第37話 二人の鬼 其の五
第37話 二人の鬼 其の五
しがみつく療の腕を、叶が掴む。
怒りを買ったのだと思った。
このまま力まかせに振り解かれれば、療に成す術はない。それでも行かせるわけにはいかないのだと、療は一層力を込める。
叶の手は療の腕を掴んだまま、力を入れる様子はなかった。
療、と。
叶が呼ぶ。
とても穏やかなその口調に療は驚き、しがみつきながらも叶を見上げた。
この場にそぐわない優しい笑みを浮かべながらも、瞳の奥に宿された憤ろしさに、ぞくりとした冷たいものが療を背中を伝う。
「……大丈夫ですから、離して下さい」
様子を見ながらも、療がおずおずと叶から離れる。
持てる『力』を全て抑えて。
叶は見ていた。
意識を失って、ぐったりとしている香彩を。
痛みに耐える咲蘭を。
不意に。
険しい表情で閉じていた咲蘭の瞳が、叶を捉える。
何かを悟り、微かに笑ったように見えたのは決して気のせいではないはずだ。
あまりの儚い笑みに。
療の胸が痛んだ。
今一度、彼らに、那務羅に攻撃の与える隙がないか、探りを入れてしまいそうになるくらい、心の焦りと葛藤が生まれる。
そんな療の心の変化を見透かす様に、那務羅は療を一瞥すると、人ひとりを抱えているとは思えないほど高く跳躍し、鬱蒼とした森の向こうへ姿を消したのだ。
「行くぞとは言ったが……ようやく手に入れた獲物だ。余程急いてると見える」
一人になった風丸が、牽制とばかりに香彩を、傷を見せ付ける。
ようやくその創痍を見ることとなった紫雨の、息の呑む気配が伝わってきた。
紫雨のそんな様子を、あきらかな嫌厭の情を持って風丸が見やる。
そのまま冷たい紫闇の双眸が、療へと向けられた。
「お楽しみはこれからだ、療。恨むんなら『彼女』を……里愛良を恨むんだな」
「──……なっ……!」
風丸の口から出てきた名前に、叶が、療が、そして紫雨が、凍り付いたように動けなくなった。
何故その名前がここで出てくるのだと、問いたい声は音に成らず。
里愛良とは。
既に故人となった、香彩の母親の名前ではなかったか。
風丸が香彩を抱き抱え、高く跳躍し、やがて見えなくなった後でも、誰ひとり言葉を発することも、この場を動くことも出来なかった。




