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影踏み(完)「影踏み鬼」

 呼ばれた2人の男は、その臭いを嗅いだ瞬間に吐き気を催し、その光景を目の当たりにした瞬間に、胃の内容物を全て吐き出した。

 肉を抉られ手足をもがれ、腸を引っ張り出された男たちの屍体が、山になって壁際に積まれていた。

「清掃員を呼ぶ暇がなくてね」

 と、物陰から現れた瑠流斗が言った。

 瑠流斗は事務所に置いてあったスーツに着替え、何事もなかったような顔つきだ。だが、すぐそこには屍体の山がある。

 呼ばれた2人の名前は、黒い瞳の白人男性サリヴァンと、松田という冴えない男だ。

 2人はすぐに地下室の前まで案内された。

「内側から鍵がかかっているらしいから、2人で協力して開けてくれないかい?」

 瑠流斗の要請にまず動いたのはサリヴァンだった。

 眼を細めて厚い扉をじっと睨む。

「船の舵のような物がここの真裏にある。だいたい距離は30センチ先だろう。それを回せば鍵は開きそうだ」

 流暢な日本語でサリヴァンは言った。そう、彼の能力は透視なのだ。

 そして、松田の能力は?

 頭を掻いてから松田は大きなあくびして、やる気のなさそうな感じで、軽く手に力をこめはじめた。

 松田の手が振るえ、すぐに一気に力が抜けた。

「重すぎて開かないなぁ」

 声までやる気がない。

 サリヴァンの平手が松田の頭を引っぱたいた。

「しっかりやれ!」

「うい、ちゃんとやりますよー」

 やっぱりやる気のない顔で松田は再び手に力を込めはじめた。

 扉の取っ手を握っていた瑠流斗の手が動いた。ゆっくりと扉が開く。

 松田は瑠流斗を見てニヤリとした。

「開けたぜ」

 この男の能力は念動力。手を使わずに物体を動かす能力者なのだ。

 瑠流斗は2人に顔を向けて言う。

「料金はあとで払うよ。今は早くこの場所を離れたほうがいい、また銃を持ったやつらが押し寄せてくるまえにね」

 その言葉にサリヴァンは背筋を凍らせた。駐車場の屍体が脳裏に過ぎってしまった。あんな殺戮が行なわれる現場に居合わせたくない。

「そうだな、私たちは先に帰らせてもらおう」

 サリヴァンと松田は瑠流斗を残して姿を消した。

 重く分厚い扉を開けて、瑠流斗は部屋の中に侵入した。

 すぐに扉を閉めると、辺りは一筋の光もない闇に包まれる。扉を開けっ放しにしないのは、雄蔵を逃がさないためだ。けれど、その代わりに瑠流斗はなにも見えなかった。

「ついに追い詰めたよ、影山雄蔵」

 闇の中を見ることはできる。だが、闇と同化している者は見えない。

 声は闇の中から返ってきた。

「まだ、追い詰められたわけではない。まだ私はこの闇に隠れている」

「そうだね」

「私を本当に殺せると思っているのか?」

「どうだろうね、やってみなくてはわからない」

 いつもの口調、いつもと同じ顔、いつもの瑠流斗だった。

 瑠流斗は一歩前へ踏み出した。敵の気配を探る。しかし、なにも感じられない。

「私の居場所がわからんのかね? わかったとしても私に攻撃を加えることは不可能だと思うがね」

「居場所が掴めないのは事実だね。声が反響しすぎて、声から場所を探ることができない」

「そうだろう、この部屋は特別製だからな」

 雄蔵がしゃべるたびに、部屋中から声が聞こえ、それは山彦のように反響する。

 瑠流斗がまた一歩足を動かした。

「貴方は父上よりも用心深い。影でありながらも、さらに存在を隠し続ける」

「そうだ私は生まれたときから影だ。表舞台には決して立つことができない」

「生まれたときから影か……それについてはまだ納得していない。たとえば、影がなければ本体は存在できると思うかい?」

「突然なにを言い出すんだ、質問の意図がわからんな」

「おそらく君自身も、源三郎氏も気付いていない事実」

 瑠流斗が口元を緩めた。

 影が震えた。

 刹那――影が狂気を放つ。

「ぐぎゃぁ!」

 闇の中に木霊する悲痛な叫び。

 また気配が消えた。

 そして、すぐに雄蔵の声が聴こえる。

「どうして、どうしてだ!」

「なんのことかな?」

 悪戯に瑠流斗は笑った。

「どうして私に攻撃を!」

「その問題に関しては、すでに解決済みだよ……はじめてボクが源三郎氏にあった時点で」

 瑠流斗は感覚を研ぎ覚ませた。

 殺気を放つ一瞬、相手の気配が伝わる。つまり、影である雄蔵の気配はゼロではないということになる。今も、微かな気配がどこにあるはずだ。

 音はない。空気の流れもない。声すらも聴こえなくなった。

 雄蔵はどこにいる?

 部屋に光が差し込んだ。扉が開こうとしている、逃げる気だ!

 少し開いた隙間から影が出て行った。すぐに部屋は闇に閉ざされ、瑠流斗は素早く扉を開けた。

 逃げ足は聴こえない。それでも瑠流斗は階段を駆け上がった。

 瑠流斗は見た。床に走っているシルエットが映っている。そのシルエットを瑠流斗は追った。

 雄蔵を追ってビルの外に出た。

 降り続く雨と、夜の闇が雄蔵を隠す。だが、幸いなことに辺りのビル明かりや、風俗店の明かりが世界を照らしていた。

 あそこまで追い詰めて、ここで逃がすわけにいかない。

 一瞬たりとも雄蔵から目を離さず、瑠流斗は影を追い続けた。

 雄蔵はビルとビルの間に逃げ込もうとしていた。

 瑠流斗のリボルバーが叫びをあげた――怨霊呪弾だ。

 呪弾が当たったかどうか、弾痕は壁を腐食させていた。

 瑠流斗は感じていた。

 怨霊の気配が少しずつ遠ざかっていく。それは呪弾から解き放たれた怨霊の気配だった。呪弾はたしかに雄蔵に当たっていたのだ。

 呪弾がマーキングの代わりになり、瑠流斗は怨霊の気配を追って走り出した。

 細いビルとビルの間を走り、大きな道路に出た。

 右手は駅に続き明かりが強い。怨霊の気配は左からだ。いや、左だと思った気配が、急に速度を上げて右に向かい、瑠流斗の眼の前を通り過ぎた。

 車だ、雄蔵は車に乗り込んだのだ。シルバーの乗用車に雄蔵は乗っている。

 運転手に気付かれることなく、雄蔵は後部座席に身を潜めていた。

 車を追いかけて瑠流斗は走るが、さすがに車に追いつくことはできない。

 瑠流斗の眼に対向車線に走ってくるオートバイが映った。

 瞬時に瑠流斗はオートバイの搭乗者にラリアット――相手の胸に自分の腕を打ち付けた。転倒したオートバイから男が投げ出せれ、瑠流斗は地面の上で痛がる男には眼もくれないで、オートバイを奪って追跡劇を開始した。

 アクセルを全快にして、雨の道路を駆け抜ける。

 逃げる気のない車はすぐに見えてきた。

 遠くに見える信号が赤に変わった。雄蔵を乗せたシルバーの車も止まる。これはチャンスだ。

 瑠流斗はすぐに追いついて、車に横付けした。

 しかし、潜んでいた雄蔵がその存在を明らかにして、運転手を脅したのだ。

「横にいるバイクから逃げろ。でないと、おまえを殺すぞ!」

 姿なき声に運転手は怯え、言われたとおりアクセルを踏んだ。

 シルバーの乗用車が車の列から抜け出し、信号を無視して雄蔵を乗せたまま逃げ出した。

 すぐに瑠流斗も信号を無視して、車の流れを縫いながら交差点を突破した。

 駅前に近づくにつれ交通量も増えてきた。

 シルバーの車は駅を前にして左折した。いったいどこまで逃げ続けるつもりなのか。

 瑠流斗がリボルバーを片手で構えた。

 呪弾が叫び声をあげる。

 しかし、狙いを外れて掠ることもなかった。

 オートバイを運転したまま、動く物体に狙いを定めるのは至難の業だった。増してやリボルバーでは連射ができず、狙いを付けづらいデメリットがあった。

 連射ができない要因は他にもある。呪弾は撃つたびに瑠流斗の手を犯すのだ。

 オートバイに乗ったままでは弾の交換もままならない。

 再び瑠流斗はリボルバーを構えて撃った。だが、また呪弾はどこかに消えた。

「……雨の日は特に調子が悪い」

 土砂降りと暗い闇に紛れて、瑠流斗は白い息を吐いていた。その唇は紫色をしている。なんらかの体調異常をきたしていることは明らかだ。

 リボルバーを構えた瑠流斗の手は微かに震えていた。

 今度は時間をかけて狙いを定めた。

 しかし、呪弾は瑠流斗を嘲笑うように狙いを外れ、交差点を横切ろうとしていたタンクローリーに当たった。

 高圧ガスが一気に大爆発を起こした。

 激しい爆発音は鼓膜を震わせ、炎を山が辺りを明るく照らし、シルバーの車がハンドル切ってスピンした。

 次々と起こる玉突き事故。

 濡れた道路にガソリンが漏れ、飛び火が引火して辺りは一瞬にして火の海となった。

 ガソリンが垂れ流していた車が爆発した。

 大事故となったこの場から、シルバーの車は再び逃走しようとしていた。

 呪弾が叫ぶ。

 ついに弾丸はシルバーの車に当たった。だが、トランクを腐食させただけだ。

 リボルバーを握っている手は紫色に変色して、皮膚が崩れはじめていた。

 仕方なく瑠流斗はリボルバーをしまって、シルバーの車を追った。

 車の間を縫うように走るオートバイは、すぐにシルバーの車に追いついた。

 シルバーの車の少し前に出て、瑠流斗はハンドルから両手を離すと、そのままボンネットに飛び乗った。

 運転手が眼を剥いた。その首に突きつけられている闇色の刃物。そして、それを握っている影は後部座席にいた。

「奴を振り落とせ!」

 雄蔵が叫んだ。

 蛇行運転をはじめた車のボンネットにしゃがみ込む瑠流斗。足場が濡れていてバランスが悪い。

 瑠流斗は拳に力を込めてフロントガラスを殴りつけた。ガラスは割れずに蜘蛛の巣のようなヒビが入った。2度目のパンチで穴が開き、その隙間からガラスを引き剥がした。

「決して逃がしはしない、地獄の果てまでもね」

 瑠流斗は運転手を掴み、ボンネットに引き出した。

 急に車がバランスを崩してスピンする。

 そして、そのまま後ろを走っていた車に追突された。

 瑠流斗は座席の頭を掴んで衝撃に耐えた。だが、座席を掴んでいた手に痛みが走った。

 黒い血が噴き出す。

 闇色の刃物を握った雄蔵が瑠流斗に襲い掛かる。

「死ね!」

 すぐに瑠流斗は躰を捻ってボンネットの上を転がった。

 しかし、闇色の刃物が刺すのは瑠流斗ではない――その影だ。

 躰は躱したが、影までは避け切れなかった。

 瑠流斗の肩が血を噴く。

 塞がることのない傷を左肩と右手に受けた。

 雨と混ざった血がボンネットから垂れる。

 瑠流斗の眼が霞む。

「雨さえ降っていなければ……」

 苦虫を噛み潰したような表情で瑠流斗は漏らした。

 雄蔵が瑠流斗の影に襲い掛かる。

 上手く躱そうとするが、影は思い通りに動かない。瑠流斗の躰から次々と血が噴き出す。徐々に瑠流斗は追い込まれていた。

 視界だけでなく、意識までも霞みはじめた。

 サイレンの光が近づいてくる。パトカーの音がする。

 雄蔵は瑠流斗を置いて再び逃げようしていた。

「……逃がすか」

 眼を細めながら瑠流斗は呪弾を撃った。

 土砂降りの雨の中を叫び声が駆け巡った。

 女が叫び、男が呻き、子供が泣き、老人が下卑た嗤い声を発する。

 呪弾はアスファルトの地面に当たった。

「ギャァァァァァッ!!」

 人間とは思えぬ絶叫。

 呪弾がヒットした場所には、雄蔵のシルエットはなかった。

 しかし、怨霊は雄蔵を犯した。

 地面でのたうち回る雄蔵のシルエット。

「グギャッ……ガアア……なぜだ……ググ……なぜ……?」

 影しか見えなくても、雄蔵が苦しんでいる様子はありありとわかる。

 瑠流斗は血を滴らせながら、冷酷な瞳で雄蔵を見つめた。

「貴様はしょせん影だった。目に見えない隠された本物を撃ったまでだ」

 瑠流斗が提唱していた疑問。

 ――生まれたときから影なのか?

 その問いは雄蔵、あるいは源三郎に対してのものではなかった。彼らの一族がこの世に存在した瞬間から、影なのか否かを問うたものだった。

 雄蔵も、おそらく源三郎も知らなかった事実。影はやはり投影だったのだ。つまり、肉体は別にあったのである。

 影と常に行動を共にしていた真の本体。それは眼に見えず、雄蔵の傍らにいた。瑠流斗はそれを撃ったのだ。

 影はやはり、それ単独では存在できなかった。

「……私は……私はいったい……何者だったん……だ……」

 それを最後に地面の黒い染みは動かなくなった。

 遠くだったサイレンが、すぐ近くまで迫っていた。帝都警察が来る。

 瑠流斗は闇に溶けるように姿を消した。


 翌日の朝、瑠流斗は何事もなかったように朝食の準備をしていた。

 負わされた傷はすべて完治している。戦いの痕はなにひとつ残っていない。

 料理をしながら瑠流斗はコーヒーを口に運んだ。

「なぜか今日のコーヒーは美味しい……」

 そして、静かでとても穏やかな朝だった。こんな朝は久しぶりかもしれない。

 テレビの音が聴こえてきた。

 どうやらタンクローリー炎上のニュースと、カーチェイスのニュースがセットになっているらしい。容疑者はシルバーの乗用車を運転していた男。可哀想に完全な誤認逮捕だ。

 続けて影山物産が画期的な商品を開発したというニュース。海外に出張中の会長からコメントが届いているらしい。

 雄蔵がいなくなった今でも、偽者が会社の顔となっている。けれど今、偽雄蔵を影から操っているのは雄蔵本人ではなく、現役復帰した源三郎らしい。

 食事をテーブルに並べ、瑠流斗は席に着いて不思議な顔をした。

「なんで今日はこんなにも静かなんだろう」

 瑠流斗はすっかり忘れていた。

 その頃、某所の貸し倉庫の中で、アリスは泣きそうな顔をして主人の帰りを持っていた。

「瑠流斗さまぁ〜……ぐすん」

 主人が迎えに来るのはいつのことだろうか……?


 影踏み(完)

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