと笑う紺乃の指先が、着崩れ露わになった男の胸板を滑る。

「会津藩の隠密が何を──」

「しっ」

 女は、際どいところまで下がりきる前に阻止された手とは逆手で男の着物の端を掴み、引き寄せる。結果、強制的に女のはだけた胸元へと顔を埋める形となり、斎藤は息を詰めた。

「もっと近くで喋らないと駄目。しばらくは女たちが聞き耳を立てて、伊東に報告する手筈なのよ」

 ひとつの襖に厳しい目を向ける紺乃にならい、依然引き寄せられたままの体勢から視線だけを動かした。斎藤もまた、息を潜める者の気配を感じていた場所でもあったのだ。

「どうやら伊東にも、相当気に入られたようね」

 頬に触れる女の胸が、ひそやかな笑みの振動で隆起する。

「……とんだ迷惑だ」

 ぽつりと落とされた言葉が余程意外に思ったのか、女は男と顔を見合わせる為に、拘束する手の力を弱めた。

「その割にはしっかり仕事していたじゃない。隣で聞いていて、ほんと感心していたのよ」

「それを言うなら、こちらも遠慮なく言わせてもらおうか。……お前の京言葉は聞くに耐えん。無理して使おうとするな。やめておけ」

 目と鼻の先で対峙する男女の間に走る緊張感。だが、お互いこれ以上の不毛な応酬を避けるだけの分別があった。

「薩摩藩の大久保が、伊東と接触を繰り返しているわ」

 脈絡もなく始まった紺乃の話に、斎藤は戸惑うことなく聞き入っている。体勢は変わりなく親密な男女のそれだが、交わされる眼差しや雰囲気に媚びや甘やかさなど欠片もなかった。

「どちらからと言えば、伊東側が積極的に関わりを持とうとしているようだけど。……ただ問題は、その大久保の背後に岩倉具視がいること。彼は薩長同盟を期に、いよいよ幕府を潰す気だわ。だからこそ容保公は、伊東を通じて新選組が倒幕側へ流れやしないかと、ご心配なさっておいでなの」

「……伊東ならびに薩摩藩の動向を探れと、公のお指図が?」

「容保さまのご信頼厚いあなただもの。指図なくても動く。違うかしら?」

 暗に建白書の件を示唆する。新選組に内部闘争を回避させる為に近藤らの仲を修復した松平容保公だが、内部事情の細部を知り得なければできなかったことだ。しかし、いくら幹部だとはいえ、一介の隊士の進言を素直に受け止め、公自ら動いたのは驚きである。

 だが、新選組だけでなく会津藩内でさえ、斎藤の功績は秘されている。無論のこと、斎藤自身の口も堅く、己の手柄を吹聴したりはしなかった。

「だけど、もうすでに役は付いていたみたいね」

 揶揄するような瞬きをやどした紺乃がちいさく笑った。

「実質、伊東派に手を焼かされているのはそちらだもの。近藤……いえ、土方が何かしら対策を講じないはずがない」

 探るよりは楽しげに問う紺乃に、斎藤は答えるように笑った。その笑みは意外と男臭く、魅力的でさえあった。

「……人の悪い笑みね」

 ひと呼吸遅れて悪態をつくが、心なしか口調が危うい。しかし、その瞳に瞬く光が紺乃を奮い立たせた。

 嫉妬の孕む殺気が宿る。

「容保さまが何故あなたを厚遇するのか、どうしても理解できない」

 悔しげに呟いた紺乃は、男ににっこりと微笑みかける。

「だからわたしはあなたに興味があるの。まずひとつは、この状況下でわたしを抱けるかをね。……試させてもらうわ」

 そして、組み敷かれた状態で男の首に腕を回す。

「今そこで固唾を飲んで聞き耳を立てている彼女たちにも悪いじゃない?」

 囁かれた悪戯口調の女の声が、斎藤の耳朶奥で蠱惑的に響いた。

 殺意にも似た敵意が込められた誘惑に、斎藤は不敵にも、女の唇に己のそれを重ねることで応えてみせる。

「悪くない」

 それは情事を盗み聞きされていることなのか、それともいつ寝首をかかれるとも知れない恐れを抱かせる女の眼光の強さなのか、まさかただ単に紺乃の唇の感触を誉めただけなのか、定かではなかった。

「……最悪、むかつく男」

 心の底から唸る紺乃が、男の背中をつねった。


 その甘い痛みに、斎藤は再び笑みを浮かべてみせたのだった。

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