第四十話:過穀の戦い
ようやく一つの戦いが終わる……。
世歴八百四年四月二日 午後五時半頃
佞邪救国政府過穀政権 過穀 官男軍本陣
「同志主席! 猛己軍の撤退を確認しました! 此度の戦――我らの大勝です!」
この過穀政権の書記(次席格)である暖沼の報告が引き金となって――
「かっ……勝った……。よっ……よっしゃああああっ!」
「やった……やった……あの忌々しい猛己を退けたぞおおおっ!」
「我らが同志――官男主席、万歳、万歳、万々《ばんばん》ざあああああいっ!!」
「我らこそ――本物の『佞邪救国政府』だあああっ!!」と次々と雄叫びを上げる男達。
この陣にいる誰もが“喜び”や“楽しさ”が混じったポジティブな感情を爆発させる。
「……!」
過穀政権の主席である官男も静かに“喜び”を噛み締めている。しかし、“楽しさ”はない。まだ倒すべき敵は腐るほどいる。楽観視なぞしたくても、できないほどに……。
故に彼は片手を上げて――周りの同志達を静めることにする。
すると周りは瞬く間に静かになっていく……。
それから周りが静かになった頃を見計らって、官男が――
「官男軍と猛己軍の残存戦力を報告せよ!」と暖沼に求める。
「はっ! 先ずは官男軍から。親衛(騎兵)隊(一個中隊規模)約百二十名! 釜穀からの増援部隊約百二十名! 弓兵隊は無傷で二百名!
以上が官男軍の計四百名を超える主要戦力の全てです!」
「猛己が相手ながら、多めに残った戦力か……」
暖沼の報告に、官男は不満を残しながらも報告を受け入れる。
主要戦力がたった百名になるかもしれないという不安に襲われた身だ。
その不安が四倍以上の現実となって返ってきたのだから――ほっとしてしまう……。
「そして猛己軍の残存戦力は――猛己の親衛(騎兵)小隊約四十名!
これに加わるは槍兵小隊約四十名のみ!
以上が猛己軍の計百名にも満たない主要戦力の全てです!」
この暖沼の報告には、官男は堪らず――
「それに希望的観測は含まれておらんだろうな? あまりにも少なすぎるぞ!」と驚きが混じった疑いを返してしまう……。周りの同志達からも「マジか……?」と疑いの声が続出!
「いいえ全く! それどころかほぼ断定と言っていいぐらいです!
何しろ、あの猛己はむやみやたらと己の兵を敵に突っ込ませるだけで、力技ばかりに頼るのみ! 兵法書等を全く見たことが無い者と思わざるを得ません!」
「ふむ……それもそうだな。猛己は昔から頭が悪い!」
力が込められた暖沼の説明に、自身の記憶から裏を取って納得する官男。
官男がよく思うには、猛己は救国政府の開闢時から馬鹿。
救国政府が『過穀』と『畔河』の両政権に分裂する前の頃、官男は猛己の前で兵法を説いたことがある。その直後に猛己は――
「そんなの関係ねえっ! 戦いは頭とか数でやるんじゃねえええっ!
とにかく質……腕なんだよおおおおっ!」と逆に“力”説。
しかし、汗がすごかった。おそらく自分の理解力の無さを隠すのに必死だったのだろう。
「どうします同志主席? 直ちに橋を修理して、猛己軍に追撃しますか?」
「いや……いい。『手負いの獣ほど怖い生物はない』と聞いたことがないか?
それに、『窮鼠(追い詰められた鼠)猫を噛む』という言葉もある。
古来から追い詰められた強者には手を出さないのが兵法の基本!
ここは敢えて猛己軍を逃がして、安心しきった時を狙うぞ!
もう猛己軍は風前の灯! その灯を消すのはその時で遅くあるまい!」
暖沼の追撃の提案を、官男は故事を用いながらやんわりと退けた。
提案を退けられた暖沼は嫌な顔一つもせずに、それどころか満面の笑みで――
「流石は――同志主席! 賢明な判断です!」と官男に感心する。
――賢明な指導者の下にいて良かった……。という本心も暖沼に芽生える。
この乱乱乱世――悪い上司の下にいたら、命がいくつあっても足りない!
「とはいえ、その時までに猛己軍の灯残っていればの話ですが……」
続いての不敵な笑みを浮かべた暖沼の発言に、官男は「どういう意味だ?」と訊き返す。
「先程――猛己軍の捕虜を見て参りましたが、もう猛己の親衛(騎兵)隊の兵ですらも……猛己への忠誠心は高くありません!
思えば――猛己の畔河にもまだ兵はいますが、その兵達が反乱を起こす可能性も決して無ではないでしょう……! むしろそのように謀るが良いかと……!」
「なるほど、猛己軍の自滅を待つ手もあるな……。参考になったぞ!」
この暖沼の提案に、官男は即答を避けるものの前向きにその提案の受け入れを考える。
ここまできたら、提案が“現実”になる“一歩手前”と言ってよい。
暖沼は静かに喜びつつ「恐縮です……」と畏まる。
官男軍と猛己軍が激闘を繰り広げ――後に『過穀の戦い』と名付けられる過酷な戦いは、こうして終わった。大勝した官男軍内には歓喜が広がっていたが、それはすぐに――
「大変です、同志主席! 先程、国境警備に協力している人民達からの狼煙がっ!」という一人の伝令兵の声で打ち消されてしまう……。
次回予告:まだ安心できない官男軍……。
今回の登場人物
*佞邪救国政府過穀政権
・官男:過穀政権の主席(最高指導者兼元首)。
・暖沼:過穀政権の書記(首相)。官男の右腕。




