雪国。
今夜帰宅できないので、昼の投稿とさせて頂きます。
王都を出てからおよそ半日の道のり。
その長い距離を北上し、進むごとに見慣れない風景をアインに見せつけた。
寒さが厳しい土地と聞いていたが、数時間前からすでに雪を目にする機会があり、アインを驚かせる。
横日で輝いていた山々も、今では大きな月によって夜の顔を見せている。
ふと窓を開けてみると、冷たくも新鮮な空気がアインの肺を満たす。
ついさっきまで見ていた風景が、幻のようにかすみ始めた頃。ついに王家専用列車がバルトへと到着した。
「時刻は……うん、なんとか日が変わる前に到着できたみたいね」
王家専用列車は通常の車両と違って、決まった時刻通りには進まない。
それは道中の様子を窺いながら、加速と減速を繰り返して安全性を重きを置いているからだ。
だが今回の運行は、予定より早めに到着できた。
「って、さっむ!?なにこれ!?え?本当に同じ大陸なの?」
「同じ大陸よ……。ほらこっちにきてアイン。首も冷えるから、しっかり暖めていきましょう」
暖めてくれるの?と聞きそうになったが勿論勘違いだ。
毛足が長く、肌触りの良いマフラー。クローネはそれをアインの首に巻き付けた。
今はまだ同じ程度の身長だが、おそらく年が明ける頃には追い越せるだろう。
昔はもっと身長差があったことを思い返すと、随分と成長したものだと実感できる。
「ありがとクローネ。まさかドア開けて一気にこうなるとは……」
バルトに到着して、すぐに列車から出たわけではない。ただラウンジから出て、外に出るまで扉後一枚の場所まで行っただけ。
そうだというのにこの寒さ。窓ガラスに手をやると、指先が凍るように冷たいのを感じる。
「冷たっ!?え、冷たいよこれ?」
「どうして試したのよもう……ほら。手貸して?」
言われるがままに指を差し出すと、クローネは自分の手のひらで包み込み、その冷えた指を温める。
「もうっ。本当に冷たいじゃないの……はぁ、先行き不安だわ。いきなり何してるのよ……」
「ところでさ。補佐官にこんなことさせる王太子って、俺が初めてかな?」
「あら殿下。自覚がおありでしたか?」
「……ごめんなさい」
小言を口にしながらも、指を労わってくれるクローネには感謝しかない。
ただ指をさすってる姿が煽情的に見えるのは、自分の心が汚れているからだろうか?……なにか申し訳ない。
「はいおしまい。……あら?どうしたの顔紅くして。照れちゃったの?」
「寒さで赤くなったってことにしといて」
「ふふ……畏まりました。殿下」
このままではイチャつきに来ただけにしか見えない。
……ディルたちが別の車両で助かった。
「それじゃ行こうか。バルト初上陸だ」
軽く咳払いをして気を取り直す。彼女と仲良くするのは今は我慢だ。
こうしてアインは、冒険者の町バルトへの一歩を踏み出した。
*
ギュ、ギュと雪を踏みしめて歩く。
足が隠れる程の積雪ではない。だが深い所は、靴が隠れる程度には積もっている。
道を外れた場所を見ると、余裕で1mを超えている雪がある辺り、おそらく道になる部分は除雪されているのだろう。
「アイン様。……何か不思議な感じですが、お久しぶりに思えますね」
「そういえば昨日の朝から会ってなかったしね」
昨日はディルも忙しかった。
今日の旅のための支度もあり、多くの打ち合わせを重ねていたからだ。
そして今朝も顔を合わせていない。今朝もディルたちは、先に列車に行って準備をしていたのだから。
これを聞けば、どこまでも入念な支度に感謝するばかりのアイン。
「ですね。何はともあれ、無事に到着できて何よりです。……では、えぇと……」
チラッと隣に立つロイドを見る。
何か呼ぼうと思っていたようだが、言葉が出てこなかったのか口を開かない。
「……この場合は、ロイド様が適切だ。確かに前ならば、元帥閣下で良かったのだからな」
そういってディルに教えたロイド。
ディルはこの場でロイドの事を、どう呼べばいいのかを迷っていたのだ。
父というのは公私を分けられてなく、かといって元帥閣下でもない。それが彼に迷いを与えていた。
「このメンバーでいるときは、父上にしてあげて。そのほうがそっちも楽でしょ」
周りを見ると、アインの横にクローネ。その反対側にディルとロイドの二人が歩いている。
「……だそうだぞディル。全く……お前が不甲斐ないから殿下にお気遣いをして頂けたのだ、感謝しろ」
「も、申し訳ありませんアイン様っ……こうした常識の面でも、再度勉強を致しますので……」
「別にいいってば。それで、ディルがロイドさんに言おうとしたのは?」
さっきディルは、ロイドの事をチラッと見て何かを言いたそうにしていた。
つまりアインに何か伝えることがあるのだろう。
「あぁそのことですな。ディルが口にしようとしたのは、おそらく今回の指揮系統の件かと。今回の調査でのアイン様の護衛、近衛騎士を加えた一同で、最高位の権限を持つのは私です。そのことをお伝えしようと思ってましてな」
「あーそういうことね。でも妥当でしょ、ロイドさんが居るなら皆は学ばせてもらうべきだ。できることなら、下剋上を狙う息子が近くにいる気分も聞いてみたいけどね」
「は-っはっはっは!では正直に申し上げましょう!」
アインの言葉がツボにはいったのだろう。
アインと同様にディルも、父がなんと口にするのかに興味を抱く。
「先程の様なことで迷う今ならば、まずは机に戻ってからとなりましょうな」
座学からやり直せ。そういったロイドを見て、若干の悔しさを滲ませる息子。
「……否定できないのが悔しいですが、いずれは必ず『ぎゃふん』と言わせて見せます。アイン様」
「はは。期待して待ってるよ、ディル」
この男をぎゃふんと言わせるのは至難だろうな……。
だがディルへの応援は忘れない。
「という訳で話を戻しましょう。なので護衛と騎士達の統率は、この私にお任せください。まだ錆びついておらぬこと、王太子殿下にお見せ致しましょう」
思い返せば、ロイドの指揮を目で見るのは初めてのことだ。
クリスからも手放しで称賛されるその手腕。それも今回の調査で楽しみの一つになるだろう。
「それとアイン。給仕の……いえ、アインに関わる給仕たちの些末事とかは、すべて私が取り扱います。だからそっちは私に任せてね」
「了解。あれ?俺って必要ない気がしてきたけど」
「アイン様は我々の司令官として、どっしりと構えていてくださればと」
「ディルの言う通りですな。アイン様にしか感じられないオーラなどがあれば、是非私共に教えてくださればと」
つまりは赤狐に関して、なにか感じることがあればということか。
デュラハンとエルダーリッチの影響力。それがあって、特別な事があるかもしれない。
言い方を変えれば、それ以外はあまり居なくても変わらないのでは?
「……うん。ふかふかだ」
そう思えば少しむなしいので、防寒具の柔らかさを楽しむアイン。
毛皮で包まれているこの防寒具は、暖かくて肌触りがいい。
クローネが巻いてくれたマフラーも、ふわふわしていて気持ちがいい。
「夜なのに店は結構開いてるんだね」
「なにせ冒険者の町ですからな。これから仕事……という冒険者も多いはずです」
こんな寒い夜から仕事なんて、あまり考えたくはないものだ。
ターゲットとなる魔物によっては、この辛い時間帯からという冒険者も多くいるため、多くの店が開店したままだった。
「王都とも違って、イストとも違う。やっぱり普段来ない都市って面白いね」
バルトの特徴は簡単にいえば石と骨。あとは鉄だ。
石というよりかは岩石に近い石材と、巨大な骨を使った看板などが目に映る。
イストにいるときにクリスに聞いた情報通り、鍛冶職人の建物も数多く見受けられた。
彼ら鍛冶職人は寒くないのだろうか?
オープンになった店先で、煙管を吸って休憩している。その姿はつなぎにタンクトップということもあり、随分と男らしい。
それどころか屋根はあるものの、オープンテラスな酒場もあるようで、騒いでいる冒険者たちが逞しく見える。
「そうですな……。ところでアイン様、あの大きな骨。実は店の格を表しているのですよ」
ロイドはそういうと、巨大な骨の看板を指さした。
「骨が店の格?ロイドさんそれって」
「言ってしまえばあの骨は高いのです。なので巨大で頑丈な骨というのは、その店がどの程度繁盛しているのかを教えてくれます。だがその骨を調達するのは至難の業。そして運も大きく関係してきましょう。そのためわかりやすい指標となっておるのです」
こんなところにも冒険者の町らしさがあった。
それを聞いて確認すると、確かに大きな店の方が大きな骨を使っている。
つまりその店は繁盛しているのだろう。
「宿屋は違いますがな。観光者向けの宿ともなれば、貴族も宿泊します。そのため王都やイストとも大きな違いはありません」
アイン達が向かっている宿も同様だ。地域に合わせたインテリアや雰囲気はあるが、酒場や鍛冶屋のように、大きな骨が店の前にあるといったことはない。
「なるほどね……。そういえばさ、俺が来るってなってるのに静かだったのは助かったね」
「そういえばそうね。ロイド様、王太子というのは、あまり冒険者の中では歓迎されてないのでしょうか?」
アインの言葉に疑問を抱いたクローネが、ロイドへと尋ねる。
「いいやそんなことはありません。むしろアイン様の評価は高い、なにせ海龍を単身討伐したのですから」
ロイドの返事は正反対に、アインの評価は高いという言葉だった。だったらなぜ?という疑問が募る。
「ではなぜですか?別にアインを歓迎しろとはいいませんが、あまりにも王都と違いすぎる気が……」
「簡単な事です。アイン様が来るという情報は、ギルドに張り出されていることでしょう。ですがここで問題が起きる」
ゴクリ。アインとクローネが生唾を飲む。
ディルも理由が気になっているようで、ロイドの顔をじっと見つめる。
「あいつらどこのギルドでも、国からの連絡なんて目を通しませんからな。だから今回もそれでじゃないかと。はっはっはっは!」
さすがに上位の冒険者たちは多くの情報を見るのだが、大多数はあまり詳しく確認しない。
むしろ依頼を受け取ったら、そのまま現場に突っ込むことばかりなのだから。
無礼といってしまえばそうかもしれないが、それをとやかく指摘する気にはならない。
「な、なるほど……」
海龍などの緊急連絡は張り出されるが、それ以外の王族の件などは別枠に張り出される。
王族のアインとしては、もう少し見てほしいという願いはあったものの、その冒険者らしい性格に嬉しさも覚えていたのだった。
*
「それじゃアイン。明日は予定が入ってるからそのつもりでね」
「あれ?明日は休みだったはずじゃ」
宿に到着したアイン。
しばらく前から予約していたため、部屋のほとんどはアインが率いる調査団で埋まっている。
ちょっとした工芸品が置かれていたり、廊下には魔物の剥製がいくつか並べられている。
アインが泊まる部屋の中にも、いくつかそれらしくインテリアが見受けられた。
だが観光や貴族向けということもあり、大多数の設備は王都やイストと変わりがない。
嬉しく感じる一面もあれば、物足りなくも感じた。
そんな部屋の中で窓を開けると、冷たい風が入り込み、アインの息が白く染まる。
その先にはちょっとしたバルコニーがあり、アインはそこに足を運んだ。
「雪入っちゃうわよ?」
「クローネもおいでよ。綺麗だよ」
「……はいはい」
そうして彼女は、アインの隣にやってきた。
先程まで何か説明しようとしていたのに、アインのペースに巻き込まれていく。
「本当に綺麗ね……」
幻想的な風景が、二人の目に映る。
バルトの町は、遅い時間だろうとも店が開いている。
イストと比べても、決して負けることのないこの町は、多くの場所で暖かな光が灯っている。
いたる所で照らされた灯りと、しんしんと降り続ける大粒の雪。
それはまるで宝石が散りばめられた、一つのスノードームのように美しかった。
「こんな町の近くに、魔王領があるっていうんだから。わからないものだよ」
「あら、逆かもしれないわよ?」
「……え?」
少し寒くなったのか、クローネが自然とアインへと近づく。
「魔王たちが先にってこと。先にこの雪景色を気に入っていたのかもしれないわよ?」
「……なるほど」
魔王の姿絵を思い返せば、あながち間違いじゃない気がする。
綺麗な銀髪に可愛らしい姿。そんな彼女には、この雪景色が似合うことだろう。
「どんな町だったんだろうね」
「……魔王領のこと?」
「そうそう。今俺たちがみてるような、綺麗な景色があったのかな」
「あったのかもしれない……この景色を見てるとそう思っちゃうわね」
街並みもまだ残ってるのだろうか?旧魔王領には何が残ってるのか、それが気になってしょうがない。
隣で少し震えたクローネを見て、アインは体を動かした。
「あ、ありがと……」
「どういたしまして」
寒そうにしていたクローネに、自分が着ていた上着をかけたアイン。
黙って窓を閉じればいいのだが、二人の頭の中にはまだそこを離れる気持ちはない。
クローネも素直に、アインの気遣いを受け入れる。
そんな二人の目の前には、まだ数センチにもなる大粒の雪が降り続いている。
「そういえば明日入った予定って?」
「えぇ、ご挨拶の予定が入ったの。……ついさっきね。もう少し早く連絡してほしかったわ」
クローネとしては不満のようで、珍しく文句を口にする。
「俺が誰かに挨拶に行くってこと?」
「逆ね。アインに挨拶に来る人がいるのよ、ちょっとの時間だから我慢してね?」
申し訳なさそうにするクローネに、アインは『気にしないで』と口にした。
何せ彼女は何一つ悪くない。
「それぐらい別にいいよ。……でも誰が挨拶にくるの?」
「えぇっと……役職としては、バルトの領主ね。貴族の格としては伯爵家よ」
「領主が挨拶にか。イストではそんなことなかったけど……」
「当たり前よ。だってイストには、アインが行くこと隠してたでしょ?」
確かに。クローネの言葉に素直に納得した。
思い返せば、姿を隠していたから、セージ子爵という面倒ごとに出会ったのだから。
「そういえばそうだったね」
「普通王太子殿下が来ると知って、挨拶に来ない貴族なんて居ないもの」
「言われてみれば確かに……。それで時間は何時から?」
「お昼を食べ終わったころに向かいます。って連絡が来てたわ」
ならゆっくり寝られるな。
なにせずっと列車に乗ってたとはいえ長旅だ。できれば朝からというのは避けたかった。
「それならゆっくり休めそうだ」
「そうね。さすがに朝から……なんて言ってたら、私が許さなかったけど」
ニコリと笑ってそういうが、おそらく彼女は本気だろう。
万が一早い時間から来たとすれば、必ず門前払いにするはずだ。
「あとアインには、一つ面白いことがあったの」
「その伯爵が関係してるの?」
「えぇそうよ。……その手紙にはね、こう書いてあったの」
そういうとクローネは、更にアインの近くに寄った。
「弟のカイゼルが、学園でお世話になっていると聞きました……ってね」
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。
アインの顔が、一気に驚きに染まった。
「……嘘でしょ?」
「こんなこと嘘ついてどうするのよ……もう」
「え、え?伯爵家の人間?そんな人がどうして冒険者なんかやってたのさ……」
「旧魔王領を調査する王太子がいる時代だもの、ね?」
いや自分には理由がある。だから別枠だ。
と言い訳したかったのだが、個人的にも旧魔王領に興味を抱いているので、そんなことは強く言えない。
「随分濃いパーティだなあ……」
イストで最も権威のある研究所の名誉教授に、ロイドすらも凌駕する実力を持ったクリスの姉。そして伯爵家の生まれの剣士……これ以上に濃いメンツのパーティなんてあるのだろうか?
「カイゼル教官がどういう意図で冒険者になったのか。それはひとまず置いときましょうか。まずは明日、その兄の伯爵と挨拶をすることだけを考えましょう?」
「わかったよ。どんな人なのか楽しみにしとく」
本題だったことも話し終えて、この夜景もひとしきり楽しんだ。
そろそろ窓を閉めて部屋に戻ろう。そう思って左腕を見ると、いつのまにか引っ付いているクローネの姿。
彼女も意識していないのか、自然体のままアインと話していた。
「……」
どうすればいいの?
カティマに相談したくなった。彼女が適切な答えをくれるとは思えないが、なんとなくこういう時は彼女が心強い気がする。
「それじゃ部屋に戻ろうか。暖かい飲み物でも貰おうかな」
十数秒考えて、一つの作戦を思いつく。
温かい飲み物作戦だ。
自然な仕草で部屋に向かって歩きはじめ、彼女に飲み物を入れてもらう。すると自然に部屋に戻れるという寸法だ。ネーミングセンスはないが、その効果は期待できるはず。
そして台詞を口にした後、さっと歩き始める。
「そうね、少し冷えたから私も何か頂こうかしら……」
アインの動きに従って、彼女もそのまま足を動かす。
このまま彼女は飲み物を用意しに行く。作戦は成功だ、自分の才能が怖い。
ひたすらに自然体のまま、アインは足を動かした。
隣の彼女も同じく自然体だったのだが、唐突に口を開いて、アインを驚かせる。
「ふふ……エスコートありがとうございました。王太子殿下」
バルコニーから数歩歩いて、部屋の中に戻った二人。
クスッと笑って、彼女はアインの手から離れていく。ペロッと舌を出す姿に、彼女らしい愛嬌を感じた。
彼女が去った後の左腕は、急激に冷たくなったかのような錯覚を覚える。
『なるほど。確信犯だったか』という感想をアインに抱かせた。
「……いつか逆に照れさせてやる」
少しばかりカッコ悪い決意だったが、これも一つの下克上だ。だが同じ決意を前にもした記憶がある。
——ディルとは下剋上を狙う者同士、いい主従コンビだろう。
この後はいつも通りの二人に戻り、彼女が用意した温かい飲み物を楽しんだ。
今日もアクセスありがとうございました。




