第32話 竜紅人 其の七
「まぁ。夢といっても、この者にとっては自身の存在意義を覆す程の、悪夢だがな」
「なっ……」
ぎっ、と咲蘭が竜紅人を睨み付けるが、竜紅人はとても面白そうに、くつくつと嗤う。
「『侵入』させて貰う礼として、元々この者が持っていた、封じられた記憶を解放したまでのこと」
元々持っていた封じられた記憶。
この言葉に咲蘭の顔が強張った。だがそれは無意識だったのか、咲蘭は自身の表情が変化していることに、気付けないでいた。
くつくつと。
くつくつと。
竜紅人が嗤う。
「何だか色々と心当たりがありそうだな。なぁ? 参謀さんよぉ」
竜紅人の声が遠くに聞こえた気がした。
何故その言葉に目の前に敵がいるというのに、感情が突き動かされるのか、咲蘭には分からなかったのだ。
ただ分かることと言えば。
そんなことが出来るのは。
叶だけ、だ。
「貴方の目的は一体何です? 香彩をどうしようというのです?」
「まぁ、待て。もうすぐ来る」
竜紅人の姿をした存在は、咲蘭の背後に続く道を見据える。
離れへと続くその森の道は、たとえ夜が明けたばかりと言えども薄暗く、道の奥は僅かながら日の光は差すものの、ぽっかりと暗闇が半円の口を開けているかのようだった。
その暗闇の向こうから聞こえてくるのは、請願の声。
「縛!」
札が真っ直ぐに、竜紅人に向かって宙を走る。
術に気付いて竜紅人が札を避けようとするが、術は大きく展開した。竜紅人の足を、青白い光で作られた鎖が雁字搦めにして、地に縫い付ける。
「紫雨……」
咲蘭の言葉に紫雨が一瞥すると、紫雨が療の名前を呼んだ。
頭上にある木の枝のしなる音が聞こえて、高く跳躍した療が、自身の鋭爪を竜紅人に向かって振り翳す。
受け止めたのは、やはり竜紅人の真竜の手とその鋭爪だった。
竜紅人の両手が塞がった、まさに一瞬の隙を。
「咲蘭!」
「ええ」
紫雨の呼ぶ声に咲蘭が刀剣を構え、攻撃の軸となる足を前に踏み出した、その時だった。
「──っ!!」
背後から後頸部に浴びせられたのは、強烈な手刀。
失いそうになる意識の中で、咲蘭は考える。
自分の後ろにいたのは、たったひとり。
(……まさか彼までも)
咲蘭が最後に見たものは。
視界の端に映る金の髪と。
茫然と立ち尽くす療。
そして。
竜紅人の皮を脱いで顕れた、薄青の髪色をした細身の鬼だった……。




