[閑話]国王夫婦と孫の話。
アインがマグナに滞在中で、アイン製リプルの話が王都に届いたときの事です。
春の陽気と、涼し気な空気が入り混じる朝の時間帯。
その空気を楽しみに、ララルアは中庭に足を運んでいた。
「あら、貴方。どうしたの、頭を抱えて」
アインがマグナに滞在中の事だ。
中庭では、シルヴァードが頭を抱えて席に座っていた。
茶でも飲もうかと思っていたララルアは、そうしたシルヴァードの姿を見て小さく微笑む。
「……これが原因だ」
シルヴァードが見せたのは、テーブルに置かれた一つのリプル。
「あら、綺麗なリプルですね。それに……え?それって、本当にリプルなの?」
「間違いない。ただし、王太子が作ったと頭に付くがな」
異様なまでに大きなリプル。
その原因を聞いたララルアがすぐに納得する。
アインが関わっているのなら、こうした大きさも納得できる。
するとララルアは席に座ると、そのリプルを手に取ってみた。
「……いい香り。それに色つやも素晴らしいわ。貴方はもう召し上がったのかしら?」
「まだだ。なにせ、それを作った経緯を聞き、今まで頭を抱えていたのだからな」
「経緯?私にも教えてもらえます?」
「――あぁ、いいだろう」
こうしてシルヴァードが、大きなリプルの話を語りだす。
それはアインがマグナの植樹祭でやってしまったことで、シルヴァードも聞いてて意味が分からなかった。
だが、ララルアとしても不可思議な点だらけだったが、それをアインがやったと聞けば、なんとなく『しょうがないわ』と納得できる自分が居た。
「あらあら。アイン君ったら、あっちでも元気にやってるみたいで良かったわ」
「良くないのだがな……。全く、どうしていつもこういう事を……」
「ベリア?いる?」
ララルアはシルヴァードの小言を無視すると、一人の給仕に声を掛けた。
近くにその女性は居なかったが、ララルアの声を聞き、どこからともなく、その場にやってきたのだ。
「婆やをお呼びですか?」
やってきたのは、老いた身でありながらも、背筋を伸ばし、髪の毛がきちっとまとめられた女性。
給仕服を見事に着こなす、ここホワイトナイトで唯一の給仕長、ベリアだ。
「切り分けてもらえるかしら?」
「これは、これは……立派なリプルですのね。承知致しました、すぐに切り分けましょう」
ベリアはそう口にすると、先にお湯をティーポットに注ぐ。
当たり前のように茶の支度をしてから、大きなリプルを手に取った。
すると、懐から取り出した小さなナイフを使い、そのリプルを器用に切り分けていく。
「ほーら。貴方もいただきましょう?大変だったのはわかったわ。でも、せっかくの贈り物なんだから、まずはいただいてみましょうよ」
「……あぁ、わかった」
シルヴァードは疲れ切った表情をしていたが、すぐに表情を変えた。
なぜなら、切り分けていたリプルから、強烈なフェロモンのように香りが漂ってきたからだ。
美食に慣れていたシルヴァードであっても、その香りには気分を高揚させてしまう。
「む……?なんだ、この香りは」
「えぇ……本当に。こんな香りは初めてですね。ベリア、貴方は覚えがある?」
「婆やもございませんね。少なくとも、こんなリプルは目にしたことがありません」
シルヴァードとララルアの二人は、たまらずそのリプルに齧り付く。
まるで、ジュースを飲んでいると錯覚するほど、果肉から果汁が溢れてくる。
全身に染み渡るような、そんな爽快感に包まれた。
「……ほう」
これはリプルを切っただけの、特別な料理ではない。
強いて言うならば、ベリアが綺麗に切り分けただけだろう。
だというのに、舌が肥えたシルヴァードが唸るほど、この果実は素晴らしい。
続けてララルアが、蕩けたような顔を見せたと思えば、急に静かになる。
「ララルア?どうしたのだ?」
「ねぇ、貴方。マグナには、このリプルを成す大樹があるというのに、王都に……いえ、城にないというのは問題じゃないかしら?」
つまり、ララルアもこのリプルを気に入ったという事だ。
理由を付けて、城にその木を用意しようとする辺り、彼女の中でも強く関心を引いたのだろう。
「……さて、余はそろそろ仕事に――」
「思わないかしら?」
立ち上がったシルヴァードの服を掴み、シルヴァードが席を外さないように動きを止める。
「はぁ……。大樹らしいぞ、場所も決めねばなるまい?」
「ですが、城の敷地は広いですし、それぐらい問題ないでしょう。アイン君のもたらす恵みの象徴として、城にあってもいい気がしますし」
「物は言いようだな。とはいえ、余としても悪い気はしないが……」
食というのは、いつの時代も人々の興味を惹き続ける。
アイン特製のリプルも例に漏れず、その興味を強く惹いた。
「ほんと、建前が無いと頷かないんだもの」
「仕方なかろう。それが王というモノだ」
再度席に腰かけると、シルヴァードが開き直ってそう答える。
「はいはい。とりあえず、場所の選定をしておきましょうか。ベリア、適当に連絡を回しておいてもらえる?」
「承知致しました。先に、ウォーレンにでも知らせて参りますね」
「えぇ、ありがとう」
ベリアはそう答えると、ララルアの下を立ち去っていく。
「とはいえ、同じく育つかは分からぬが」
「試す価値はありますから。成功したら幸運だった、程度の気持ちでいましょうか」
アインの作ったリプルの木が、城でも同じように育つかは分からないのだ。
なにせ、前例がない事態なのだから、誰も確証を持つことは出来ない。
「……こうした騒動ならば、いくらでも歓迎なのだがな」
「貴方、そうはいってますけど、いつも楽しんでるでしょう?アイン君達が来てから賑やかになったって喜んでたじゃありませんか」
ララルアが笑みを浮かべてそう告げると、シルヴァードが照れくさそうに頬を掻く。
「今更照れくさそうにしても遅いでしょ?オリビアがハイムに居た頃に送ってきた手紙。あれを見るたびに一人でニヤけてたんだもの」
「ば……ばかを申すな!そのような事は――」
「ありましたよね?以前、ウォーレンにバラされてましたけど、その時だけじゃなくて、二ヤけてたのは毎回でしたもの」
「……頼むから、二人だけの秘密にしてくれ」
困った様子の夫を見ながら、ララルアはベリアの用意した茶とリプルを味わう。
こうした日々が、王妃ララルアにとっての一番の楽しみだった。
給仕たちや騎士達としても、二人が仲睦まじくしてるのが好ましい限りだ。
「初孫に甘い爺の姿なんて、皆には見せたくありませんか?」
「当たり前だろう!そんな姿を見せれば、余の威厳なんてものは無くなってしまう。示しがつかぬだろうに」
「どうでしょう。もしかすると、その優しさに触れて人気が上がるかもしれませんよ?」
「……勘弁してくれ」
シルヴァードはリプルを口に運び喉を潤す。
ララルアの言葉を想像するのは嫌だが、このリプルの味は素晴らしい。
「――そういえば、会談にはラウンドハートの方も二人くるとか」
「ウォーレンにでも聞いたのか?」
「えぇ、そうです」
「ふむ。だが、これほどの美味を味わいながらする話ではないな」
美味しいリプルを味わっているのだから、シルヴァードは楽しい話を続けたかった。
だが、ララルアはそれを聞いても語るのをやめないどころか、持論を持ち出してシルヴァードに反論した。
「美味を楽しむからこそ、こうした話を口にできるのでしょう?そうでなければ、私の心も汚れしまいますもの」
「……違いない」
「貴方に頼むのは、アイン君とオリビアの事です。何があっても、二人が辛くならないようにしてください」
二人にとってローガス達との再会は、十年ぶりに近い話だ。
精神的に不安定にならないかと、ララルアは心の中で心配していた。
「心得ておる」
「それなら結構です。もう一つありまして――」
ララルアはそう言うと、ティーカップを置いた。
「――会談では、いきなり武力を見せてはなりませんよ?」
「う、うむ。気を付ける……」
「私も腹に据えかねるところはありますけど、示すべき事を示してから、それでも駄目なら武力を行使してください」
ララルアは、自分が居ない場所で、夫が暴走しないようにと釘を刺したのだ。
場合によっては武力を見せることも、ララルアは同意していた。
「まぁ、ウォーレンが色々と考えていると思いますけどね」
「余もそう思う。きっとウォーレンなら、話が良くなるように進めてくれるであろう」
「あらあら。もしかして、貴方よりもウォーレンの方が頼りになるのかしら?」
悪戯っ子のように笑うと、シルヴァードをからかうように声を出す。
それを聞いたシルヴァードは、不貞腐れたように頬杖をついた。
「……ふん」
「もう、冗談ですってば。ほら貴方、今度こそお茶を楽しみましょ?」
その日の晩。リプルの木の植樹予定地が決まる。
場所は中庭の一角で、日影が出来れば嬉しいと話をされていた箇所だった。
そこにアインが植樹を行うのは、会談を終えてイシュタリカに戻ってきてからとなるだろう。
夕方にもう一本閑話を投稿します。
また、明日も閑話の更新となるので、本編は明後日までお待ちください。




