佞邪君共決戦
佞邪をかけた戦い……!
世歴八百四年四月四日 午前七時頃 佞邪国 丞相府 釣幻の寝室
「さ~てっ!官男軍共を処分しに征くかっ!」と釣幻の目覚めの第一声!
これにおよそ十分ほど前から彼の寝床に傍に控えている俊雄が――
「丞相閣下!既に出陣の準備は済んでおります!」と瞬時に応える!
それから一時間も経たない内に、釣幻は自身が直接二個団(二個連隊規模)二千名程を引きつれて、丘幸を出陣!官男軍を叩くべく東進していく……!
同日 午前七時三十分 官男軍 佞邪国司隷東部 官男軍本陣
「既に佞邪の丘幸は近し!今こそ、暴君共を一掃するぞおおおおおっ!!」
「おおおおおおおおおおおおおっ!!」
全力で偽った官男の気合いに、全力で応える官男軍一千の全将兵!
全将兵の中には、つい昨日までは佞邪国の将兵であった者達も含まれている。
故にその気合は――あの釣幻を倒さん!そして――あの釣幻への日頃の鬱憤を晴らさん!という二つの信念が相まっている……。
――ここまで話が加速するとは……。と外面と裏腹に、現実に追いつかない官男。
本来ならあと六年ほど待ってから、佞邪国を“解放”するつもりだったのに……。
しかし、現実が一男の小さな計画に寄り添うはずもない……。
佞邪君共決戦
世歴八百四年四月四日の午前九時頃から始まる、佞邪国の首都である丘幸の東方近郊で、君主主義の佞邪軍と共和主義の官男軍の両軍が雌雄を決した一連の戦いである!
このときの佞邪軍の規模は三個団(三個連隊規模)三千名!官男軍の規模は八百四十名!
この戦いはそれぞれの主義の頭漢字を採って、『“君共”決戦』呼ばれている。
まずは前哨戦!官男軍は自軍の北方側面に展開していた佞邪軍の北団千名に対し、攻勢をかける!佞邪軍の本隊の到着前に、弱い奴から片づけようという官男の方針!
北団の校尉(指揮官)である湧恩(氏が『湧』、名は『恩』、字は『魯夫』)はこの官男軍の攻勢に全力で応戦!
しかし、北団の将兵は真夜中の一時頃から不眠不休で六時間もの行進を敢行して、この戦地に辿り着いている。それから一時間は朝食休憩とるも、疲労を取るには全く足りない!
そのうえ八時頃から今に至る一時間は警戒したまま!この警戒心で精神も消耗!
陸に眠っておらず、心と体の疲労が抜けていない将兵共……。
これでは真っ当な反撃ができるはずもない……。実際に湧恩は果敢な指揮も虚しく――北団は主力の四割を失い後退を余儀なくされた……!
それでも、官男軍に二割弱と少なくない損害を負わせてみせた……!
いよいよ本戦!午前八時から丘幸を出陣した釣幻が直率する佞邪軍本隊二個団(二個連隊規模)二千名がこの戦場に到着!今だ後退した北団に気を取られている官男軍へ攻撃!
これに官男は果敢に反撃を指揮するも、多勢に無勢。苦戦を強いられる……!
真面に兵法を学んできた釣幻と俊雄の親子では、なおさら……。
そこへ湧恩が「この機を逃してはならぬ!」と北団に号令!官男軍へ反撃!
北団は佞邪軍本隊と官男軍の間に割り込むように突撃した!
この時の湧恩は「侯殿下(釣幻)に指一本触れさせぬ!」と意気込んでいた!
この北団の反撃に応じて、釣幻は佞邪軍本隊に、官男軍の側面から後方に渡って展開するように命令を下す!北団が敵の正面に立ち塞がって被害を担当している間に、主力が敵の反撃が薄い側面や後方を攻撃するという算段である……。
――賊共との戦いで、“玉”ともいえる部隊に損害は出したくないものだ……。というのが、この当時の釣幻の本音。同時に息子である俊雄の考えもこれに同じ。
このように前面の北団、側面から後方にかけては佞邪軍本隊と半包囲される官男軍!
結果――官男軍は大打撃を受け、半数以上の損害を出して過穀のほうへ撤退し始めた!既に「過穀が落ちた!」という“誤報”さえ忘れて……。
官男軍が撤退を始めたのが、昼の一時。湧恩は官男軍の撤退を見逃さず、北団に“追撃”を命令!前哨戦での恨みを晴らさんと言わんばかりの勢いで……!
この北団の追撃に佞邪軍本隊は乗らず、のんびりと昼食休憩状態へ移行。
釣幻の「腹が減った……!」という我儘もあるが、俊雄が「古来から敵への“深追い”は愚の骨頂である!」という意見に納得された面が多い……。
その追撃の最中、熱くなった湧恩は最速の騎兵部隊を直率して、北団の先頭へ。
しかし、道中で官男軍の弓兵部隊の待ち伏せに遭い、全身に矢を受けて落馬したところを、槍兵に止めを“言葉通りに刺されて”――戦死!
これらの報を聞いた官男は、指揮官を失った北団に対して反撃に転じる……!
まだ終われない官男軍!




