増援と、大山と。
旧年中は大変お世話になりました。
更新がゆっくりとなってしまい申し訳ありませんが、今年も頑張って活動してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、9日にはコミックス最新刊が発売となります。旧魔王領編のクライマックス、忠義の騎士と新たな王のお話を、何卒よろしくお願い申し上げます……!
撫でるような、と言えるほどやさしいものではなかった。
泰山を覆う雪の壁は、嵐のような強風を含んだ強烈なものである。斜面が急なところに吹き付ける雪の風は、小柄な人間なら容易に吹き飛ばすほどの猛威を振るうだろう。
その奥に、夜中だというのにはっきりと見えたのだ。
アインとクリスを乗せた飛行船の中も、いまの光景により様子が一変。特にブリッジでは多くの声が響き渡って、一人残らず現状の確認と、対処に動いていた。
しかし、慌ただしい様子ではない。
飛行船の歴史そのものは浅いが、乗組員は何かしらの戦艦に配属されていた乗組員で、騎士も同じように経験豊富。誰もが冷静に動いており、気が気じゃなかったのは村娘二人くらいだった。
「どう思いますか」
「まだ何とも。けど、二度の海龍騒動とは別物って感じかな」
「ですね……私も、全体的に別物だと思います」
敵の強さがどうとか、戦場がどうとかいう話ではなく。
ドライアドの習性として、根付くというものがある。生涯を一人の番としか共にしないドライアドの生き方そのもので、生命そのものにも繋がりができるというものだ。番との結びつきを極限まで高めることで知られているが、互いに命を落とすこともある厄介な一面も。
だが、根付く概念の基本はドライアドのもの。
世界樹の魔王となったアインに対し、根付いた者の種族はドリアードという名に変わっていた。これがどのような変化をもたらすか不確かなことばかりではあるが、彼の力に影響され、感覚が鋭くなったり魔力が高まっているのは確かである。
クリスは幼い頃から魔法的な機微に長けていたが、いまはより長けている。
いまの彼女は、アインが先ほどの光景に感じた不審な点に同じく気が付いていた。
「気になることは多いけど、できることからしよう」
「はい!」
部屋を離れ、飛行船内部を歩いた。
ブリッジにアインがクリスを伴って現れた。
乗組員たちが臣下の礼を取りかけたのをアインが手で静止し、ブリッジの前方にある巨大な窓ガラスに近づいて、もう一度大山の様子を見た。
先ほど見たのは、大山を覆う雪の壁の奥にうごめく巨大な龍のような存在。
アインは驚いていた村娘二人へ話しかける。
「大丈夫」
簡潔にとても短く。
あれほど巨大な存在を前にして、どうしてこの人はこれほど落ち着いて話せるのだろう。彼の声を聞いた彼女たちはこのことがどうしても不思議でたまらなかったのに、無意識に落ち着きを取り戻しはじめていた自分にも驚いていた。
窓ガラスの外の視界は、ひどいの一言だ。
ただでさえ真っ暗なのに猛烈な吹雪があって、数メイル先すら見通せない。
アインは雷の龍を追うように外を眺めていたのだが、目的の姿はいつの間にかなく、かといって何かが襲い掛かってくる様子もなかった。
窓に打ち付ける吹雪の音が、かすかに聞こえてくるだけ。
飛行船の状況確認その他が済んだところで、船長が声をかけに来る。クリスに対応を頼み、なおも外を見ていたアインは何か納得した様子で村娘たちを振り向いた。
「念のために村のみんなに避難してもらおうか」
決して自ら率先して安全なところに逃げようとするわけでもなく、船長とクリスから話を聞きながらこの後のことを話しはじめた。
指示は単純で、このまま山へ向かって村へ行く。村人をどうにか非難させて、朝まで様子を見てから動くことに。
「いいんですか!?」
「ダメですよ~……! そんな危険なことをしていい方じゃありませんから~!」
「さっきも言ったけど、いまのところ大丈夫だよ」
何やら含みのあるような声音だったが、やはり村娘たちはアインの声に本能にも訴えかける頼もしさを感じ、それ以上反論することはできなかった。
クリスもそんなアインに異を唱えようとせず、彼女もまた何か訳知り顔で立っていた。
飛行船を停泊させる際の風は、日中とはまったくの別物だった。
普段よりゆるやかに高度を落とすと、再びタラップが伸ばされる。この辺りには日中のうちに残してきた騎士たちが使う仮の詰め所が設けられている。いつものように、オーガスト商会製の魔道具だった。
防寒具に身を包んだ騎士や文官が、仮の詰め所の外に何人もいた。
彼らもこの山の裏手に位置した大山の異変を感じ取り、すぐさま外に出て動いていたようだ。
「殿下」
一人の騎士がアインに声をかけ、つい数分前のことを語った。
大山の異変を感じ取ってすぐに何人かの騎士を村へ派遣している。現状、あたりの様子を確認に動いていたところだった。
アインが着たコートの裾が、風により勢いよく靡く。
指示するまでもなく、騎士が迅速に動いてたことへ感謝を告げた。
「ありがとう。念のためにここへ避難するように誘導して。距離はあるけど、そのための魔道具とかも潤沢のはず」
「もちろんです。しかし、殿下は――――」
「俺はウォーレンさんとメッセージバードを交換したり、明日の準備をクリスとしたりかな」
「明日の準備……?」
当たり前のように言うところがアインらしくあるが、一瞬、騎士は反応が遅れた。
けれどすぐに「なるほど」と頷き、彼の目がアインに倣い大山に向けられた。
「長い夜になりそうで」
「うん。指揮系統の確認とか、色々とね」
わけもわからぬまま様子を見ていたシャリアとソフィーの頬に、冷たい雪が触れていた。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝になると、仮の詰め所の近くに空中からいくつもの音が降り注いだ。
何隻かの飛行船が現れ、すぐさま山肌にタラップを繋げて多くの人員が降り立つ。その様子を、仮の詰め所に避難していた村民が唖然とした顔で見ていた。
昨日、アインが来た際の様子ですらただ事ではなかったのだ。
それが昨晩は大山に巨大な龍のような影が見えたから、まさに村民たちにとっては息をつく暇のない騒動の連続だったはずなのだが……。
以外にも、後者に関しては前者ほど驚いているようには見えなかった。
その理由は、
「昨晩申し上げたように、山の主なのです」
シャリアの父にして、村の長である男が言った。
彼は足腰に怪我を負っているため、昨晩の避難では騎士に背負われてここにやってきた。いまは杖を手にしている。
「大山を根城とし、吹雪の夜に雪の海を泳ぐ巨大な龍……。ご覧の通り、とてつもない大きさだったでしょう。例の、先週ころから確認されるようになった恐ろしい魔物です」
山の主と呼ばれる魔物の姿が見慣れたわけではないのだが、初見ではないため衝撃は抑え目。
しかし恐怖していないわけではなく、ただでさえ厳しい冬にどこへ逃げるわけにもいかず、村の比較的若く戦える者が村を守り、大山の様子を見てきた。
極寒の粉雪の上を歩くと、雪を踏み固めるような感覚は訪れない。
アインは詰め所の外で話をしながら、白い息を吐く。呼吸するたびに、喉の奥が凍り付きそうなくらい冷たい空気を吸う。済んだ空気を吸っていると落ち着いて考えられる気がした。
「…………」
アインは村長の話に頷いて返すこともあったが、反応が薄い。
もしや、不快な思いをさせてしまったのだろうかと村長は一瞬不安になったが、昨日のアインが見せた姿から考えるに、そんなこともなさそう。
大山を見上げる王太子の横顔を、村長は気にした様子で見ていた。
「王太子殿下?」
「あ、ああ! ごめん! ちょっと考え事しちゃってて」
「それは失礼いたしました……ところで、どのようなことをお考えに……」
「もちろん、山の主のことだよ」
いままさに話題に出ていたのだ。ほかのことを考えるはずもない。
アインが言ったように山の主のことなら、この後、どのように動くべきか考えているのだろう――――と村長は思った。
辺境生まれ、辺境育ちの村長には理解が及ばなかった。
ただでさえ昨日から驚きつづきなのだ。余計に落ち着いて考えられない。
「村長」
「は――――はい!」
「先週くらいから現れるようになったっていうのが、昨日ので、山の主なんだよね?」
「間違いありません! きっと伝説に存在するような魔物に違いありません……ああ恐ろしい……あれほど大きな魔物が襲ってくると思うと――――」
「そこは俺に任せてくれていい。もう一つ聞かせてほしいんだけど」
と、アインが。
「あの大山に行く道はどのくらいある?」
「道……?」
「地上から向かう手段だよ。それと、道があるなら普段から人が使ってるのかどうかも」
「どちらもないかと……僅かに獣道がある程度で、獣ですら歩くのに苦労する険しい山肌です」
「なら、冒険者も?」
「話に聞くことはありません。ただ、」
村長は関係のない話をして迷惑だったらと内心迷っていたが、アインがつづきを聞きたそうにしていたから素直に言った。
「ラミア族たちなら事情が変わります」
「ラミアって……シャリアと同じ?」
こくりと頷いた村長が近くで様子を見ていたシャリアを呼びつけた。
「シャリア、大山とラミアの話を王太子殿下に」
するとシャリアは急なことにと驚いていたが、アインが「お願いできる?」と言ったから、きょとんとしながらも話しはじめた。すぐにクリスとソフィーも傍に来た。
「いまでこそラミアは異人としてイシュタリカの民ですが、初代陛下が大陸を旅されていた際にはまだ魔物に数えられておりました」
「ああ、懐かしいね」
「な、懐かしい……ですか?」
「……えっと、すごく昔の話だからってことで」
「なるほど! そういうことでしたか!」
油断していたアインがほっと胸をなでおろす。
隣に立つクリスもアインがただ抜けていたとしか思わずに微笑んでいた。
「魔王大戦前後の時代、あの山はラミア族の住処だったんです」
「へぇ……あの山が……」
山の主の話も気になっていたが、また別の話にアインが興味を示した。
「ラミア族は下半身が蛇に似た身体なので、大山の道を容易に進めます。普通の魔物以上に手も器用に動かせますし、道具を使えるので敵になる魔物も僅かでした」
大山は夏の間もほとんどが雪や氷に覆われた厳しい環境で、暖かな季節も村の周辺へも涼しい風を送り届ける。大山の内部に滞留した膨大な氷の魔力が古代から変わらず残り、大山にのみ大きな影響を与えていた。
「私たちは寒さにも耐性がありますから、大山で暮らすのも平気です」
「氷に触れても冷たくない、ってわけじゃないよね?」
「さすがにですね。冷たいとは思いますが寒くはありません。ソフィーも同じだと思います」
「ソフィーが?」
「はい~。セイレーンも寒さにはめっぽう強いんですよ~」
「だから私とソフィーは何度か大山に行ったことがあるんです。昔はそれで村の大人たちに何度か怒られて……って、話がそれちゃいましたね」
ごめんなさいとシャリアが可愛らしく頭を下げて話を戻した。
「大山には大きな鉱脈が眠っていると言われています。魔王大戦以前の古代においては、それらの地下資源を餌とする巨大な魔物が住んでいたとか……」
ぴくりとアインの眉が揺れた。
「その話って、知ってる人はどのくらいいるの?」
「多くないと思います。私たちのように大山の近くで暮らしている人とか、地理に興味がないと耳に入れることすらないくらいの古い話ですから」
「――――そうなんだ」
するとアインがクリスを見た。
「エルデリア周辺の地下資源は調査が進んでたと思うけど、あの山は?」
「まだです。この地域は急速に発展している場所なので、まだ手付かずの地域も多いんです……あれほどの自然を相手にする前に、手が届くところから調査と管理がされていますから……」
「だよね……それが普通だろうし……」
「その――――どうしますか?」
「ウォーレンさんには話してあるし、今日の午後には増援が到着するから行ってみようかな」
「わかりました。じゃあさっそく、準備をしなくちゃですね」
二人が当たり前のように話していると、
「まさか大山に向かわれるのですか!?」
「そうだよ。昨日の紛い物の正体も気になるしね」
「……紛い物?」
「ごめん、こっちの話。まだ確定してないから紛い物らしきって言い方のほうが正しいかも」
アインはそこまで言うと、相変わらず自分のペースを保ちながら動いた。
……まだ、セラさんがこないし。
これまでの彼女の動きから察するに、どうしてもアインに介入してほしくない状況であればもうすでに止めにきているはず。彼女が動けない状況、たとえば例の元相談役と何かあった可能性も考えられなくなかったが、それにしては何もなさすぎるから、この可能性もほぼないと考えた。
声を大にして言うのはあまりにも自意識過剰だと思うからアインは決してしないが、セラはアインのことを、彼が旧王都の城で暮らしていたときから気にかけている。
長い時を経てこの日に至るまで、ずっと、常に。
だからアインはいま、まだ自分が遠慮せずに動けると確信していた。
日光が強まり、やや暖かくなった昼過ぎを経て夕方に。
この日のうちに大山へ行くことは諸々の準備もあり避け、また念のために自身も残った仮の詰め所にて、アインは空の端から訪れた新たな飛行船を見た。アインとウォーレンが相談し、急遽こちらに向けられてきた増援を乗せた飛行船だった。
これまでと違い、より白銀に染まった美しい威容を誇った。
すぐに停泊してこの地に足を下したのは、王都から送られてきた近衛騎士たち。城の警備に影響がないよう選定された――――というよりも、最近の城は旧王都の三名もいるから、戦力の意味では近衛騎士が減ってもさして影響はないだろうが。
今回、訪れた船から降りたある騎士をみたアインが目を見開き、「え!?」と驚く。
現れた騎士はアインの前にやってきて、すぐさま慣れた様子で膝を折った。
「ただいま参りました」
と。
金色の鬣を寒風に揺らすケットシー。ディル。
「カ、カティマさんの傍にいてって言ってたのに!」
「しかしながら、今回は私が適任かと思い参った次第です」
そう言うと、ディルは一通の便せんをアインに渡した。
正面にでかでかと「偉大なる伯母より」と書いてある。
『アインが暴走しないように適任の男を派遣したニャ。私を気遣ってくれるのも嬉しいけど、たまにはディルも連れてってほしいのニャ~』
なんともカティマらしい言葉と選定の理由にアインが笑った。
「頼もしいよ。来てくれてありがとう」
遠慮していたアインも実際のところ、ディルが近くにいてくれるとやはり心強く思う。精神面での話をすれば、ディルは幼いころから共にいる男だ。何一つ気兼ねすることなく、またディルも同じく他の騎士よりアインに寄り添った言葉を告げられるから、やはり適任だろう。
そこへ様子を見ていたクリスが声をかける。
「こういうときの作戦って、この三人で集まることに縁があるのかもしれませんね」
季節は違うが、はじまりは魔法都市イストへ足を運びオズと話したとき。
それからもたびたび、三人で特別な作戦を遂行する機会があったから。
「また、クリス様に学ばせていただきます」
「たはは……私から学べるところがまだあるといいんですが……」
話がまとまり、明日の朝から大山へ。
今日の夕方から夜はせっかくなので村人と親交を深めたり、周辺の地形を調査中の騎士たちからの報告をまとめるなどして過ごしたい。
そうときまれば、
「ディル、一緒に狩りに行こう」
「また急ですが、狩りですか?」
「そ。この山ってヤツメウサギがたくさんいるから」
「なるほど。アイン様らしいです」
アインの食に対する情熱はディルも熟知している。久しぶりに二人で野外活動をすることに対して、互いに心躍る思いすら抱きはじめていた。
軽めの支度をすべく、飛行船の中に肩を並べて歩を進めた。
支度はあっさり、数分もすれば終わって二人は再び外へ出て、もう半分も夜に浸食された空を傍目にタラップを進む。
「ところで、昨晩お見かけになられたという影についてもう少し詳細を」
「んー……俺もまだ確証がないから、言えることは少ないけど」
アインはクリスと一緒に感じとった違和感を話した。
未来の元帥は何度も深く頷いて、神妙な面持ちで聞き入った。
「すべては、明日からの調査次第ですか」
「どうにかなるよ。そうじゃないと俺もこんなに早く動こうとは思わなかったし」
「何を言うのですか……。海龍騒動の際から、基本的にすぐ行動されている気がしますが」
「でも、昔よりは慎重になったよ」
「慎重になったうえで、すぐに動かれているかと」
「……それはそれ。意識は重要だよ。きっと」
あまり説得力のない言い訳をした主君の横顔を、ディルはふぅ、とため息交じりに楽しそうに見ていた。
森に入ろうとする前にクリスに話をして、今度こそ森に行こうとしたら、
「しかし、大山はかなりの面積を誇るようですが」
「地図はもらったから、行けるところから確認してみようかな」
二人の話し声を聞き、森へ進む道の近くにいたシャリアとソフィーが。
「あの~……」
「ソフィー? どうかした?」
「すみません~。声が聞こえてしまったので~」
「大山の地図を父から受け取ったことは私も聞きました。ですが、先ほど仰っていたご様子で確認するのは難しいと思うんです」
「え? どうして?」
すると、シャリアが頬を書きながら言いづらそうに。
「あのですね……大山はほぼ全域が氷の迷路のようなもので……」
彼女の話を聞けば、どうやらアインが思う以上に大山の中は面倒な作りのようで……。
「昔は『リオール・ファラ』という名前で呼ばれていたそうです。昔のラミアが使っていた言葉で、氷の迷宮という意味らしくて……」
「じゃあ、その名の通りの地形ってことか」
「はい……入り組んでるどころではない道が各所にありますから」
王太子の専属を務める金色のケットシーは、こほんと咳払い。
彼はアインを見て、
「アイン様、狩りを終えたら改めて会議をしましょうか」
「そうしとく」
狩りはやめなかった。
村人のためでもあるから、まずは予定通りに事を進めたくて。
重ねてとなりますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
また、明後日発売となるコミックス9巻もお楽しみいただければ幸いです!




