35話【フォーゼ】駐屯地1
大牙の灰色狼との交戦から一週間後。
フォーゼはモンテリス領主と共に、モーリウス国軍駐屯所内にいた。
「二度目のごあいさつがこのようなことになって……」
隣を歩くモンテリス領主に、フォーゼはつい小さくなって声をかける。
「なんの。妻に尻を蹴られて『早く行きなさい』とせっつかれておったところですから。ちょうど声をかけていただいてよかった」
はは、と笑う老領主は完全に武装していた。
彼だけではない。
国軍駐屯地だけあって、行き交う人はみな男性ばかり。甲冑をつけ、軍馬のいななきが聞こえるところをフォーゼとモンテリス領主は歩いていた。
フォーゼも動きやすいワンピースの上から皮鎧とマントは着用している。
髪だってひとつに束ねてお団子にしていた。装飾類といったものは一切つけず、簡素に勤めたのだが、それでも「女がいる」ということで人目を引いているようだ。
時折「フォーゼ王女?」というささやきも聞こえてきた。
いつもなら。
いや、結婚する前なら。
そんなささやきや視線に小さくなっていた。
自分に視線が集まるのは、悪意と敵意のためだと感じ、身を隠すことばかりを考えていたし、そんな状態になったのは「罰だ」と思って耐えていただろう。
「みな、王女のお姿に驚いておられるのですよ」
モンテリス領主が耳打ちしてくれる。フォーゼはうなずいた。
「私はずっと隠れるようにしていましたから……。まさか来るとは思わなかったのでしょう」
「それもありますが、王女の変貌ぶりに驚いているのです」
「変貌?」
「ご自覚はないのですか? この前あったときからさらに変わられたようですが」
「私が……ですか?」
「ええ」
モンテリス領主は満足そうに笑った。
「とてもお美しくなられた」
「そ……そんなことは」
フォーゼは恐縮して首を横に振る。
のぼせそうになる頭を首を振って冷ますと、浮かんでくるのは国軍を率いて来たダントンへの怒りだ。
(……いったい、どういうつもりなの)
というのも。
彼は侯爵領と隣接するシュバラク領から国軍を動かさないのだ。
援軍に来たはずなのに、越領をせず、高みの見物とばかりに軍を止めてしまった。
侯爵屋敷の作戦本部からは『どういうことか』『なにか作戦があってのことか』と連絡を飛ばしているが、それに対しても返事をしてこない。
前線は開戦直後の混乱からは持ち直し、なんとか囲い込みを行っている最中だ。
包囲網を強化したいので、すぐにでも国軍を進軍させてくれと矢のような催促をしているのに、なしのつぶて。
『このままでは包囲網が破れる。わたしが直接、指揮官であるダントン王子に会って来る』
しびれを切らしたジゼルシュがそう言うのを、フォーゼは止めた。
『私が参ります』
指揮官がダントンであると聞いたときからいやな予感はしていたが。
的中した。十中八九、きっとこれも嫌がらせの一環なのだ。
『ですが王女……』
『いいえ、ジゼ。指揮官がここを動くことはなりません。王女にお願いいたしましょう』
リリィの後押しと、『ならば付き添いにモンテリス領主を』というジゼルシュの配慮を受け、フォーゼはいま、駐屯所に来ていた。
「こちらです」
先導の兵士が大きな天幕の前で足を止めた。
フォーゼは見上げる。
ふたつの天幕が連なっているようだ。
衛兵が槍をおろし、布製の扉を開けてくれた。
「参りましょう」
モンテリス領主がかすかに頭を下げる。
フォーゼは決然と顎を上げ、一歩踏み出した。
その後ろをモンテリス領主が付き従う。
最初の天幕内には、ずらりと各騎士団の団旗が並んでいた。
テーブルには地図と駒。天幕には作戦図らしいものがあったが、肝心の騎士団長たちはどこにもいなかった。
「こちらへ」
さらに奥へと続く幕扉の前にいる衛兵が声をかけてくれる。
フォーゼが進むと、衛兵が声を張った。
「フォーゼ王女、ならびにモンテリス領主!」
訪いを受け、フォーゼは入る。
直後。
様々な視線が飛んできた。
一番奥で椅子に座っているのは、ダントンとナナリー。
その前にはじゅうたんが引かれ、その左右に十人ばかりの騎士団長たちが立ったまま控えていた。
彼らが。
一斉にフォーゼを見ている。
(ひるむもんですか)
フォーゼは奥歯をかみしめた。
いままでは違った。
いままでなら、「これも罰だ」とうつむいてきた。
自分のせいでたくさんの人が犠牲になった。
『毒婦だ』。そう指さされ、罵られても仕方ないと思ってきた。
だがいまは立場が違う。
自分は侯爵領を代表してやってきた。
(ヨハンシュ卿なら)
こんなとき、へりくだったりはしない。
胸を張り、天幕内を見回した。
小ばかにしたようなナナリーの視線をはじき返し、冷笑を浮かべるダントンをにらみつける。
「あれが……フォーゼ王女か」
「まるで別人のようだ……」
ひそ、と。
騎士団長たちの声が聞こえた。
そちらに顔を向けた。視線を合わせると騎士団長たちは口をつぐむ。
しんとした天幕内を、フォーゼは無言のまま、一歩進んだ。
「並みいる諸侯のみなさまがた」
モンテリス領主の低い声。
フォーゼは足を止め、わずかに振り返る。
彼は鋭い視線で左右に控える騎士団長をにらみつけていた。
「ここにいらっしゃるのは国王陛下の第一王女フォーゼ殿下であらせられるぞ」
刺すような眼光のまま、言い放つ。
「戦意どころか礼儀もお忘れのようだ」
「……失礼つかまつりました」
末席の騎士団長が頭を下げるのを端緒に、一斉に騎士団長たちがフォーゼに頭を下げる。
フォーゼはその中をダントンとナナリーの前まで進んだ。
「礼は?」
ダントンが足を組んだぞんざいな姿勢のまま、フォーゼに言う。
「私は長女です。礼を、というのならまず弟のあなたからなさい」
言い放つと、ダントンは驚いたように目を丸くする。
逆に隣にいたナナリーは金切り声を上げて立ち上がった。
「辺境に行ってなんだか随分気が大きくなったのね! 生意気な!」
「私はいま、ダントンと話をしています。邪魔をするのなら退席を」
言い返すと、ナナリーは唇を震わせて黙り込む。
どうやら怒りが頂点に達して声も出ないらしい。
「リゼルナ侯爵ジゼルシュ様のところには、陛下から『援軍をつかわす』という返事が来ています。なぜ軍を進めないのですか」
フォーゼが切り出すと、ダントンは挑発的な笑みを浮かべた。
「それについて話がしたくてな。おい、ちょっと席を外してくれ」
ダントンは足を組んだままの姿勢で、手をひらひらさせた。
困惑したのはフォーゼだけではない。騎士団長たちもだ。
「席を……ですか」
最年長らしい騎士団長が声を上げた。
「ですが作戦に関わることは」
「うるさい、出ていけ」
騎士団長たちは顔を見合わせたが、無言のまま一礼をして天幕を出て行く。
どうやら隣の天幕で待機するつもりのようだ。
「そのじじぃもだ」
指揮棒でモンテリス領主を示すが、彼は動くつもりはないらしい。
「出ていけ!」
怒鳴るが無言のまま立っている。
ダントンがいきり立って指揮棒を投げつけた。がん、と彼の鎧にあたったが、モンテリス領主は表情も変えずに微動だにしない。
「話とはなんです、ダントン。早く言いなさい」
フォーゼが切り出すと、ダントンはまだモンテリスに対して不満があるようだが、なにより自分に命令されたことが気に障ったようだ。
「でかい口たたくようになりやがって」
舌打ちすると、ひじ掛けを指でかつかつと叩き始めた。
「離婚して王都に戻ってこい」
「……は?」
フォーゼは眉根を寄せる。




