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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
壱、 迎春の宴
10/47

 5

 明けて二日目。

 茶で口をゆすいだ伊東たちは、朝からまた飲み始めていた。料理が運ばれ、唄も踊りも披露される。二日目もまた日暮れを迎えたが、帰れば切腹が待っているともなれば、隊に戻りたいと思う者などいるはずもなく、居続けは続行された。

 陽の明るい時刻から宵の時刻と、終始連日、三味線と太鼓の音が華やかに響き渡る。


丸竹まるたけ夷二えびす押御池おしおいけ姉三あねさん六角ろっかく蛸錦たこにしき四綾しあや仏高松ぶったかまつ万五条まんごじょう……」


 男女の恋唄は勿論のこと、京の町通りの名を並べた唄から世情風刺の唄まで、大夫や芸者たちの紅唇によって紡がれてゆく。

 勤皇志士たちがくるわで盛んに天下国家を論じていたせいか、いつの間にか郭言葉に漢語が多く入り込み、たちまちにして流行していたのだ。

 不逞浪士たちを取り締まる立場でもある新選組としてみれば、大変苦虫を噛むような唄が横行することは由々しき事態でもある。だが、如何いかんせん酒が回り過ぎているのか、それとも伊東らの琴線に触れでもしたのか、唄の調子の良さも相まって、手を叩きはやし立てている。

 中には、酒気で充満した身体が訴える情欲の矛先を、傍にはべる妓女たちへと向ける者もいた。初日、斎藤の隣に座していた永倉もそのひとりだ。宴を始める際、無礼講であると宣言していた通り、伊東は別室へと消えてゆく隊士を咎めなかった。ただその代わりに、熟柿じゅくしきった酒の匂いに、相方を勤めた妓女の何人かが不満を零していたくらいだろう。


「斎藤君。あれから新選組の居心地はどうかね?」

 踊る芸者たちと戯れている仲間の姿を離れた場所で眺め、酒を飲んでいた斎藤は、上座にいる伊東を振り仰いだ。

「居心地、ですか」

 あれからと、伊東が問うているのは、先の建白書の一件に違いない。あまり群れることをしない斎藤が、あの一件に関わっていたことがよほど意外だったのか、伊東は探るような目を向けていた。

「もとより、金の充ても身の振り方もままならなかった頃に比べたら、随分と良いところです。……皮肉なことに、剣の道しかなかった私には似合いの場所だと感じています」

「だが、不満があったからこそ、先の建白書騒ぎになったのではないのか?」

「あれは……」

 伊東のもっともな言い分に、斎藤はちいさく苦笑する。

「あれは永倉の勢いに流されただけで、あれほど熱く義憤を抱けるほど、局長に思い入れがあるわけでは……」

 そう言ってから、はっと我に返った斎藤は、伊東が見ている前だというのに、めずらしく困った顔をして「参ったな、酒が入り過ぎたか……」と、呟いている。

 その様子を見て、伊東はかすかに笑った。

「もしこれから隊で何か不足を感じたなら、気兼ねなく私に相談してくれ。必ず力になろう」

「有り難く存じます」

「堅苦しい礼は不要だ。さあ、皆のように楽しんでくれたまえ」

 伊東の機嫌の良さに戸惑いを見せる斎藤の袖を引いた者がいた。誘われるままに視線を動かせば、居続け一日目から斎藤の傍に侍り、甲斐甲斐しく世話を焼いていた女芸者が微笑んでいた。

 賢そうな広めの額、やや切れ長で意志の強さを宿した目の女だった。

 斎藤と言う男は、伊東が言わんとしている無礼講の意味や、女の含みのある笑みがわからぬ鈍感な男ではない。

 再び上座へと顔を巡らせた斎藤は、お気に入りの大夫に酒を注がせ、寛いでいる伊東に目礼を返すと、女芸者を連れて退出する。


「伊東先生、どうでしたか」

 しばらくの間、大夫相手に酒を楽しんでいた伊東のもとに、芸者たちの輪から抜け出てきた篠原がやってきた。

「そうだな。幸先が良い結果になるやも知れん」

「……と、言いますと?」

「斎藤と話していて、新選組──いや、近藤に対する執着はまるで感じられなかった。先の建白書騒ぎでも、率先して参加していた訳ではなかったようだし、色仕掛けも有効のようだ」

 普段の育ちの良さが窺える微笑みが崩れ、策士ばった笑みが口元を飾る。

「あの男、益々駒として欲しくなった」

「……では引き込みますか」

「ああ、それがこの宴を催した目的でもある。当然だ。あの男に大きな恩を売り付ける為、まだまだ居座るとしよう」

「わかりました」

 すぐに了承の意を示した篠原だが、まだどこか物言いたげな顔を伊東に向けていた。けれど、大夫を引き寄せ、仲が良さげに顔を近づけて囁き合う伊東の姿にちいさく苦笑すると、仲間と芸者たちの輪に戻るべくしてきびすを返したのだった。


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