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魔石グルメ ~魔物の力を食べたオレは最強!~(Web版)  作者: 俺2号/結城 涼
七章 ―冒険者の町バルト―

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スパイ。

 エレナ・アウグストは苦悩していた。

 それは外交に関しての事で、これから相当面倒なことになる。そう自覚できていたからだ。



「エレナ様。こちらがご所望の資料となります」


「ありがとう。どのぐらい集まったのかしら」



 ハイム城内にある、彼女の執務室。

 そこでクローネの母エレナは、自分が依頼した資料が届いたことに、若干安堵することができた。



 エレナの執務室へとやってきたのは、リリという女性でエレナの部下。4年ほど前から、エレナの専属として働いている。

 黒いショートヘアーの、身長は低めの可愛らしい女性。それがリリという部下だった。



 執務室へとやってきた彼女の顔をみると、どうにも顔色が優れない。



「どうかしたの?」


「実はその……集められたのはその通りなのですが、どうにも似たり寄ったりな物ばかりで」


「あぁ、なるほどそういうことね」



 だが彼女を責めることはできなかった。

 というよりも、エレナとしてもあまり多くは期待できていなかったからだ。



 数多くの冒険者たちにも依頼をかけて、資料の収集にあたった。

 だが彼らとしても、"あの国"を敵に回したくないのだろう。名高い冒険者たちは揃って、依頼を拒否して来たのだ。



「はぁ……イシュタリカ。こんなところでも強さを見せてくれるんだもの。大したものだわ」



 王族が舐めてかかってるのが、本当に恐ろしくてたまらない。

 だがなんだかんだ、ハイムは愛する祖国だ。できる限りは、うまくいくように仕向けたい。



「で、でもエレナ様なら大丈夫ですよ!いくら相手にイシュタリカの宰相が居ても……」


「……ねぇ貴方。貴方は港町ラウンドハートの、ここ10年の漁獲量の推移を知ってる?」


「は……?い、いえさすがに知りませんが……それがどうされたのですか?」



 失礼ながら、何を言ってるんだ?という顔を浮かべてしまった。それを反省しながら、どういう意図なのかを尋ねるリリ。



「私もね。こんなに詳しい資料は初めて見たの。逆に勉強になったわ、ついでに書き方なんかもご教示頂いた、そういうことね。イシュタリカの宰相殿は、本当にやり手よ」



 エレナは一枚の紙を取り出し、それをリリへと見せる。

 まだ不思議そうにしているリリだが、それでも手渡された紙に目を通した。



「……なんですかこれ」


「お相手が調べてくださった、港町の漁獲量の"詳細"な資料よ。脱税もあったらしいから、確認することをお勧めします。ってわざわざ一言添えてくださったわ」



 不愉快なことや、あまりに悩むことがあると、エレナは親指の爪を噛む癖があった。

 もちろんこうしている今も、その癖が出てしまっている。



「きっかけは……いえ、最初に舐めてかかったのはハイムね。でもここまで徹底的にしてくれるんだから。ほんっと面倒だらけよ」


「イシュタリカとの対談。どうなりますかね……」


「どうにかするために、これから頑張るしかないの。でもどこから詰めればいいのかしらね……。お義父様と、娘の誘拐疑惑?そんなのどうとでも言いくるめられるわ、それともティグル殿下への無礼?これも駄目ね、なにせ相手は王太子だもの。まだハイムでは王太子を立ててないのだから、立場ではティグル殿下の方が低いわ」



 半ば暴走的だった、ハイム王家からのイシュタリカへの要望。

 エウロへと圧力をかけて、無理やりといった形で届けさせた。

 エレナは当初、こんなものに返事なんて帰ってくるなんて思ってもみなかった。



 だが数十日後。それは動く。

 ただの返事どころか、現イシュタリカ王・シルヴァードの名で返事が届いたのだ。

 宰相や外務官の名ではなく、イシュタリカ王の名で届いたことに驚いたが、内容は更に度肝を抜かれた。



 長ったるい前置きと社交辞令を抜かせば、意訳すると『文句は直接いえ』という内容。

 それはハイム王やティグルへと、大きな衝撃を与えた。



「先手は……いえ、先手どころじゃなくて次の手もだけど。半ば言いがかりみたいな形でいかなければ、どうにも会話にすらならない気がするわ」


「……万が一。論戦や騎士同士の決闘を含めた、数多くの事で競うならば……エレナ様は、どうなるとお考えでしょうか?」


「決闘はわからない。なにせ私は、イシュタリカの騎士がどれぐらい強いのか知らないもの。言葉では聞いたけど、ローガス将軍という頼もしい方もいるのだから、勝機はあるかもしれない」


「なるほど、たしかにアレ……いえ、ローガス将軍ならばと思えますね」



 ただし論戦は勝機が見えない。

 むしろそんなことをしても、恥をさらしに行く様な結果になるだけ、そんな気がしてならないのだ。



「それに仮に、我々がイシュタリカの王太子について話すなら、彼の補佐官たちも顔を揃えるはず。どれほどの化け物を揃えてるのか、今から頭が痛いわ」



 王太子付きの護衛に補佐官。

 武は勿論だが、確実に弁論でも強さを発揮してくる。大国イシュタリカの人材は、どこも脅威が揃っていると認識するべきだ。



「そうすると、イシュタリカの王太子……その方の補佐官と、エレナ様。お二人が論戦を交わすこともあり得ると?」


「あり得るどころか、きっとそうなるんじゃないかしらね。だってハイムの主力は、きっと私だもの」



 ブルーノ家のアノンも、めきめきと実力を上げている。だが場数で言えばエレナの圧勝だ。だからこそ、まだエレナが主力として向かうことになるだろう。



「っと……ごめんなさい。これからティグル様と約束があったの。申し訳ないけど、資料の選別は任せてもいい?」


「勿論ですエレナ様。お任せください」



 ニコリと微笑みながら、リリは素直に頷いた。

 ——……ちょっとした一言だが、先ほどの彼女の言葉。それが気になってしょうがないエレナ。"アレ"、とはずいぶんな言葉遣いだった。



 そしてつい半信半疑で、カマを賭けてみることにした。



「あ、ところでリリ。うちの……オーガスト(・・・・・)家の来年の予算表だけど、いつまで出せばよかったのかしら」



 貴族は毎年、王家へと予算表を提示する。

 それは不正がないか、どれほどの資金が必要となるのか。そういったことを調べるための、一つの指標とされている文書。



「11月になるまでです。なのでそろそろお作りになるべきかと」



 ……そういうことか。とエレナは理解した。

 泳がせすぎるのも意味がない。なにせこれ以上好き勝手するのは、何一つ苦ではないだろうから。

 4年も前からこんなことをしていたのかと、全身を寒気が襲った。



「ねぇ。どうしてオーガストという名を知ってるの?ハイム王家ですら知らない名前なのよ?」



 何事もやってみることだ、前・アウグスト家当主グラーフはそう口にしていた。

 それに倣って、今もとりあえず口にしてみた。まさか懸念が正解だとは思わなかったが。



 万が一名前の間違えを指摘されたら、噛んでしまったなどなんでもいいので、何かしらの言い訳をするつもりだった。



「……あー。バレちゃいましたか」


「最初からかしら?4年前からずっと?」


「うーん失敗でした。まさかこんな失態を犯すだなんて、夢にも思いませんでしたよ。……ですがさすがですね、さすがはクローネ様のお母様といったところでしょうか」



 口に手を当てて、考える様子のまま返事をしないリリ。

 してやられたというべきか?いや、4年も前から潜入されていたのだから、そんな言葉では済まされない。



「ねぇ。無視はどうかと思うのだけど」


「っとと……すみませんエレナ様。つい自分の失態に目を瞑りたくなりまして」


「あらそう。でも随分と調べたでしょう?この4年間でね。だから失態っていう程じゃないと思うけど」


「うぅーん……。どうにも上司が厳しいものでして、ハイムのように"テキトー"ではいられないのですよ」



 自然にハイムを貶してきたが、エレナは冷静に気持ちを抑える。

 こんなことで一々怒りを露にしていては、イシュタリカとの本番なんてもってのほかだ。



「それは残念だわ。さて、もうバレてしまった訳だけど、どうするの?」


「ですがエレナ様。ここで私がエレナ様を殺してしまえば、誰にもバレずに済むんですよ?それはお考えになりませんでしたか?」


「……大声で叫べば、貴方もひとたまりないでしょう?」


「ならこうやって……よっと」



 するとリリは一瞬で詰め寄り、エレナの首にナイフを押し当てる。

 あと少しでも力を加えれば、首の皮に切れ目が入る。そんな絶妙な力加減で、リリはエレナの様子を窺った。



「ほら。もう詰みですよエレナ様」



 今までに見たことのない、冷たい言葉遣い。

 これが彼女の本性と思えば、それを見破れなかったことに後悔が募る。


「……はぁ。舐めてたのは私だったのかしら。貴方こんなに強かったのね」


「エレナ様はもう少し気を付けるべきですね。不用心すぎるのが玉に瑕です」



 そう言うとリリは、さっと元の場所へと戻っていった。

 エレナの背筋に、サッと冷たい汗が流れる。



「貴方を殺すのは止められています。なのでただの脅しですよ、だから声も出さないでくださいね。取引っていうやつです」


「素直に聞くしかなさそうね……もうっ。踏んだり蹴ったりじゃないの」


「あ、今の話し方クローネ様とそっくりでした。やっぱり親子なんですね」



 今まで見せたことの無いような、明るくまるで子供の様な態度のリリ。

 ニコニコと笑みを絶やさずに、エレナへとちょっかいを出した。



「当然よ。あの子は私を見て育ったのだから。……それで、もう城を出ていくのかしら?」


「出て行きますよー。さすがに限界みたいですし」



 ナイフをスカートの中にしまい、リリは両手を広げて、降参といわんばかりのポーズを見せる。



「そう。貴方の事は気に入っていたのに、残念だわ」


「そう思っていただけるなら。一緒に来ませんか?——……イシュタリカへ」



 まるで悪魔のささやきのように、リリの言葉が魅力的に聞こえる。

 もしイシュタリカへと渡れば、愛しの娘とも再会でき、義父ともまた会える。

 それはエレナにとって、とても魅力的に感じられる……だが。



「残念だけど断るわ。お義父様やクローネに文句を言う訳じゃないけど、私はまだハイムが好きなの。ずっと生きてきた祖国だから、離れることはできないわ」


「……それは残念ですねー」



 ハイム王家?いやどちらかといえば、ハイムという国が好きだから、ここに残りたい。そんな思いがエレナにはあった。

 ハイムを離れた二人の事を否定するつもりはない。だがあくまでも自分は、ここを離れる気にはなれない。それだけなのだ。



「ねぇ、どうせ今から帰るんでしょ貴方」


「もちろんです!私も自分の身が一番大切ですから!」


「じゃあ教えて。……クローネは。あの子は元気でやってるの?」



 手紙は受け取った。それで彼女の近況を知ることができた。

 だがイシュタリカの民から、どうしているかを聞きたくなった。



「うーんそういわれても、私がイシュタリカに帰ったのって随分前なので……」


「そ、そうよね。さすがに無理をいったのは分かってるの……」



 ハイムからイシュタリカへの道のりを考えると。そう簡単には帰国できないだろう。

 リリもエレナと同じく、かなりの仕事をこなしてきたのだから。



「なので、二カ月前のクローネ様の事でいいですか?」


「……随分と最近じゃない」



 てへへーと笑いながら、リリは舌を出してふざけた顔をする。



「楽しそうにやってますよ。最近では、黒い物が大好きみたいです」


「黒……?一体どうして黒なのかしら」


「それはもう、王太子殿下の色ですからねー黒といえば。本人はバレてないと思ってるみたいですけど、もうバレバレですから」



 ニコニコしながら、再度ナイフを取り出して、それを手のひらでくるくる回すリリ。

 その様子は楽しそうに見えるが、物騒なのがなんとも言えない。



「王太子殿下からは、その……どう思われてるのかしら?」



 一番の不安はこれだ。

 わざわざイシュタリカまで行ったのに、あまり気にいられてなければどうしよう。

 そこはさすがに母として、不安に思うのも仕方のないこと。



「あーその辺は大丈夫ですよ。もう二人とも"じれったい"だけですので」


「……それを聞けて安心したわ」


「それに今では、イシュタリカでもそれなりの"重鎮"みたいなものですからね」



 聞き逃してはならない言葉を彼女が口にする。

 重鎮?まだクローネは二十歳にもなっていない。だというのに、イシュタリカという国で重鎮になる?



「どういうこと?イシュタリカで重鎮になるなんて、まだ不可能といっていいはずなのに」


「そうですねー。普通なら無理です。でもクローネ様は努力もしましたし、それで結果を出しただけなんですよ……さてさて、あまり情報をあげるのも怒られるので。これぐらいでお暇しますね」



 窓を解放し、そこから身を乗り出したリリ。

 ここは数十メートルの高さがある部屋で、普通に落ちればひとたまりもない。



「ちょ、ちょっとそれは危なっ……」


「大丈夫ですよこれぐらい、さてそれじゃエレナ様。……長い間ありがとうございましたーっ!」



『せーの』といい、とうとう飛び降りそうになるリリ。

 エレナはこれが本当に最後だろう。そう思い、疑問に思ったことを投げかける。



「最後に教えて!ク、クローネは今何をしてるのっ……!」



 ギリギリ届いたその言葉。リリは一瞬体を止めて、どうしたものかと考えた。

 すると彼女のちょっとした悪戯心が働き、意地悪そうな言葉で返事をする。



「んふふー……ご忠告致しますねー。もしクローネ様と"戦い"たくないのなら、王太子殿下への物言いはやめたほういいですよ。ではではー」


「ま……待ってっ!」



 もう少し具体的にと思い、彼女を引き留めるため窓際へと向かう。——だがこの言葉が本当に最後だった。

 リリはその後は止まらずに、窓からスッと飛び降りた。



「……雲散霧消、そんな言葉を実践する人がいるなんてね」



 窓から外を見ると、どこにもリリの姿はない。

 上下左右、すべてに視線を向けても、動く姿すら見つけられなかった。



「さてと。どこから手を付けるべきかしらね……」



 スパイが居た。その報告も必要だが、どこまでの情報を取られたのかも調べが必要だ。

 それよりも、スパイが彼女(リリ)だけとも限らない現状。本当にどこから手を付ければいいのか迷いばかり。



「後手どころか、手のひらで遊ばれてるだけね」



 一方的に調べ上げられている現状に、エレナは深くため息をつく。

 窓から見える景色は、エレナの心境とは対照的に、ずいぶんと蒼く晴れやかな空模様をしていた。




 *




 一方冒険者の町バルト。

 その宿の一室にて、その(クローネ)は主君を見下ろしていた。マゾには最適な見下ろし具合だったが、アインは不遇にもマゾではない。



「それで、なによこれ?もう一度聞いていいかしら?殿下?」



 きっとクローネは、イシュタリカの歴史に名を残すだろう。

 それは彼女の有能さという意味ではなく、王太子に"させた"ことの記録として。



 もちろん彼女が、それ以外の事で名を遺す可能性は否定しない。



「はい。あの……魔王軍の幹部の方から、お土産で貰って来ました……」



 だからもう正座やめていい?と聞きたかったが、彼女の迫力の前では、そんなことは口にできるはずがない。



「だから、どうして、魔王軍の幹部と、二人で会ってたのかって聞いてるの!」


「不可抗力で拉致られたといいますかその……」



 というかそれ以外に説明ができない。

 実際拉致られたのも事実だし、不可抗力なのも事実なのだ。



 ……幻想の手を使った。そのことを責められたら、もっと警戒しろと言われても文句は言えない。



「その原因はなんだったかしら?」


「……幻想の手を使いました。はい……」



 『あ、これもう駄目だわ。言い逃れできるポイント全部消えたわ』頭の中で、こんなことを考えるアイン。

 さすがにこんな軽口は叩けないので、頭の中だけで収めていく。



 昼過ぎの、もうすぐおやつ時といえる時間帯。

 数十分前にバルトへと戻ってきたアイン一行。部屋に戻ると、クローネが出迎えてくれたことにアインは喜んだ。



 だがその後。いろいろと報告をしている中で、彼女の態度がどんどん変わってきたことは当然のことだ。



「少し考えればわかると思うの。危険な場所でしょ?なのにどうしてそんなことをしたの?」



 そう言うと、彼女はアインの側により、正座しているアインの目の前で膝を下ろす。

 するとアインと目線が近くなり、そのまま彼女はアインの頬に手を当てた。



 数日ぶりのクローネの香りに安心感を覚えるが、安心してばかりいられない現状に、気を引き締め直す。



「……ごめん。次からは気を付ける」


「約束できる?ちゃんと私の目を見て、もう一度言って」



 目線がうつむき気味だったことを指摘され、アインは目線をクローネの瞳に向ける。

 真っ白な白目と、美しいブルーの瞳が真っすぐにアインを見る。

 時折動く彼女の唇が、煽情的に見えて仕方ない。



「……ねぇアイン。もう一度、私の方を見て約束して?……ね?」



 まるで悪い子を諫めるように、優しく包容力にあふれた声色で、クローネはアインへと迫る。

 生唾を飲み込みそうになるところを、どうにか抑え込んで口を開く。



「次からは……気を付ける」


「ほんと?……嘘つかない?」


「う、うん勿論……ごめんクローネ」



 瞬きすらせずに、じっとアインの瞳を見続けた。

 一秒一秒が、もっと長い時間に感じる程の空気。どれぐらいたったか分からない頃、ようやく彼女が手を放す。



「じゃあ信じるわ。……これ以上アインを責め続けるのも、ちょっと可哀そうだものね?」



 立ち上がったクローネが、アインへと手を伸ばす。

 アインはそれを手に取って、同じく立ち上がったのだが、慣れない正座で足が痺れる。



「(よく見たかディル。あれが王家に相応しい女性というものだ、しっかりと学ぶのだぞ)」


「(え、えぇ父上……承知しました)」



 近くに控えていたグレイシャー親子。

 なにやら小声で話し合ってるが、それに気が付いたアイン。じっと目線をぶつけると、ロイドが咳払いをしてこう言った。



「さ、さてアイン様。私とディルはそろそろ下がります。疲れを残さないために、ゆっくりとご休憩を」


「ア、アイン様。それでは失礼します」


「……わかった。それじゃ二人とも、お疲れ様」



 どうせ変な事でも話してたんだろう。アインの予想は的中するのだが、別に特別気にする事ではない。

 ——……というよりも、クローネがご立腹の間。ずいぶんと二人とも空気だったなと、アインはしみじみと考えた。



 そうしていると、大きなあくびが漏れたアイン。疲れが溜まってるのを思い出す。



「ちょっと昼寝しようかな」


「……後で起こしてあげましょうか?」


「うん。二時間ぐらいしたら起こしてほしい」



 昨晩はあまり寝られなかった。

 というのも、拉致られて謎の高級茶を頂いてたからだ。

 宿に戻ると雰囲気に当てられてか、徐々に眠気がアインを襲う。



「遠征お疲れ様。起こしてあげるから安心して?——ゆっくり休んできてねアイン」


「ありがと……ごめん。ちょっと休ませてもらうよ」



 例のお土産や、ヤツメウサギの魔石。

 いくつも手を付けたいものはあったのだが、睡眠欲にはなかなか逆らい辛い。

 瞼が重くなるのを感じ、アインはとぼとぼと自分の部屋へと向かって足を運ぶ。



「まず、着替えなきゃ……」



 そういってバッグから、軽い服装を取り出した。

 さすがにまだ寝巻は早いため、そこそこ寝やすそうな服を選んでみる。



 ササッとそれに着替え、ベッドにもぐりこむアイン。

 一応帰ってから軽くシャワーは浴びてるため、ベッドが汚れる心配はない。

 こうしてベッドでゆっくりと休める……予定だった。



「ん……んっ!?え、ここ……あれ!?」



 枕に飛び込んだアイン。

 そんなアインに飛び込んできたのは、外の部屋で書類作業をしている美少女……いわゆるクローネだが、彼女の香りだ。



 近くに彼女がいるときの香りが、ダイレクトにアインの鼻孔へと入り込む。

 こんな近くで、彼女の香りだらけになる状況なんて初めてだ。



 そして意味が分からない。一瞬クローネの部屋かと疑問に思ったが、確かに自分の部屋だ。

 なにせ自分のバッグが置かれており、部屋の大きさから言っても間違いない。



 だから何故。クローネの香りがこんなにするのか理解できなかった。



 嗅ぎ続けるのはなんか"ヤバい"。本能でそう理解したアインは、勢いよく立ち上がり、リビングルームへととんぼ返りする。



「クローネ!ちょ、ちょっと……事件かもしれない!」


「……アイン。落ち着いて話してくれないかしら」



 テーブルの上に置いた書類。それを確認しながらなにやら書き込んでいたクローネ。

 彼女がペンを置き、アインの方へと顔を向ける。落ち着きのない主に向かって、どうしたの?と呆れながらも優し気な顔を向けた。



「な、なんでか知らないんだけど……ベッドからクローネの匂いがするんだけどっ!?」



 一見バカみたいなことを言ってる。

 だがあまりの事態に、尋ねないという選択肢は浮かばない。

 ポカンとした顔のクローネを見て、アインは『やってしまったか?』と若干不安になった。



「……ふふ。ねぇアイン、そんなに私と一緒に寝たかったの?」



 やっぱりだ!やっちまったよ!

 こんな事をいえば、彼女がからかってくるのは分かり切ってたはず。

 それなのに、この良く分からない事件を口にせずにはいられなかった。



「や、えっと。その……違うんだよ?なんかベッドからさ」


「えぇわかってるわ。でもそんなに私と一緒に寝たかったのなら、素直に言えばよかったのに。なにせ私は貴方のクローネだものね?——さぁ行きましょうか。寝るまで抱っこしてあげるから、いい子にしてくれる?」



 藪蛇だったか。だが気持ちだけは理解してほしい、それだけ強く香ってたんだ。そう言い訳をしたくもなった。



「……お邪魔しましたっ!」



 ピュンと音が出そうな勢いで、自室へと戻っていくアイン。

 当然顔は真っ赤に染め上げ、それがクローネに見られない様にと勢いよく走り去った。



「——……私の香りがするのなんて当然じゃない。だって、枕とか全部入れ替えたんだもの」



 アインが帰ると、アインの部屋で寝られない。最近の安定剤と化していたアインの香り、それがないのはちょっとした一大事。



 その結果、クローネが考えついたのは単純な事だった。



 この部屋の寝具は、模様や素材が同一のものを使用している。

 そのため、取り換えてしまっても表面上はわからない。それを利用して、寝具を取り換えるという荒業に出ていた。



「ふんふふーん……♪」



 アインの可愛らしい姿を見て、上機嫌のクローネ。

 その日の書類仕事は、いつもより格段に捗った。



 ——そして今夜も、自分専用の"安定剤(アインの香り)"に包まれ、ぐっすりと休むことができたのだった。



今日もアクセスありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
くっ羨ましくなんかあるぞ!
くっそw超恥ずかしがるのを期待したのに隙がねぇ企画力www
[気になる点] 布団の入れ替えとは…、なかなかやりますねぇ〜。
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