どっちが先なの?
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「王太子補佐官。以上で詰め込み作業は終了です。どうぞご確認くださいませ」
「えぇわかりました。ありがとう」
バルトへの支度は、今までで最も慎重に行われた。それは薬剤や衣類、すべて例外なく細かく確認作業がなされた。
それは城の中庭で行われ、数多くの給仕たちによって木箱へと詰め込まれていく。
それらを確認するのはクローネ。彼女は王太子アインが使うであろう物に関しては、包帯一つまで入念にチェックしている。
そのため彼女は、ここ三日間程この作業に付きっ切りであたっていた。
その光景を、自室の窓から見ていたアイン。クローネのする仕事に感謝をし、部屋の中へと視線を戻す。給仕たちによって丁寧に掃除されているアインの自室。そこはいつでも快適で過ごしやすい空間になっている。
「……ねぇクリスさん。ごめんってば……そろそろ機嫌直してくれないかなーって」
王太子の部屋だというのに、その部屋の片隅で体育座りのクリス。
イシュタリカ騎士団元帥・クリスティーナ・ヴェルンシュタインの、とても貴重ないじけた光景がそこには広がっている。
彼女がこうなったのは今朝の話だ。それから3時間ほどの長い時間、彼女はずっとそこに腰かけて目からは光を失っていた。
アインの自室は質のいい絨毯で覆われている。それもあってか、おそらく座り心地は悪くないはずだ。代わりに彼女の精神状況は絶望的なのだが。
「……」
おあずけ中の犬が幸せそうに見えるだろう。今のクリスは、そんなのとは比べ物にならない程の悲しみを背負っている。
その原因となったのは勿論アインにある。クリスはバルトに行けない、お留守番だ。……これをアインなりに、気を使った内容で彼女に伝えた。
ウォーレンとの打ち合わせからはや一月。なぜここまで伝えるのに時間がかかったのかを言えば、純粋にクリスへと伝え辛かったとしかいえない。
現在クローネがしている確認作業、その資材が城に持ち込まれたのが一週間前。その頃からクリスへと、アインがバルトに行くという情報が伝えられた。
それを聞いたクリスは考えた。バルトはいつも以上に危険な場所、だから気を引き締めて護衛をしよう。高い意識と責任感で、アインの調査をサポートする。その意欲に溢れていた。
「クーリースさーん?」
片隅で座ってるクリスに近づき、つんつんと頬を突いてみる。ピクッと一瞬反応したが、それからは何も起こらなかった。
クリスはじっと考えていた。
異性として好き?まだ分からない、だがアインと居て楽しかったことや気分が高揚してたのも事実。
だからこそ、今回のバルトへの調査も楽しみにしていた部分がある。
彼女の頭の中では、自分が留守番で悲しいという思いだけでなく、『なんでこんなに悲しんでるのだろう?』という自問自答が続いていた。
「ごめんって……本当に言いづらかったんだってば」
本当なら、王太子の部屋でこんな醜態を晒すなんてあってはならない。
それどころか素直に命令に従うべきだ。それは理解していたクリスだが、こうしてアインが構ってくれるのを嬉しく思ったのも事実。
それでつい甘えて、こんな姿を見せている。
「酷いです……どうせなら早めに教えてくださった方が……」
「うっ……ま、まぁそういわれると何にも言い返せないけど……」
クリスが素直に従うべきならば、アインも上に立つ者として、部下の精神的なことも考えるべきだろう。つまり現状を評価するなら、シルヴァードならばどっちもどっちと言うはずだ。
「わ、私の護衛は……私はいらない子、ですか?」
顔を上げたクリスは、目をウルウルさせてアインを見る。
一瞬その表情にドキッとしたアインだが、彼女を泣かせてしまったことは自分に嫌気がさす。
「いらない訳ないからね!?大事だよ?俺はクリスさんの事大事に思ってるから……だからほら!そんなこと言わないでよ」
両手を左右に振ってついでに顔も同時に振る。慌てふためきながら、彼女が口にしたことを否定した。
「でもさ。クリスさんがここにいないと、騎士団も困るし王都の民が困るよ。万が一があったら大変だから……なにせ元帥だからさ」
言い訳を聞くクリスは唇を固く結んでいる。涙目の瞳と興奮で赤くなった頬が、彼女のことを美しいというより可憐に彩る。
顔をあげてくれたので、一応一歩前進だろうか?
「……確かにそうです。ですけど……むぅ……っ」
「ロイドさんも心強いよ。でも俺はクリスさんと調査に行けるのも楽しみにしてた。だから……俺だって残念に思ってる」
その言葉に嘘はない。彼女といると気が楽なのもあるが、何よりも楽しかった。だから本音を言えば、アインもクリスが来てくれることを期待していたのだ。
「……っ!」
ごしごしと涙を拭ったクリス。頬を軽く叩き、じっとアインを見つめる。
「わかりました……ではお土産でも待って、大人しく留守番してます」
まだ気持ちは整理できない。それでも諦めなければならない事情なのは理解しているクリス。まさに断腸の思いで留守番に努めることにした。
「うん……たくさんお土産買ってくるから、だから待っててね。でもきっと、クリスさんがいるから王都の人たちも安心できるんだよ」
『そう、ですね』、静かな態度でそう言ったクリスは、立ち上がって更に呟いた。
「……"貴方"を守れれば、私はそれだけでいいのに」
アインには聞こえなかったその呟きは、クリス自身に深く突き刺さる。
元帥ともあろう自分が?近衛騎士ともあろう私が……?その言葉はまさに言ってはならない言葉。
まるでイシュタリカの民を蔑ろにするかのような台詞に、どうしてそんなことを言ったのだろうと疑問に思った。まだいじけてるのか?いけない、もう気持ちを入れ替えなければ……。心の中で唱え続ける。
「バ、バルトで作られる山の幸は、カティマ様の好物です。なので買い溜めしておくといいかもしれないですよ」
嘘を言った訳ではないのだが、こうして話題を変えなければいけない気がした。
先ほどの事を考え続けると、まるで抜け出せない深みに嵌りそうな気がしてならないのだ。
咄嗟の話にカティマを使ったことに、心の中で謝罪する。
「ほんと!?それはいいことを聞いた……ありがとクリスさん!」
そんな気持ちも知らずに笑顔のアイン。だがおかげで一つ再確認できた。
——自分はアインの笑顔が大好きだ。それだけは何と言われようとも否定できない純粋な想いだった。
*
海龍を倒した英雄。
それが王太子アインに対する、王都民の初めに出る言葉だろう。
ほぼ単騎で海龍を討伐し、結果的に2体の海龍を国にもたらした大英雄。皆がそう考えている。
そんな王太子アインがバルトに行く。それも旧魔王領の調査に行くとなれば、注目されない訳がなかった。
その日の王都は、大通り沿いが出店でごちゃごちゃするほどの大賑わい。
バルトへと向かうアインを、皆でお祭り騒ぎに祝福していた。
「みんな暑いのに元気だね」
「なにせ英雄ですからね、アイン様は」
アインの隣を歩くクリス。彼の言葉に笑みを浮かべる。
「照れ臭いから、もうそろそろ落ち着いてほしいんだけど……」
「アイン様がご存命のうちは、落ち着くことはないと思われますが」
「なんてこった……」
残暑が厳しい王都の大通り。石畳を反射する日の暑さが、アインの体にも強くのしかかる。
彼の武勇伝は、アインが存命のうちどころか、未来のイシュタリカにも語り継がれることだろう。
「それに本当なら、夜の出発にするべきなのですが……」
大々的にアインがバルトへ行くと発表されたこともあり、出発は日の出ている時間帯になったのだ。
そのためバルトに到着するのは深夜となる予定で、イストへの出発とは真逆の時間帯。
「まぁしょうがないしね、駅に入ってホームに向かおうか」
馬車でホワイトローズまで来たアイン。今日はそこそこの大所帯を引き連れて、バルトへと向かう列車へと乗り込むことになる。
「ではアイン様。列車までお見送りを」
「うん、わかった。ありがとねクリスさん」
留守番をするクリスは列車には乗らない。そのため今日は、駅のホームまでの護衛として付き添っている。
ちなみにクローネやロイド、ディルの面々はすでにホームでアインを待っている。彼らは彼らなりに、バルトへ行くために必要な支度があったからだ。
ちなみに変装してでも見送りに来そうになったオリビアは、城でマーサに引き留められている。
*
駅構内には数多くの王都民が押し寄せている。だがアインは専用の通路を通って、王家専用列車のあるホームまで行くため、その人混みの近くを歩くことは無い。
列車に着いたアインは、クリスと別れて車内へと入った。
ウォーレンとの話の中であったように、見送りにきた王都民へと手を振るのも忘れない。
これからアインは、一カ月に及ぶバルトへの調査に向かう。
「外の雰囲気は如何でしたか、殿下?」
「みんな暑いのに元気だね。きちんと水を飲むことを忘れないでほしいもんだ」
ちょっとしたお祭り騒ぎの王都民たち。体には気を付けてほしいものだと心配してしまう。
「ところでクローネ。ロイドさんたちは?」
「前方の車両にいるわ。今回は前方と後方に近衛騎士を分けているから」
「あぁ正規配置か、りょーかい」
そもそもとして王家専用列車は通常、多くの近衛騎士を連れていくことが前提となっている列車。そのため王族が乗る車両の前後は、近衛騎士達によって挟まれる形になっている。
王族を安全に連れて行くための騎士達の配置。それが正規配置と呼ばれている。
今回は多くの近衛騎士や給仕がいるため、その正規配置の形がとられている。
「じゃあこの車両は、えっと……」
「私とアインだけよ?」
彼女は有能な補佐官。有能な補佐官……ただ補佐官ということだけを意識しよう。そうしなければ妙に緊張してしまいそうだ。
「とりあえずこんなとこで止まってないで中に行きましょう?……アインは何か飲む?外は暑かったでしょ?」
「冷たいお茶がいいな」
「お茶ね、わかったわ」
丁度喉が渇いていたのだ。さすが有能な補佐官……とか考えていると、一つの発見があった。
今日は残暑厳しい気温で、おそらくクローネ自身も暑かったのだろう。
薄着のシャツは、後ろから下着のラインがよくわかる。失敗だ。……今回の調査は幸先が悪い。そう実感したアイン。
「まぁもちろん視線は外すんだけどね?」
これがジェントルというものだ。王太子として大切な考え方だよ?と、虚空に向かって勝ち誇った顔を見せる。
「……?どうかしたの?」
「ううん何も?喉がかわいたなーって」
不思議そうにしていたが、特に気にしないでくれた様子。彼女はそのまま先を歩き、ラウンジへと入ってアインのお茶の用意をしにいく。
これから長い時間を共にするのだ。冷静に行こうじゃないか……そうして左胸に手を当てて深呼吸する。
「こんなところから厳しいなんて……やるじゃないか、冒険者の町バルトっ……!」
原因としてはかすってもいないのだが、もう行ったこともないバルトのせいにしておこう。それがきっと最善なのだ。
アインは少し落ち着いてから、クローネの後を追ってラウンジへと向かって行った。
*
王都を出発してから4時間程度が経った。まだ半分も進んでないことになるが、あたりの光景は大きく変わっていく。
大きな岩山に囲まれた地帯ばかりで、遠くの山には、翼が4つもある大きな鳥が飛んでいるのを見かけた。
どれぐらい強いのだろう?どんな攻撃をしてくるのだろう?……どんな味がするのかな?
最後はいつもの地点に到達するが、多くの疑問が浮かぶ。
ここまでの道中で、クローネといくつかの話し合いをした。それはバルトについてからの予定や宿。細かな事の再確認が主な内容となった。
そして今は、旧魔王領の話題に花を咲かせている。
「危険なのはわかってるけどね。でも初代陛下ともゆかりがあるって聞いたら、それも気になるしさ」
「印象的な地域なのは確かね。……ほんとに気を付けてね?あと変なものがあっても触ったらだめよ?」
「そ、そんなに子供じゃないんだけどなー……」
今までのことがことだけに、あまり信用が出来ないクローネ。アインは否定するが、クローネはまだその言葉を100%は信じられない。
「初代イシュタリカ王がしたことといえば、やっぱり魔王領への遠征だよね」
「えぇ……確かに初代陛下が生きていた時、陛下は魔王領への遠征はしたわ。でもその言い方だと、満点は上げられないわね」
「……へ?」
何処が間違えてるのか分からない。
初代陛下が魔王領へと遠征した。これは間違いないはずだ、ううんと唸るアインに、クローネが答えを伝える。
「初代陛下が魔王領に遠征した時、彼はすでにイシュタリカの王だったのか。……それとも、その後に王となったのか。そういうことよ」
「す、すみませんクローネさん……。もう少し詳しく……」
『しょうがないわね』といって彼女は説明を続けた。自分より後に来たクローネの方が、イシュタリカの歴史に詳しいのは少し切ない。
王都に戻ったら、もう一度勉強し直そうと思った。
「およそ500年ほど前。魔王が討伐された、ここまではいいかしら?」
「はい先生!」
芝居じみたやりとりで、元気よく返事をしてみる。彼女もノリがよく、アインの態度にしっかりと反応を返してくれた。
「ふふ……よろしい。……じゃあ仮に500年前に討伐されたとして。イシュタリカはその前からあったのかしら?それともその後にできたの?」
そう言われて考えるアイン。
自分が学んだ内容は、500年ほど昔に魔王を討伐した。それが初代陛下という内容。……そう思えば、どこが建国の時期なのかは理解してなかったのに気が付く。
「結局建国された時期は、まだわかってないのよ。魔王討伐の前なのか?それとも後なのか。ただ一般常識的には、魔王討伐の前からあったとされてはいるのだけど。学者たちの中ではまだ確定には至ってないのよ」
「なんでそんなに詳しいのか疑問に思うけど、勉強になりました」
「補佐官の試験でも出た内容だもの。これぐらいなら理解してるの」
自分の補佐官試験。それがどれだけの難易度だったのかを理解できた。まさか学者たちが研究中のことまで、試験として扱われているとは考えなかった。
「討伐の前後どちらなのか。その手がかりは旧魔王領にも残ってるとされてるの。だから今回の調査は、これも目的の一環だったのだけど……王太子殿下はご存じなかったようですわね」
「ははは。段々肩身が狭くなってくるね」
「狭くなっても、貴方が指揮官なのだからしっかりね?」
今回の調査の指揮官は、一応アインになっている。ロイドたちが多くの指示を出すかと思われるが、それでも一番上の権力を持ってるのに違いはない。
そうしてアインは、クローネが淹れてくれた茶。それを飲みながら考えを巡らせる。
「(イシュタリカ建国後、魔王という危機に襲われたのか。それとも魔王領を制圧して、統一を終えてからイシュタリカを建国したのか。そういうことかな)」
どちらが先なのか。それは記録として残ってないのだが、言われてみると確かに重要な話だ。
移り行く山々を見ながら、自分なりの考察に入ったアイン。
なだらかというよりは、尖った岩石が多くある山の風景。その風景はアインの男心をくすぐる形をしている。
外の景色を見ていると、正面に座っている彼女から声がかかる。
「ねぇアイン。王家ガチャっていう言葉覚えてるかしら?」
「ん?……もちろん覚えてるよ。王族が始めた、自分たちの血統で遊んでるよくわからない言葉だよね」
アインの返事に頷くクローネ。
不謹慎な事この上ないが、その結果オリビアやカティマといった、様々な種族が王家にも誕生している。
ちなみに『毒素分解EX』クラスのスーパーレア。それがあるとすれば、どんな種族なのか。そのことが気になってしょうがない。
「でもそれがどうしたの?」
「今はまだわからないけど、魔王領に居た異人種が王族と交わった。そんなこともあったかもしれないわよ?」
「……無いとは言えない部分が怖いね」
結局のところ異人種と魔物の線引きなんて、国の決定に基づく内容でしかない。
異人も魔物も、体内には重要な2つの器官として『魔石』と『核』がある。
人と会話が出来て、被害をもたらさない。その結果、異人と判断されるのは今までの歴史の中で、数多くの例が存在しているのだ。
それを思い返してみると、可能性はゼロとは思えない。
「初代陛下のお妃様って、種族はなんだったっけ」
「確か……初代陛下が命名した、ピクシーという種族よ」
「妖精系だったね確か、なるほど。まぁどこで交わるかなんてわからないけど、可能性はあるだろうなぁ……」
アインもいずれ妻を娶ることになる。これは決まった事実だが、そうなれば次に思うのは王家ガチャ。一体どんな種族が産まれてくるのだろう?
とはいえ先に嫁を見つける必要があるのだが、どこか貴族から娶るのか?それを考えると微妙な気分になる。
目の前に居る彼女を見て、考えを巡らせる。
「え、えっと……どうしたのアイン?急にこっちをじっと見て……」
——……今は考えなくていいか。家族やウォーレンから急かされてるわけでもない。棚上げするといえば微妙だが、難しい心境がある。
だが照れたクローネはなかなかレアで悪くない。急な事に弱いクローネは、頬を徐々に赤らめる。
「いやなんでもないよ。俺は急かされなくてよかったなってね」
「……ふふ、変なアイン。王太子殿下は外の暑さに負けちゃったのね」
暑さには負けてないのだがそれは言うまい。とりあえず今は、彼女の微笑みに癒されておこう。
今日も閲覧ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。




