コミックス10巻発売記念SS
いつもありがとうございます。
本編の更新にお時間をいただいているところ申し訳ありません……!
本日はコミックスが10巻の発売間近ということで、二桁巻に到達した記念としてSSをご用意させていただきました。
10巻の範囲のSSになるので、懐かしいお気持ちでお楽しみいただけますと幸いです……!
◇まるで野良猫。けれど彼女はどこか高貴。
宰相ウォーレンの下にある暗部を率いる女性、リリ。
数年前にイシュタリカを離れハイムに潜り込むと、つい最近まで、クローネの母エレナ付きの補佐官を務めていた。
『私が欲する情報を得るだけで構いません。場合によっては自身の判断で帰国してくださって結構です。命をさらすほどのことは必要ありませんので』
『ですが閣下、私が見るべき相手はハイムの重鎮なんですよね? 文官の中でもかなりの人だって仰ってましたけど……本当にそれだけでいいんですか?』
簡単に言えば、情報を得たら始末したほうがいいのではないか――――と。
隠密としてイシュタリカに仕えるリリにしてみれば、ウォーレンの命令はどこか中途半端というか……もどかしい。
このとき、リリは近づく相手がエレナだと知らなかったのだ。
『相手はクローネ殿のお母君ですので』
『……あー、なるほどです』
『しかしながら、私が手を抜くわけではありませんよ。他にも予定していると思っていただいて結構です』
『では、後は私次第ですか?』
『そのとおり』
是非もない。これほどの任務を与えられたことに喜びを覚えないはずもなく、リリはその日のうちにイシュタリカを発った。
やがて他国を経由してハイムに入ると、イシュタリカとの文明度の違いに驚かされたり、現国王の統治に何とも言えない気持ちにさせられることもあったけれど、それはそれ。ハイムはこの大陸においてどの国より先進国で、長い歴史の中で大陸の覇者として名を知らしめた雄なのだ。
決してイシュタリカの人間であると悟られてはならない。与えられた任務に忠実に従って、エレナ・アウグストの近くへ忍び込んだ。
はじめは所詮、仕事で見張るだけでそれ以外でもないと思っていた。
けれど、エレナの人となりはリリとも相性がよく、自然と打ち解けていくことに、リリは少し想定外だと何度か笑った。
――――いずれ別れの日が来て、エレナの元を離れても。
『……ま、エレナ様のことは嫌いじゃなかったですよ』
数年の仕事を終え、イシュタリカへ帰還する途中。
そう口にしたリリは自分が笑っていることに気が付き、それが面白くてたまらなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「いやー、懐かしーですねー」
まさか港町マグナで再開することになるとは思わなかったが、こうして再び会えたのだから悪い気はしない。
少なくともいまは、エレナと敵対する必要がないから。
いつか、敵対することになるかもしれないけれど。
「……懐かしい懐かしいって、何度同じことを言うのよ」
と、マグナの一角にあるカフェで茶を楽しみながらエレナが言った。リリの案内でイシュタリカの軍港などを見て回った後の、ゆっくりとした時間だった。
敵国の人間同士なのに、ここにあるのは過去の仲が良すぎた主従関係だけ。
「あのあと大変だったんだからね。いきなりリリがいなくなって……どうして敵の間者が! って大騒ぎ。ほかの文官とか補佐官も入念に身元を調べられたり、仕事どころじゃなかったんだから」
「あははっ、私にとってはいいことなので謝りませんよ?」
「別にいいわよ、もう。いまさら謝ってもらうつもりもないし」
「それは何よりでした。いざ謝れって言われたら、仕方なく仏頂面になってそっぽを向きながら謝罪してましたよ」
冗談も交え、リリもティーカップを手に取った。茶を飲むことだけ見ても、相変わらず貴族のように洗練された所作である。大公家の人間であるエレナが見ても、ケチの一つつけようのないものだった。
「リリって、実は貴族?」
「いえいえー? 私ってばすごく可愛いですけど、割と一般家庭の生まれです」
「…………ふぅん」
すごく可愛い、という言葉は確かにと思うが無視しておいた。
「あー! 疑ってますね!」
「そりゃね。仕草もそうだし、あんなに器量がよかったから」
「そーゆーことですか。なら答えは簡単ですよ。だってこのくらい学んでおいたほうが、誰も私のことを疑いませんし。それに忍び込むのに無駄にならない――――ってのはエレナ様がよくご存じじゃありません?」
それはもう。痛いくらい。
エレナはため息を漏らすと、ついでに「耳が痛いわ」と声に出した。
「野良猫みたいなところがあるのに、近くにいるとそれが高貴な方の飼い猫にも見えちゃうのよね」
「それ、褒めてます?」
「少なくとも、馬鹿にしてないでしょ」
「もー、素直に褒めてるっていってくださってもいいのに」
こうも可愛らしくじゃれつかれると、エレナの頬も緩んでしまう。
茶を飲み終えると、リリは一足先に席を立って、
「ほらほら、次の観光に行きますよ!」
そう口にして、エレナに手を差し伸べた。
エレナはというと、「観光、ね」と敢えて軍部の情報を見せつけるリリたちの姿勢を不気味に思いながらも、確かに応じた。
◇IF・あの発言を、あの場所で直接耳にしたら。
「クローネは俺のだ」
謁見の間に滔々と響き渡る王太子アインの声を聴き、国王シルヴァードは、元帥ロイドは、そして宰相ウォーレンはいくつかの思いに駆られた。成長したアインの力強さに驚かされ、想いを堂々と述べたその姿を頼もしく思わされた。
シルヴァードが嬉しそうに髭を揺らそうとしたところで、彼の目が――――
「……くくっ」
と、何かを見て笑みが生じる。
彼の近くにいた二人も気が付いて笑うも、よくわかっていないのはアインだけ。アインは不思議そうに思いながら三人を見る。
すぐに何かを感じ取り、後ろを振り向いた。
するとそこには、思いがけない人物の姿があって……。
「ク、クローネ!?」
「え、ええ……陛下にお伝えすることがあって来たのだけれど……」
ゆっくりとした足取りで近づいてくるクローネの声だ。
彼女はつい先ほど、謁見の間の扉が開いてやってくると、同時にアインの声を聴き頬を真っ赤に上気させてしまったのである。
しかしシルヴァードに伝えることがあるとのことで、すぐにその仕事を終えると、いまだ照れた様子のままアインに話しかける。
「あ、あんなに堂々と言われると、少し恥ずかしいんだからね……?」
それにはアインも数秒気を抜かれてしまうが、徐々に自分が口走ったことと、さらにその言葉がほかでもないクローネの耳に届いてしまったことを完全に理解して――――自身も頬を赤らめた。
ぼうっと立っているわけにもいかず、先ほどのように口にしたクローネに近づく。
するとアインは、
「ごめん。色々あって」
「もう……びっくりしちゃったんだからね? その色々も、ちゃんと聞かせてもらうんだから」
「うん、もちろん」
とは言うが、クローネはまったく不快に思っていなかったし、いまだって照れ隠しで唇を動かしただけなのだ。
面と向かって近くに立つと、さっきのことが頭をよぎって二人がより照れくさそうにしている。視線は互いを向いているから定まっていたものの、逆にそのくらいしか落ち着きがなかったともとれる。
「お爺様、つづきは改めていいですか?」
「うむ。構わん」
むしろそれ以外の返事ができようものか。雄々しく成長した孫に抱く頼もしさは忘れ去らずとも、年相応の少年少女に必要なのは穏やかな時間。それ以外にない。
あんなことを口走ったからか、いまのアインはいつもより男らしいというか、積極的だった。
「アイン?」
「嫌だった?」
「……ううん。嫌じゃない」
謁見の間を出てすぐ、アインに手を握られたクローネが嬉しそうに軽い足取りで彼に寄り添った。
アインから事の経緯を聞いたり、ついでに自分が口にしたことを少し照れくさそうにする彼を見ていとおしく思ったり。
城内を一緒に歩いているだけで心躍る思いだった。
当然、誰かに見せつるけるようなものではない。謁見の間からアインたちの部屋へ向かう道は騎士も滅多にいない隔絶された階層だから、それも幸いしていた。
いつしか心落ち着けて、別の話題にも花を咲かせて……。
通りがかった階段の踊り場で、窓から差し込む暖かな陽光に目を細めてから。
「ねねっ」
とクローネがアインを見上げた。
まだ頬が微かに赤らんでいて、可憐ながら美しく成長をつづける彼女に、嫣然とした何かが内包されている。
その愛らしさに、アインの胸が早鐘を打った。
「これから、一緒に城下町に行かない?」
「いいよ。何か欲しいものがあるとか?」
「ううん。そうじゃないの」
でも、買い物に行きたい理由はある。
言葉にしなくてもわかることで、けれど、ときとして言葉にしたくなること。
クローネはそっと背を伸ばし、アインに顔を近づけた。
吐息すら感じられる距離で、彼の耳に、
「――――デートしたい、ってこと」
と。
彼女は甘い甘い花の香りを伴って、その言葉を送り届けた。
今日もアクセスいただきありがとうございました。
コミックス10巻は9日発売となりますが、すでにお店に並んでいるところも多くあるようなので、引き続き何卒よろしくお願いいたします……!




