37話 最終話
二十日後。
ヨハンシュとフォーゼは数か月ぶりに王城の謁見室にいた。
いつもなら、階のしたにいて声掛けがあるまで顔を伏せて待つのだが。
今日はいつもと違う。
王の椅子の左側に、フォーゼはヨハンシュと共に座らせられていた。
つまり。
階の上にいるのだ。
「おもてをあげよ」
国王が低い声を発した。
かわりに階の下にいるのは、ダントンとナナリーだった。
震えるようにふたりは顔を起こすと、こらえきれずに話し始めた。
「違うのです、父上! 説明させてください!」
「お父様! 私はただダントンの言うままに従っただけで! 何も悪くないのです!」
「は⁉ うれしそうに乗ってきたのは誰だよ!」
「うるさいわね、ダントン! あんたが悪いんじゃない!」
互いにつかみあって罵りあいを始め、たまらずに侍従と武官が押さえつけて引き離す。
「余の命に背いたというのは本当か」
落ち着いたのを見計らい、国王が尋ねる。
「背いてません! 勝手にあの女が俺から指揮棒を奪って兵を動かしたのです! 背いたというのなら、あの女です!」
ダントンがフォーゼを指さし、唾を飛ばして糾弾した。
「お、俺は俺なりの作戦があって……! それで軍を止めていたのです! それなのにあの女が!」
「陛下、発言をお許しいただきたいのですが」
フォーゼの隣に座っていたヨハンシュが静かに立ち上がり、国王の足元で片膝ついて頭を下げる。
「許す」
「ありがとうございます」
ヨハンシュは立ち上がり、ダントンを睥睨した。
「各騎士団団長から話を聞きましたが、口をそろえて『王子が勝手に足止めをした』と言っていました。我が妻であり、王女フォーゼが代わりに軍を率いて入領せねば、こちらの策が滅び、危ういところだったのです」
「いえ。私の力など微力で……。騎士団長たちの判断と。それから義姉であるリリィ様のご尽力のたまものです」
そう。
あのあとフォーゼは指揮棒を持って馬に乗り、騎士団を率いて戦場へと駆けて行ったのだ。
予期せぬ大軍に大牙の灰色狼たちはいっせいに逃げ出した。
そもそもが烏合の衆だ。
散り散りになって本国へと戻っていった。
その彼らに追い打ちをかけたのが、リリィだ。
実父であるアマルス王国に手紙を送った。
『これ以上そいつらを野放しにし、娘の嫁ぎ先に迷惑をかけるようならこちらにも考えがあります、お父様』
『正式にモーリウス国王陛下に働きかけて戦いますけど、どう?』
『飢饉から立ち上がりつつあるらしいけど、正面切って戦える国力はあるのかしら。楽しみだわ』
『ねえ、私が欲しいモノ。お父様ならお分かりになるわね?』
そういった手紙を立て続けに送った。
送っただけではなく、最後は大ぶりの剣を添えた。
『これで、私の欲しいものをお願い』と。
結果。
大牙の灰色狼の首領の首と。
リリィが贈った剣が血まみれになって戻ってきた。
今日、戦勝報告を兼ね、その首と剣を持参してヨハンシュとフォーゼは来ていたのだ。
「余は優秀な兵と、賢明な娘。それから勇敢な娘婿を持ったものだ。リリィ王女にも改めて礼を伝えてくれ」
国王が言う。
ヨハンシュは一度深く礼をし、そのままの姿勢で告げた。
「陛下もどうぞ、ご英断を」
そう言って椅子に座る。
ふう、と。
国王が深い息を吐いた。
びくりと肩を震わせたのは、階下のダントンとナナリーだ。
両膝をつき、こぶしを握り締めた姿は、断頭台の前にいる罪人のようだった。
「余は言ったな? 誰よりも、この国の王子と王女たれ。それを忘れるな、と」
ダントンとナナリーは視線を下げたまま、ただただ震えている。
「ナナリーは当初の予定通り、公爵のもとに嫁ぎなさい。すぐに」
「お、お父様……!」
「公爵が亡くなっても戻ってくることは許さぬ。一生、公爵に仕え、亡くなった後は生涯喪に服しなさい」
「お父様!」
「ダントンは王子位をはく奪。空位の公爵位を継ぎ、王城から出るように」
「父上! ですが……俺はたったひとりの王子なのですよ!」
泣き崩れるナナリーの隣で、ダントンが立ち上がる。薄ら笑いをうかべ、「嫡男です」と訴える。
「嫡男?」
国王はあきれたような顔をしたあと、控えている侍従に合図を送る。
扉が開かれ、侍女に付き添われたひとりの貴婦人が入ってきた。
どうやら妊婦のようで、おなかが大きい。
彼女は階の下で、丁寧にフォーゼとヨハンシュに挨拶をした。
「明日公表するが、第三妃だ。腹の子は来月生まれる」
「そ、それはおめでとうございます」
あまりのことにあっけにとられているフォーゼと違い、ヨハンシュはすぐに言祝ぎを告げる。謁見室にいる侍従や武官たちもそろって国王に対して深く一礼をした。
「し、知りませんでした。おめでとうございます」
フォーゼも慌ててヨハンシュに倣うと、国王は苦く笑った。
「あまり公にすると生まれる前に消される可能性があったのでな。……腹が違うときょうだい同士でも仲はよくないらしいのは、お前たちをみて十分わかっていたし」
フォーゼは何とも言えずに口を閉じる。
「生まれるのが男か女かはわからんが、あのふたりよりはマシであることを願うしかない」
国王はため息交じりに言うと、侍従たちに視線を送った。
「話は以上だ。階下のふたりを下がらせろ」
「お父様!」
「父上!」
悲痛な声を上げるふたりを、武官たちが抱えるようにして謁見室から出したのだが、声は上げ続けている。そのせいで、彼らの声が完全に聞こえなくなるにはかなりの時間を要し、その間に「胎教に悪いから」と第三妃も退席した。
「このたびはいろいろと迷惑をかけたな」
やれやれとばかりに国王が椅子に深く腰をかけて言う。
「盛大な晩餐会を準備している。ぜひ一か月ほどゆっくりしていってくれ。せめてものことだ」
だがフォーゼとヨハンシュは顔を見合わせ、そろって首を横に振った。
「いいえ、お構いなく。陛下」
「妻と共にこのあとすぐ。その……墓参りだけして、侯爵領に戻る予定ですから」
国王はさすがに目を丸くする。
「すぐ? このあとか?」
はい、とふたりはそろって返事をした。
「結婚後、バタバタしていて……。まだふたりでゆっくり過ごしていないのです」
ヨハンシュが照れたように笑う。
「早く侯爵領に妻を連れ帰り、新婚らしいことをしないと。愛想をつかされそうです」
「そんなことありません、ヨハンシュ卿! わ、私の方こそ早く願いをかなえないと……新婚早々飽きられそうで……!」
真っ赤になるフォーゼを見て、国王はなにやら察したらしい。国王どころか侍従や武官たちも察したらしい。
「それはそれは」「まあまあ」「おやおや」
そんな雰囲気にフォーゼの顔はどんどん赤くなり、頭からは湯気を吹き上げそうな気配になってきた。
「ね、熱を出さないでくださいよ、王女!」
「わ、わかってます! こ、今夜こそ! 今夜こそ!」
ふたりで頷きあっていると。
ぷ、と。
噴き出すような笑い声に、はたと視線を向ける。
国王だ。
「そうか。まだふたりでゆっくりしたことがないのか。それではどうだ? 王都のコテージを用意するから。しばらくそこで楽しんでは?」
「いえ、あの。大丈夫です」
ヨハンシュがつつましく、だがきっぱりと言った。
「そういうことは、侯爵家の名がつくところで行います。なにしろ、王女はもうずっと。これから一生、侯爵家の人間であり、俺の妻なのですから」
あまりにはっきりと拒否したものだから、気分を害するのではないかとフォーゼはハラハラしたが。
国王は慈愛に満ちた目でヨハンシュとフォーゼを見つめた。
そして、満足そうにうなずく。
「それがよかろう。幸せにな」
フォーゼはヨハンシュと見つめあい、同時に「はい」と返事をした。
こののち。
リゼルナ侯爵領は幾度か戦乱と策略による危機を迎えることとなる。
だが、そのたびにジゼルシュの賢明さ、ヨハンシュの勇敢さ。それからリリィの豪胆さとフォーゼの包容力によって乗り越えていく。
領民だけではなく国民たちも、仲の良い兄弟を見ると「ジゼルシュとヨハンシュのようだ」と言い、リリィとフォーゼは後世、信仰の対象になる。
リリィはその右手に剣を持ち、女性を守る守護聖女として。
フォーゼは右手に針、左手に糸を持ち、子ども守る守護聖女として。
彼ら、彼女らはずっと語り継がれる偉業を成し遂げていくのだが。
それはまだ、もう少しあとのお話。
そんな彼らが出会って。
恋に落ちた話は、ここで一度、幕を下ろす。
了




