旧魔王領への道。
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想定していたよりも長く、バルト伯爵との会談は続いた。
旧魔王領の件が影響していたのは言うまでもない。
夕方になり、赤い夕陽がアインの部屋にも差し込み始めた頃。
バルト伯爵はついにこの場を立ち去った。
「(さて、どうしようかな……)」
結局のところただ一つの事は揺るがない。
旧魔王領へはクローネは連れていけないことだ。
だが彼女本人は行く気満々な辺り、どう説得するか考えものである。
チラリとロイドの顔を窺う。
彼は頭のいい男だ、そのせいか、アインが苦悩している内容もアイコンタクトで理解できた。
口元に手を当てて考え始めるロイド。
お前は待機だ!と命令してしまえば簡単なのだろうが、最初から強引な手段というのも憚られる。
「日が昇ってから出発したとして、昼前には到着できると思いますが……」
ディルが口にするのは行軍時間のことだ。
だがしかし、近衛騎士がどの程度の時間で移動を終えられるのか。それがはっきりとしていない。
「なにせ我々も、雪の山中の行軍にはあまり慣れておりませんので。……申し訳ない限りです」
王都も冬には雪が降る。
そうはいっても、やはりそうした訓練はあまり詰めていないこともあり、そこそこ手を焼くのでは?と予想している。
「こればっかりは、砦の防衛を行ってる騎士達や冒険者。彼らの方が慣れてるものね」
そしてアインの隣に腰かけるクローネ。
彼女が口にする様に、近衛騎士よりもそうした者達のほうが慣れているだろう。
だがそれをとやかくいってもしょうがない。現状でのベストを尽くすために、考えなければならない。
……まぁアインにとっては、もう一つの方が懸念材料な訳なのだが。
そう考えていると、ロイドが何かを考えついたようで口を開く。
「ところでアイン様。カイゼル殿から頂いた紹介状……あれを使って、ギルド側から調査させるのは如何ですか?」
「……えっと、つまりそれって」
「二手に分けての調査活動です。旧魔王領を調査する隊と、ギルドに働きかけて調査する部隊。……如何でしょうか?」
この言葉を聞いて考える。
つまりはバルトに残って、ギルドへと働きかけて調査する部隊。それにクローネを指揮官として任命し、紹介状も預けて全てを任せる。そういうことだろうか?
そして自分たちは、旧魔王領へと行軍する……。ふむ、なるほど。
「(長年元帥だったその力、お見事です)」
ありだな。
むしろそれ以外ないのでは?とアインは心の中で検討する。
というよりも、実際そのほうがいい気がしてならない。
効率や向き不向きを思えば、このほうが最適な結果をもたらせるのでは?と期待もできる。
「じゃあロイドさんの案も取り入れて、これからの事を話し合おう」
流れは決まった。あとは彼女が納得できるように、このことを伝えるだけだ。
——実は正直に。『クローネが心配なんだ』と真摯に伝えれば、彼女は留守番を我慢することぐらいできた。
これはまだ女心を理解しきれていない、アインの一つの間違えだった。
*
数人の近衛騎士や給仕を交えて、数度に渡る会議が行われた。
それはロイドが発案した、二手に分かれての調査活動についてだ。
そして決まった組み分けはこうだ。
戦闘力に優れたメンバーと、研究者たちを固めた"旧魔王領"組。
そしてクローネを筆頭とした、バルトを拠点に調査活動を行う組。
ちなみに後者には、アインがカイゼルから受け取った紹介状を手渡し、代理という形でその調査にあたってもらうこととなる。
不満そうにしていたものの、アインの代理という言葉に納得したクローネ。
彼女はバルトでの街中での調査活動に同意する。
その後は彼女の指揮により組織が作られ、一日と経たぬ間に組み分けが終了。
そして必要となる資材の選定や確認が行われ、旧魔王領へと向かう者達の荷物へと、資材が詰め込まれた。
慣れない雪道の行軍ということもあり、その内容は慎重に慎重を重ねた準備となり、万が一遭難しても一カ月は持ちこたえられるほどの用意ができた。
クローネが苦虫を噛み潰したような顔を幾度と浮かべ、この支度に苦労していた様子が見て取れた。
旧魔王領への出発は、バルト伯爵との話し合いから4日後に決まった。
——そして遂に。その四日後の朝がやってきたのだった。
「今日も寒いね……」
「でも雪は降ってないわ。その代わり、凍るように寒いのだけど」
その日の朝は、バルトに来てから最も寒い一日となった。
窓に付着した水滴が凍り付いており、屋根にできた氷柱は更に地面へと延びている。
いつもより数十分ほど早めに目を覚ましたアインとクローネ。
特に約束も合図もなかったのだが、まるで待ち合わせをしていたかのように、リビングスペースで合流した。
「気温が低い方が、地面が滑りやすくなるの。だから気を付けてね?坂から転げ落ちて、そのまま町に戻ってこないように……ね?」
クスクスと笑いながらそんなことを言うが、地味に切実な問題だ。
アインは今回のメンバーの中でも、クローネと同じぐらいに雪に慣れていない。
だから足を引っ張らないかと心配していたのだが、クローネにまで言われると自信がない。
「……本当に気を付けないと、現実になりそうで怖いよ」
「あらそうなの?私は戻ってくるならそれはそれで歓迎するわ。コロコロ転がって戻ってきたら、抱きかかえて止めてあげるから心配しないで」
「それは魅力的だね。わざと転がってしまいそうなほどに」
冗談に花を咲かせながら、アインの旅支度を手伝うクローネ。
荷物の支度は終わってるのだが、今は防寒具の着替えの最中。寒さが厳しいということもあり、入念な支度をしていた。
「あとはこれ。保温できる魔道具だから、大事にね?……お腹が空いても、無意識に吸ったらだめよ?」
「死活問題だからね。昔の俺でも、きっと我慢できたんじゃないかなって思うよ」
クローネが言うのは、アインが幼かったころの話だ。
訓練をする前は、無意識のうちに魔石を吸っていたことを思い返した。
それは近くにいたクリス。彼女の魔石を無意識のうちに吸っていたほどには、食いしん坊な彼の性格を表していた。
近頃は魔物化の心配もあってか、魔石を吸収していなかったアイン。
だがカティマの研究により、適度な量ならば問題ないことが証明されている。魔物が進化するに必要となるレベル、それほどのエネルギーを吸収しなければ、魔物化という面では影響がない。
だからアインはまた前のように、魔石を吸収して楽しめるようになった。
「交換用の魔石はこっちの袋ね。……わかってると思うけど、交換用のも食べたらだめよ?我慢できる?」
「あのね。小さな子を見るような目で見ないでね?それぐらい我慢できるよ?」
よくいえば優しい表情といえないこともない。
だが言い方を変えると、子供に言い聞かせるような話し方は、若干の悲しみがこみ上げる。
「大体さ。そういう魔石ってワームとかビッグビーとかでしょ?なら別に目新しくもないし……」
「……ねえアイン?目新しかったら食べてたの?」
「あ……」
100%の否定ができなかったせいか、喉から絞り出すように『あ』という声が漏れる。
それはもちろん隣にいる彼女へと届き、ジト目になってアインの瞳を見つめる。
「……殿下?『あ……』、とはどういう意味でしょうか?」
「やだなあもう。そんな笑顔になってプレッシャーかけて……聞かなかったことにしてくれない?」
こんなことは考えたことないだろうか。
美人のジト目はどことなく迫力というか、ある種の圧力を感じると。
「念のため。ロイド様にも注意するように伝えておくわね」
「あれ?俺って信用がないのかな」
国民へは語れないが、アインには一つの武勇伝がある。
それは海龍を討伐したときの話で、クリスから語られた話だった。
死の瀬戸際にありながらも、アインは逞しくも海龍の魔石の味を楽しんでいた。そういう話だ。
アインがクリスに膝枕されていた時の話だが、それは隠されることなく王族や近い立場の者たちが耳にしている。
「海龍の時のことがあって、この件でまだ信用してもらえると思ってたの?」
「うーん……。正直なところ五分五分かな?って思ってた」
「ふふ。五厘もあればいいかもね?」
話しながらも丁寧且つ順調に進む支度。
こうした世話の部分でも一流とは、やるじゃないか……とアインを唸らせる。
気兼ねなくじゃれつける、この空気が心地よい。
「はいお終い。あとは……バッグを持って歩くだけね」
「ありがと。……おっとと、結構重いね」
防寒着を装備し終えたので足を動かす。
いつもみたく足を動かしても、その足取りは数十倍に感じるほど鈍重だ。
つい体を床に倒してしまいそうになった。
加工済みとはいえ、ほぼ全身を毛皮で覆われた装備で包まれて、中にも数枚の服を身に着けている。
それが軽く感じるはずがない。仮に防寒にだけ重点を置くならば、今ほどの重量にはならなかったはずだ。
だが向かう先は旧魔王領。
そこに向かうのに、防御力を度外視するなんて自殺行為にしか思えない。
そのため防御にも優れた素材を選び、わざわざ王都から運んできたのだから。
「足取りが不安定みたいだけど……平気?ちゃんと歩ける?」
「えっと……ちょっと待ってね」
そうして部屋の中でテストする。
旧魔王領への道のりは厳しいが、最低限足を動かせるかぐらいはここでも確認が取れる。
一歩ずつ確かめるように、じっくりと床を踏みしめながら感覚を調べる。
皮膚の表面に、新たに自分のものではない皮膚を重ねた感覚。
重心の管理に四苦八苦するが、一歩目と比べれば全く問題がない。
「意識さえすれば問題ないかな。さっきのは一歩目だし、感覚がつかめてなかっただけみたいだ」
「そ、そう。それなら私も安心できるわ」
安心したようで、はぁとため息をついたクローネ。ずいぶんと彼女にも苦労を掛けた。
その苦労に報いるためにも、必ず何かの成果を持って帰りたい。
「……でもこんなことならさ。城でもちゃんと試して来ればよかったね」
アインにとってその言葉は、特別大きな意味をこめていない。
だがそれを聞いたクローネにとっては、アインが考えている以上に重く受け止める結果となる。
「そ、そうね……ごめんなさい」
「え?どうして謝るのさ」
自分の言葉に申し訳なさそうな表情を浮かべた彼女を見て、アインは少し焦ってそれを尋ねた。
「だって事前に確かめておくなんて、補佐官の私が気が付くべきだもの……」
珍しく落ち込んだ。いや後悔したような表情になる彼女。
責任感を強く持つことには好感を持つが、アインにしてみれば、もう少し砕けた態度になってほしい時もある。
「別にそんな気にすることじゃないんじゃ……」
「もしものことをゼロにするのも、補佐官としての私の仕事よ。……それは曖昧にしたくないの」
「う、うーん……」
別れ際にこのような顔をされてしまうと、アインも心配な気持ちを抱く。
そこでシルヴァードが気に入っている言葉、『信賞必罰』が頭に浮かんだ。
「ねぇクローネ。俺は三日後に帰ってくる、それはいいよね?」
初回ということもあり、今回の日程は今日を入れて三日間。
おそらく二度目三度目と、何度か向かうことになるのだが。
「……えぇそうよ。でもそれがどうしたの?」
ならこういう時ぐらいは、少しいつもと違うことを言っても罰は当たらないだろう。
「俺は帰ったら、きっと体がすごく疲れてる。だから補佐官クローネに命じるよ、俺が帰ったら体をほぐしてほしい。それで今回のミスは帳消しだ」
隙あらばイチャつく。
なんてことはなく、おそらくアインの体は相当の疲労を貯めこむだろう。
普段歩くことのない厳しい道のりに、更に多くの雪が降り積もっているのだ。
そこを数時間歩き回り、更に旧魔王領での調査も思えば、体が疲れないわけがない。
なので本音をいってしまえば、『マッサージしてくださいお願いします』という部分があるのも否定できない。
——その言葉を聞いて、案の定ポカンとする彼女を顔を見て、アインは笑みを零す。
「ク、クローネ……何その顔。海龍に飛びついたときのことだけどさ、あいつも同じような顔してたよ」
「む、むぅ……っ!何よそれ……もうっ」
ようやく一つだけ勝てた。
頬を少しだけ膨らませて、普通の少女のように不満な様子を醸し出す彼女。
若干頬が赤くなってきてるのは、照れ隠しだろうか?
それにしても、『むぅ』っていう姿なんて初めて見た。
でもこういう彼女も有りに思える。
「不満そうだけど、俺がそれでっていってるんだから決まりだよ」
とりあえず、彼女がとやかく反論する前に断言する。彼女は案外、こうして強引にするほうが素直なときもあるからだ。
「……言われなくても。アインが帰ってきたら、それぐらいしてあげるつもりだったもの」
「あ、そ……そうだったんだ。じゃあ念入りにってことで頼むよ。それでいいでしょ?」
彼女のサービス精神には驚かされるが、それでも強引に行くアイン。
言わなくても念入りに行ってくれるのだろうが、まぁ物は言いようだ。
暫くの間、唇を噛みながら不満そうにしていた彼女。
そうして心の中で整理が付いたのだろう。恥ずかしそうに赤面しながら、ようやく納得に至った。
「わかりました……。殿下がそう仰るなら、今回はその優しさに甘えさせていただきます」
「ん。素直でよろしい」
もしかしたら幸先がいいかもしれない。
こんな小さなことだけど、クローネが照れた顔やむくれている顔を見られたのだから。
きっと調査も上手くいく。そう考えることもおかしいことじゃない。
「さてと、それじゃ行こうか。集合にはちょっと早いけど、まぁ大丈夫かな」
実はなんだかんだ体も慣れてきた。
クローネをフォローするために、身振り手振りに体を動かしていたのが功を奏したのだろう。
体がその独特の重量に慣れてきたようで、当初よりも体が軽く感じる。
「ねぇアイン。本当に気を付けてね?無理はしないでね?」
「わかってるって。初日ってこともあるし、危険な状況になったら途中で帰ることも考えてるからさ」
遭難は避けたい。
といっても分かりやすい道のりらしいので、遭難することなんて数年に一度程度らしいのだが。
それに今回はギルドから数人のガイドも付く。装備も装備なため、支度は万全だ。
「ロイドさんたちはもう下にいるかな?」
約束の時間にはまだ少し早い。
だがきっとロイドやディルは、もうすでに宿のロビーでいくつかの仕事に入っているだろう。
「いると思うわ。出発のために支度を再確認してると思う」
クローネの言葉に頷いたアイン。
見送りに来てくれるというので、ロビーまで一緒に向かう二人。
ロビーへと降りると、予想通りにロイドたちが支度の真っ最中。
軽く挨拶をしてから作業を続けてもらい、およそ10分後に準備を終えた。
近衛騎士達もいつもと違い、完全な防寒機能付きの装備に衣替え。
不謹慎に感じるが、ちょっとしたレジャー気分がアインの心に芽生える。
——その後は『いってくるよ』とクローネに告げて、アインはついに宿を出発し旧魔王領へと向かう。
近衛騎士だけでなく、数人の研究者たちも引き連れての今回の道のり。
宿を出ると雪は降っていないものの、汗も凍りそうになる程の寒さを顔に感じた。
だが手足を振ってみても、そこには寒さを感じない。
用意された装備が優秀なようで、どうやら全身に寒さを感じることは無さそうだ。
……まずは三日間。今日を入れて三日間だ。
宿に戻れたら、二度目三度目と再度向かうことになると思う。
だがそれに甘えることなく『最初から発見がありますように』と、アインは懐かしのロリ女神に祈りをささげた。
今日もアクセスありがとうございました。




