故人
石のベッドの寝心地があまり良くなかったこともあり,二郎は,数分後,また広間に戻った。
中央の石の机には一郎がいた。机にはウイスキーの瓶が置かれている。
「おお,二郎,ちょうど良いところに来たな。一杯やらないか」
二郎はもう少し机に近づき,ウイスキーの種類がジョニーウォーカーブルーラベルだと知ったので,一郎の誘いに乗ることにした。
安酒とともに一郎の話を聞くのはごめんだが,高い酒なら楽しく酔える気がした。
二郎が席に着くと,一郎は,すでに机の上に用意してあったプラスチックのカップにウイスキーを注いだ。
「ストレートで構わないよな」
二郎は頷く。二郎も家ではウイスキーをストレートで飲むことが多い。
一郎と二郎の話題の中心は,故人の悪口だった。
「大事な子どもたちをこんな粗末な館に招待するなんて,とんでもない親父だよな」
一郎が毒づく。言うまでもなく「大事な」というのは嫌味である。
「金は腐るほどあるんだから,せめてフカフカのベッドくらい用意して欲しかったぜ」
同感だった。おそらく一郎も石のベッドのあまりの寝心地の悪さに,すぐに居間に飛び出してきたのだろう。
「もしかすると,別のところで金が使われてるのかもしれないな」
「別のところ?」
「そう。例の『危険な仕掛け』だよ。兄さんの言うとおり,ファイアボールでも飛んでくるのかもしれないし,もしかすると隠し部屋にクッパがいるのかもしれない」
「まったく,くだらない遊びに付き合わせやがって」
一郎はカップに残っていた酒をグイッと一気に飲み干した。
「兄さん,高級なお酒なんだから,もっと味わって飲んだらどうだい?」
「俺の酒だから文句言うんじゃねえよ」
一郎がカップをこちらに突き出したので,二郎はそれにウイスキーを注ぐ。
「それにしても,あの親父がああもあっさり死んじまうとは拍子抜けだったな」
「たしかに」
正治郎に肺がんが見つかってから,死ぬまでの期間はわずか3ヶ月であった。発見が遅れたため,発見時にすでにガンは転移しており,見つかったと同時に余命宣告を受けたのだと聞いている。
「幾度となく死線をくぐり抜けてきた冒険家が,たかがタバコごときに殺されるとは情けねえな」
「お父さん,かなりのヘビースモーカーだったからね」
「それは知ってるけどよお。俺は親父はもっとタフな生き物だと思ってた。もっと言うと,不死身なんじゃないかと思ってた」
一郎の言っていることは十分に理解できた。それに,二郎の記憶が正しければ,実際に,正治郎は過去に週刊誌に「不死身」と書かれたことがあったと思う。
「親父,雪山に閉じ込められたこともあったよな」
「あったね。あれはエベレストだったと思う。吹雪があって,その3日後にしれっと下山したんだ」
「それにどこかの原住民に殺されかけたこともあったよな」
「あったね。あのときは腹部を毒のついた槍みたいなやつで刺されたけど,逆に持ってたナイフで相手を刺し返したって話だったね」
こうやって思い返してみると,決して尊敬はできないが,本当にすごい父親だったとは思う。
こういった臨死体験が,正治郎を死の世界へと引きつけ,東京にコロシアムを設置するという突飛な発想へと導いたのかもしれない,と二郎は思う。
「それから,溺れかけたこともあったよな。あれはなんだっけ?」
「アマゾンかどこかで車ごと川に転落したっていう話?」
「それだ。それ」
「お父さんは車から脱出して,泳いで陸まで辿り着いたんだったよね」
正治郎から直接話を聞いたことはないが,この川に転落したときのエピソードについては,雑誌やテレビ等で,正治郎は幾度となく語っていた。それくらい,本人の感覚からしても,命からがらだったということだろう。
「すげえよな。しかも,そんな目に何度も遭っていながら,死ぬまで秘境を冒険し続けてたんだもんな」
「狂ってるよね」
「いろんな意味でな」
この後も一郎と二郎は,正治郎がいかにとんでもない父親だったかということについて大いに語り合った。三枝,四郎,五郎は,石のベッドでも無事休めているのか,客室から出てくることはなく,宴席は終始一郎と二郎の二人きりだった。




