27話【フォーゼ】祖父母
侯爵領に到着して五日後のこと。
フォーゼは侯爵家の応接室の前にいた。
「大丈夫ですか?」
無意識に深呼吸していたことに気づかれたらしい。
ヨハンシュが顔を覗き込んできた。
「大丈夫です」
そう言って笑ったが、その頬にまた手を添えられた。
「あなたは大丈夫じゃないときに大丈夫というから。先日も熱を出したところなんですからね」
子どもを叱るような顔で注意される。
そのことを指摘されればしょぼんとせざるを得ない。
なにしろ、郷士会の晩、また熱を出したのだから。
郷士会自体は盛会に終了し、フォーゼの評判もまずまずだった。
とくに女性たちからはおおむね歓迎され、刺繍についての情報交換会も日程が決まった。
ほっとしたのがいけなかったのかもしれない。
義兄夫婦と一緒に夕飯をとっている最中にふらついて椅子から転倒。慌ててヨハンシュが抱き起し、額に手を当てて熱があることが発覚。
そこから寝室に放り込まれ、リリィとヨハンシュ、ジゼルシュまでが入って交代制で看病されたのだ。
おかげさまで熱は一日でひいたものの、義兄夫婦もヨハンシュも、予定されていた祖父母にあたるモンテリス領領主との面会は日延べすることをフォーゼに勧めた。
特にリリィなどは、ヨハンシュの過保護をあれだけ笑っていたのに、手のひらを返したようにフォーゼを案じるから困ってしまう。
『大丈夫です。私も祖父母にあたる方に会ってみたいですし』
そう言うと、不承不承認められた。
「少しでも疲れが見えたら、そこで終了です。いいですね?」
ヨハンシュが念を押す。
苦笑いしながらうなずきつつも。
彼がここまで言うのは、「祖父母がどんな人かわからない」というのもあるのだろう。
フォーゼにとっての親族というのは、敵と同義語だった。
悪印象はあっても、良い思い出やイメージはない。
母の両親。
それがどんな人なのか。
義兄であるジゼルシュに「面会を求めてきていますが、会ってみますか?」と言われたから会うだけだ。
(きっと侯爵領にとって有利に働くのかもしれないし)
なにしろ自分は曲がりなりにも王女だ。その身分を保持したまま嫁いでいる。
向こうが自分を利用しようとする可能性もあるが、逆に侯爵側だってフォーゼを切り札にできるのだから。
「では」
ヨハンシュが肘を差し出してきた。
フォーゼがぎこちなくその肘をとる。
執事がノックをして入室を告げた。
扉が開き、ヨハンシュにエスコートされて応接室に入る。
さっと。
ソファに座っていたふたりが立ち上がるのが見えた。
(このふたりが……祖父母)
年は60代といったところだろうか。
男性の方は顎髭があり、細身で長身だ。髪もひげも真っ白で、そのせいか近寄りがたい印象があった。
対して女性の方は小さく、丸い。頭の上で結わえた髪も丸く、全体的に綿花のようだった。
目が合うと、ふたりは膝を折る。
王城にいるときは誰もこんなことをしないのに、とフォーゼはまだこの環境に慣れない。
「フォーゼ王女」
ヨハンシュにそっと耳打ちされ、我に返る。そうだ、挨拶をしないとこのふたりはいつまでもこの姿勢で待機だ。
「こんにちは、モンテリス領主ご夫妻」
「お会いできて光栄です、王女」
「この日を楽しみにしてまいりました、王女」
ふたりは言って顔を上げるのだが。
フォーゼだけではなく、ヨハンシュもぎょっとした。
というのも。
夫人がボロボロと泣き出したからだ。
「これ、失礼だろう」
領主も狼狽しながら、ポケットからハンカチを取り出して差し出す。それを受け取りながらも、夫人は嗚咽を漏らした。
「だってあなた……。王女をご覧になった? あの子に瓜二つじゃありませんか」
領主の視線が自分に向けられる。反射的に背をこわばらせたフォーゼだったが。
領主の目もみるみるうちに赤みを帯び、それを我慢するようにぎゅっと唇を引き絞る。
しばらくそうやってこらえていたが、落ち着いたのか、息を吐くように話し出した。
「妻が失礼を。その……。王女の母君であるわたしどもの娘にそっくりで……」
「あの子が陛下の目に留まり、第一妃として迎えられたのは18の頃ですから。いまの王女と同じ年ぐらいでしょうか?」
夫人が領主を制するように話し始める。
「そう……です、か」
いま自分は20歳なのだが、いつも年より幼く見られてしまう。
(お母様が私を産んだのが20歳のころで……)
もともと産褥熱が長かったと聞く。
数年後に身まかったのも、そのせいだろう。ということは、自分は生まれたときから誰かを犠牲にしたのだ。
そう思うと次第に顔がまたうつむいていく。
「王女とご縁を結ぶこととなりました、リゼルナ侯爵家の次男ヨハンシュです。どうぞお見知りおきを」
やわらかな声に、知らずに顔を上げた。
自分の隣に立つヨハンシュが領主夫妻に挨拶をし、そしてこちらにも視線を向けてくれる。
目が合うだけで。
じわり、と彼の熱が伝わってくる。
ひとりじゃない。
そう思えるのがこんなに心づよいとは思いもしなった。
「こちらこそ、このたびはこのような機会を与えてくださって」
「夫と、首を長くしてこの日を楽しみにしていたのです」
ようやく涙が止まったらしい夫人が、一転にこにこしながら言う。生来、陽的な性格なのだろう。
「立ち話もなんですし、実は王女は病み上がりなので。ソファに座りませんか?」
ヨハンシュが提案すると、夫妻は大層驚いた。
「それはそれは!」
「まあ大変! お熱はもういいの? はちみつは? ああ、こんなことなら領地からハーブティーを持って来るのだったわ!」
「よさないか、お前は」
「だってうちの娘はいつもあれで治っていたじゃありませんか」
「それよりほら、座らないと……」
「そうだわ! 王女が座れないわ!」
ヨハンシュもフォーゼもあっけにとられてふたりの会話を見守ったものの。
ぽんぽんと会話をやり取りし、最終的に落ち着くところに落ち着く。
知らずに、ふふ、とフォーゼは笑っていた。
「あら、ほらあなた。あなたがバタバタするから、王女が笑っておられるわ」
「お前を笑ったのだよ」
そんなことをまだ言い合っている。
(……悪い人……たちではないのかもしれない)
ヨハンシュも笑い出している様子を眺め、フォーゼはそんなことを思った。
少なくとも、孫が王女という立場を悪用しようとする人には見えない。
ヨハンシュが目くばせをし、四人がソファに座ると、待機していた執事とメイドがお茶をサーブしていった。
「娘が亡くなったあとは、謁見を申し出てもなかなかフォーゼ王女に会うことができず……。このたび、侯爵領に嫁いでこられたと聞いて」
「会いに行けるかもしれないと、夫とリゼルナ侯爵に謁見申請をお出ししたのです。こうやって会えるのが夢のようですわ」
夫人はまた目元を潤ませてフォーゼを見つめたが、ふと壁際にいる侍女に合図をした。
近寄ってきた侍女が持っているのは、小ぶりの箱だ。
「娘が好きだった菓子や領の特産品を持参いたしましたの。王女は甘いものはお好きかしら」
おずおずとうなずくと、ヨハンシュがくすりと笑う。
「甘いものには目がありません。ぎゅんっと瞳孔がこう……」
「ヨハンシュ卿! そのようなことはおっしゃらないで!」
真っ赤になって訴えると、ヨハンシュがからかうようにまた笑うから頬が熱くなる。
もう、となじろうとしたら。
視線を感じた。
領主だ。
「いや、すみません。結婚が突然決まったものですから、夫婦仲を案じていたのです」
目を見返した途端、領主がそう言った。
「ですが、なあ、お前」
「ええ。とても仲がよさそうで」
にこにこと夫人が相槌を打つ。
「先日郷士会を行ったのですが、王女は郷士たちやその妻にも人気で。優秀なのですから当然ですが」
ヨハンシュがそう言い、「ほう」と領主夫妻が目を丸くするからフォーゼは慌てた。
「ち、違います! みなさま、気を遣ってくださってて……! 私なんて、本当にまだまだで! リゼルナ侯爵夫人のリリィ様なんて、お美しい上に賢くあられ、かつ大胆なんです! あのような方に早くなりたいのですが……」
しょぼんとまた肩が下がる。途端に、領主夫妻とヨハンシュが声をかけた。
「なにごとも小さな一歩の積み重ねです」
「そうですよ。それにあなたはまだ小さいのですから」
「義姉はそれほどの人ではありません」
口々に慰められ、最終的には三人から、「ほら、お菓子はどうですか」と勧められる始末。
いったい、自分は彼らにどういう風に見られているのだろうと思いつつ、クッキーを一枚手に取った。
ほっとしたのか、夫人はさっき侍女から受け取った箱を開け、菓子を勝手に並べだしたので「やめないか」と領主にたしなめられた。
「いえあの。とっても美味しそうです。いただいていいですか?」
フォーゼが間に入ってそういうと、勝ち誇ったかのように夫人が顎を上げる。
そして満面の笑みでフォーゼに菓子を紹介してくれた。
領主はそれを苦み走った顔でにらみつけていたが、不意にぽつりと漏らす。
「その……。このたびの結婚の件で、本当に我々は安堵しているのです」
「安堵?」
ヨハンシュが繰り返す。領主は深く頷いた。
「王女は何度も婚約を繰り返し、そのたびにその……傷ついていたでしょうに。誰にも気遣われることなく放置されて」
「何度も我が領に引き取りたいと陛下に申し出ましたのよ? ですが」
夫人が重いため息をついた。
フォーゼには初耳だ。
というより。
自分を気にかけてくれている親族がいる、と今日知った。
「ですが、このように仲がよさそうで……。しかも、まあ、痩せてはいるがお元気なお姿を見て安心いたしました」
「本当に、本当に」
夫妻は手を取り合って何度もうなずきあった。
「あの、厚かましいとは思いますが、こうやって何度か王女に会いに来てもよろしいですか?」
夫人がそっとうかがう。ヨハンシュはフォーゼを見て、首を小さく右に傾ける。
「あなたがいいのなら。どうですか?」
「ヨハンシュ卿がよろしいのなら……。その、私もときどきおばあ様やおじい様にお会いしたいです」
まあ、と夫人が声を上げる。
「おばあさまですって! 初めて呼んでもらえたわ!」
言うなりソファから立ち上がり、領主が止めるのも聞かずにフォーゼに抱き着いた。
驚きはしたものの。
ふわふわとした感触や、砂糖のように甘い香り。それから抱きしめられたぬくもりに、「ああ、おばあ様というのはこういうものなのかも」と思った。
無条件で愛を注がれるとは、こういうことなのか、と。
「まったく妻が申し訳ない」
「まあ、あなたったら。本当はうらやましいくせに」
「さっさと離れなさい。不敬だぞ」
「はいはい」
夫人はそれでも名残惜しそうに、最後にぎゅっと強く抱きしめてから、いそいそと夫の隣に戻った。
「これはまた、リゼルナ侯爵にもお伝えしようと思うのだが」
改まった領主の声に、ヨハンシュもフォーゼも姿勢を改める。
何を言い出すのだろう。
そんな緊張感があったが、それは杞憂だった。
領主は目をやわらげてヨハンシュとフォーゼを見る。
「侯爵領と我が領は隣領。いままではそれほど交流をもたなかったが……。今後、さまざまな交流事業や条約締結を行い、友好関係を築こうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします」
フォーゼとヨハンシュは顔を見合わせ、それからそろって頭を下げた。
「こちらこそ、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
と。




