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潜水館の殺人  作者: 菱川あいず
事件
6/18

浸水

 二郎がある異変に気付いたのは,腕時計の針がちょうど21時を示したときだった。

 

 つま先になにかひんやりするものが触れたのである。



「あれ? 水?」


 下を向くと,石の床全体に,まるでスプリンクラーを撒いた後のような水たまりができ始めていた。



「雨漏りじゃねえか?」


「でも,今日,天気予報は終日晴れの予報だったと思うんだけど」


「ちょっと確認してみるか」


 一郎は立ち上がると,廊下の方へと歩いていった。

 わずかな間に水たまりはさらに大きくなっており,一郎が歩くとピチャピチャと音がした。



「外は晴れてるな」


 廊下から戻ってきた一郎が言う。

 


「じゃあ,この水は一体どこから来てるんだろう?」


 二郎は広間全体を見渡す。相も変わらず調度は何もない広間である。

 二郎は,長方形の広間の短辺,すなわち,ドアがついていない方の側に水が多く溜まっていることに気付く。そこで,壁に近づき,しゃがんでみたところ,ようやく水の出どころを発見した。



「あった。ここから水が流れ出てるんだ」


 何もない壁に,床に沿って,お菓子の空箱くらいの大きさの穴が開いており,そこから水が放水されていた。水の流れる勢いはそれなりに強い。



「どういうことだよ? 建物から水が出てくるんだよ? 一体どういう仕組みなんだ?」


「もしかすると,これがお父さんの言ってた『危険な仕掛け』なのかもしれない。考えてみると,この館の名前は『潜水館』なんだ」


 このかなり独特な館の名前については,二郎は,遺言書を読んで以来,ずっと考察していた。

 館の住所が海沿いであったから,もしかすると館は海の中にあるのではないか,とも思っていた。

 しかし,そうではなかった。


 館が海の中に「ある」のではない。館が海の中に「なる」ようだ。



「どういうことだ?」


「つまり,俺の今いるところからも強い勢いで水が出ていて,見たところ,逆側の壁からにも同じような穴があって,同じくらい強い勢いで水が出ている。この館は壁も床もすべて石造りだから,水が染み込むことはなく,どんどん溜まっていく。このペースで行けば,数時間でこの館は水でいっぱいになるんだ」


「つまり,水責めってやつか?」


「そういうこと。僕ら全員,この館の仕掛けによって溺れ死ぬということさ」


 一郎が乾いた笑い声で笑う。



「ははは。大したことない仕掛けだな。どこの世界に水が溜まっていくのを手を拱いて見ている奴がいるんだよ。水が溜まる前にこの館から出ればいいんだろ?」


「それはそうだけど,そうしたら,『潜水館の危険な仕掛けをくぐり抜け,逃げずに生き延びた』ということにはならないんじゃないかな」


「相続権を失うということか」


「そういうこと。だから,僕らは,迫り来る水に,この館の中にいながら対処しなければいけないんだ」


「ずっと立ち泳ぎでもしてろ,ってか」


「そうかもしれないけど,そうもいかないかもしれない。一体この水がどの水位で止まるのかが分からないから。もしかすると天井まで水でいっぱいになるってこともあるかもしれない」


「そうすると逃げ場がないな」


 一郎と二郎が議論をしているうちに,水位は徐々に上がっており,この館がそこまで広くないということもあり,すでに靴の半分くらいが水に浸かる状態となっていた。



「さてどうするか」


「客室はどうなのかな? もしもこの水が客室まで届いているのだとすれば,三枝か四郎か五郎が騒ぎ出してもおかしくないと思うんだけど」


「たしかにそうだな。確認してみるか」



 一郎は3のナンバープレートが付いたドアをノックした。「はい」という返事がして,三枝が客室のドアを開ける。


  その瞬間,広間の水が客室に侵入し,三枝がキャッと叫び声を上げる。



「冷たい!! 何これ!?」


「水だよ。親父のくだらない仕掛けによって,広間の壁から水が流れ込んできてんだよ」


 三枝のリアクションから,ドアを開けない限りは客室には水が入り込んで来ないということが分かった。おそらく客室のドアは水密性が高いということだろう。


 ということは,広間の水が溜まるまでに客室に避難さえすれば,客室は安全地帯だということだ。


 一郎は,四郎と五郎の客室の扉も同様にノックし,2人にも同様に広間の状態を伝えた。




「とりあえず,水が引くまで,それぞれ自分の部屋に閉じこもってるしかないな」


 誰にも異論はなかった。館にいながら確実に生き残るのにはそれ以外の方法がない。



 広間に水が溜まらないうちに,二郎も自分の部屋に避難した。


 ドアを引いた瞬間,広間の水が客室にも入ってくる。

 見たところ,館の床には傾斜は一切なく,客室のドアを開けっ放しにすれば,広間の水位と同じ水位まで客室にも水が流れ込むはずである。

 現在の水位は靴全体が浸かるくらいなので,二郎は,自分の客室の床の水位もそれと同じくらいになることを覚悟した。


 しかし,杞憂だった。

 なぜなら,客室の床沿いの壁にはテニスボールほどの大きさの穴が開いており,そこから水が捌けていったからである。


 しかも,客室の天井には大きな換気扇が回っている。


 ドアを閉めると,客室の床は数分ほどで元どおりのカラカラに乾いた状態となった。



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