28話 幕間
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ナナリーはしばらくぽかん、と父である国王と、母である第二妃を見た。
場所は謁見室ではなく、王城内の私的スペース。
数日前まではまだ温かかったのに、今朝は急に冷え込んだ。だからなのか、暖炉には火がいれられ、その前には愛玩犬が二匹。丸まって寝そべっていた。
さっきまで、国王はその二匹を眺めて「狩猟犬とは思えんな」と苦笑いし、第二妃は侍女と今年の茶葉の出来について話していた。
そして、突然言い出したのだ。
『お前の結婚相手なんだがな』と。
その相手を聞き、ナナリーは動けない。
黙ったまま、じっと両親を見つめた。
国王の目は慈愛に満ちているし、第二妃の顔は満足そうだ。
「アニエス公爵であれば、王女が降嫁しても家柄的に問題はないし、なにより莫大な領地と財がある。何不自由なく生活できることだろう」
国王が言う。隣に座る第二妃も数度うなずいた。
「最初は財務大臣の息子がよろしいかとも考えましたが……。やはり家格、財力的に見てナナリーには不釣り合いですわ。陛下がよいご判断をしてくださり、私も嬉しいです」
「ちょっと待って!」
悲鳴に似た大声をナナリーは上げて椅子から立ち上がった。
詩集が膝から落ち、犬たちがびくんと顔を起こす。
「アニエス公爵って……!」
「確かかなり高齢じゃなかったか?」
いぶかしげな声に視線を向けると、りんごを一口かじったダントンが首をかしげている。
「今年70になるそうだ」
国王の声はおだやかだ。その隣で第二妃がふふ、と口元をほころばせた。
「ご子息がたは早逝されていてね。ご息女たちはすべて他家に嫁いでおられるし。ここ十年近くは愛妾もいないようですから。問題はありませんよ」
「あまり顔をお見かけしませんよね。会議にも出てこられませんでしたが……。嫁とりとはお元気なのですね」
ダントンがしゃくしゃくとリンゴを咀嚼する。国王は椅子の背に上半身を預けた。
「いや、だいぶん悪いらしい。もってあと一年というところだろう。だから早々に嫁に行かんと」
「そうですわ。婚約なんてのんびりしていたら、ほかの誰かに公爵の称号も財産も持っていかれてしまいます。すぐに結婚式を挙げて……」
「待ってよ! いやよ!!!」
ナナリーが絶叫する。
しん、と。
静まった居室のなかで、しばらくナナリーの荒い息と暖炉の薪が爆ぜる音だけが続いた。
「いや、とは?」
国王がひじ掛けに両肘をついて指を組み合わせる。
「そんなおじいちゃん、嫌! 死にかけだなんて!」
「何を言うの、ナナリー。死にかけだからいいんじゃない。長生きしてもらったら、財産が手に入らないわ」
第二妃が「ねぇ」とばかりに国王に視線を送る。国王はうなずいた。
「公爵が死ねば、公爵夫人の称号を持ってまた王城に戻って来るといい。次の嫁ぎ先をみつけようじゃないか。そうだな、今度は国外の王族でもいいかもしれん」
「まあ! それは素敵ですね!」
ナナリーは両親を信じられない思いで見ていた。
なぜ、という疑問は次第に膨らみ、そしてはじける。
「そんなのはお姉さまの仕事じゃない!」
そうだ。
婚約と婚約破棄を繰り返し、その家を破滅させて財産を王家に持ち帰る。
それは「モーリウスの毒婦」と呼ばれる姉の仕事ではないのか。
どうして自分が……!
「姉? フォーゼのことか?」
国王は、ふ、と息を吐いた。
「あれは本当によく役に立ってくれた。だがもう潮時だろう」
「潮時? どういうことです」
なぜかダントンが焦ったように会話に口を挟んできた。
「今度も離婚させるのでしょう? リゼルナ侯爵領から王都へ戻すのでしょう?」
リンゴを放り出し、国王と第二王妃に近づく。
「年齢が上がりすぎた。リゼルナ侯爵の次男と離婚させたとしても、二十代半ばになるだろう。へたすれば結婚期間に子ができるかもしれん。そうなると価値が下がる」
「離婚させない気ですか!」
むきになる弟を、ナナリーは冷ややかに見つめた。
この弟が異母姉に歪んだ愛情を抱いているのを知っている。
無抵抗でしかいられない義姉を蹴ったり殴ったりしているところを何度か見たことがある。そのときの恍惚とした顔が絶妙に気持ち悪かった。
長ずるにつれて暴力行為はおさまったが、相変わらず寒気のする目で義姉を見ていた。
そのうち強姦でもするのではないか、と思っていたが、そのたびにいいタイミングで国王が婚約させたりしていたところを見ると、国王もなんとなくそのあたりは気づいていたのかもしれない。
「戻ってきても無用の長物でしょう?」
なだめるように第二妃が言うのを見て、「いや、第二妃も気づいていたのか」とナナリーは確信した。
「離婚となると相当な理由が必要だ。教会を敵に回したくない」
国王が言う。ダントンが「ですが」と遮った。
「王女の称号を持参して降嫁したのでしょう⁉ なんのために!」
「リゼルナ侯爵の妻は、隣国の王女だ。あちらも王女の称号を持って嫁いできている。幅を利かせられても困るからな。ちょうどよかった」
「だったら!」
ナナリーがダントンの隣に並び、こぶしを握った。
「お姉さまと交代するわ! 私がリゼルナ侯爵領の……ヨハンシュさまと結婚する!」
「ナナリー!」
第二妃が困惑した声を上げたが、ナナリーの耳には入らない。
(そうよ、そうすればいいんじゃない! なんで私がじいさんと結婚しなくちゃいけないの! そんなのはお姉さまの仕事じゃない!)
思い出すのは、王城のバルコニーで見た凱旋式の様子だ。
黒馬に乗り、颯爽と街路を駆けるヨハンシュの姿。
侍女や貴族令嬢たちが黄色い声を上げていた。
王城で自分に花束を差し出したあの様子。
彼だって、義姉より自分の方に気が合ったはずだ。
「お姉さまより断然、私の方がうまくやるわ! ね、お父さま、そうでしょう⁉」
熱のこもる視線を父親に向ける。
「そうだな」
国王はおだやかに微笑んだ。
「うまくやれるだろうな」
「でしょう⁉」
「だから、アニエス公爵のところへ嫁ぎなさい」
ナナリーは、ぐっと息をのむ。
国王の表情は変わらない。穏やかで慈愛に満ちていた。
「フォーゼはだめだ。あの子は情が深すぎる。年が上がりすぎたこともあるが……。なにより、結婚してしまったらもう使えない。その家に染まるだろうから。だが、お前は違うだろう?」
国王は満足そうにナナリーを見つめた。
「お前は結婚しても変わらない。だから、アニエス公爵が死んだらもう一度王家に戻っておいで。そして国のために、今度は国外の王族へと嫁ぐのだ」
そう言って国王は立ち上がった。
「王家に生まれたのだから、国のために尽くすのは当然だ。フォーゼは幼いころから実によくやってくれた。次はお前の番だ。そうだろう?」
立ち上がった国王に侍従が進み出る。なにごとか耳打ちすると、そのまま扉へと向かって歩き出した。犬たちも立ち上がり、ついて行こうと足元に駆け寄って来る。
「父上」
その足を止めたのは、ダントンだ。
「もし、離婚の原因になりうるものができれば、義姉上はもう一度王家に戻ることになりましょうか」
真剣な。
同時に狂気じみた色を混ぜた瞳でダントンが問う。
しばらく。
王と王子は無言で見つめあった。
「そうだな、そういう理由があれば。だがな、ダントン。それからナナリー」
国王はふたりの子どもを交互に見比べた。
「誰よりも、この国の王子と王女たれ。それを忘れるな」
そう言って、侍従を連れて退室した。
「なあ、姉上」
ダントンが声をかける。ナナリーは返事もせずに、ただとげとげしい視線を弟に向けた。
「おれにいい考えがある。乗るか?」
「は? あんたのいい考え?」
ろくなもんじゃなさそうだ、とナナリーは鼻で嗤う。だが、ダントンは冴えた視線をこちらに向けたままだ。
「なによ」
「別に。おれは姉上が乗ってこようがどっちでもいい。おれはおれで計画を進めるから」
「ダントン、ナナリー」
間に割って入ったのは第二妃だ。
「さっき陛下もおっしゃったでしょう。余計なことなど考えず、為すべきことをなすのです」
ぎりとにらみつけてくるが、ダントンもナナリーも小ばかにしたように実母を見た。
王という配偶者がいなければただの口うるさい女。
「いいわ」
ナナリーはダントンを一瞥した。
「あとで詳しく話をしてちょうだい」
どうせこの母の前で詳細を語らせるわけにはいかない。
ダントンも無言でうなずく。
互いに望むものは別だが、『このままで終わらせない』という思いは共通のようだ。




