25話【ヨハンシュ】悪夢
その晩、ヨハンシュは困っていた。
義姉に解放され、兄から『新居ができるまで別館を使ってくれ』と言われ。
寝支度をするというメイドたちにフォーゼは連れて行かれた。
その間、ヨハンシュは騎士団団長たちと軽く打ち合わせをし、自分も風呂に入った。
執事から『相変わらず烏の行水ですね』と呆れられながらも、寝室でフォーゼを待つ。
待つが。
待てど暮らせど来ない。
(女性は長いというが……)
それでも王都からここに来るまでも何度もフォーゼは入浴していたはずだが、こんなに長かった覚えがない。
(まあ、ひょっとしたらメイドたちと話に花を咲かせているのかもしれないし)
王城では同い年の同性が少なそうだった。楽しんでいるのであればそれでいい。
そう思って本を読んで待っていた。
そしてメイドたちに連れられて入室したフォーゼを見て、ヨハンシュは困っていた。
(……可愛いん……だが)
湯上りのフォーゼをいままで何度も見てきたが。
薄手の絹を使った寝間着を着用し、昼間とは違って髪をおろしたままの彼女は、いつも以上に無防備で。
入浴して温度が上がったのか、ほのかに上気した顔がまた色っぽい。
「ゆっくりできましたか?」
気を紛らわせようとして、どうでもいいことを尋ねる。
フォーゼは返事をし、メイドたちにぎこちなく挨拶をしている様子を見て、「あれ?」と思った。仲良くやっていたわけではないのだろうか。なにかメイドが粗相でもしたか。
そう思って、メイドたちが退席したあとに尋ねると、急に赤くなったり青くなったり。
(もしや長湯で血圧が⁉)
慌ててベッドに腰かけさせ、水を飲ませるとようやく落ち着いたようだ。
やはり湯上りで体調が不安定になっていたのだろう。これからはもっと注意しよう。いや、そもそもあの義姉が疲れさせたのが悪いのだ。義姉は過保護だとかなんだとか言っていたが、フォーゼの体調は義姉よりも自分の方がよく知っている。
(……知っているのに、また疲れさせてしまった……)
そんな風に落ち込んでいたら、あろうことか彼女は「義姉のようになりたい」とか言い出す。
(まあ、どうあれ目標ができるのは大事)
ヨハンシュは自分を納得させる。
自分だって、兄のようになりたい。そんな兄が一部では鉄仮面と言われ、陰口をたたくやつがいることを知っている。
それでもヨハンシュは兄のようになりたい。
きっとフォーゼもそんな感じなのだろう。
それが彼女の生きる糧になるのならそれでいい。
そしてもっとたくさんの人に出会い、刺激を受け、「こんな人になりたい」。そう思ってほしい。
だから、「どんなあなたになろうと大好きですよ」と伝えた。
それはヨハンシュの本心だ。
「あ、の。そう、いえば。ヨハンシュ卿は……その」
不意にフォーゼが口ごもる。
ん?と思って隣を見ると。
彼女は真っ赤になって自分を見上げていた。
ちょっとだけ。
そんな彼女をちょっとだけからかってやろうと思って。
「昨日も言ったでしょう? あなたになにかあったときにすぐ対処できるように今日からは一緒に寝ることにします」
にっこりと笑ってヨハンシュは言い、重心を前にかける。
ぎし、と。
ベッドが軋む。
ヨハンシュが前のめりになる。
フォーゼがさらに身をそらそうとするから、さらに間合いを詰めた。
もう鼻先同士がくっつきそうになる距離で。
ふわりとヨハンシュは笑った。
「おそいかかったりしませんから、ご安心を」
そう言うと、からかわれたとわかったらしい。
フォーゼは「ご冗談ばっかり」とヨハンシュの肩を押し返すから、笑いながらも身を離したものの。
(や……っば!!!!!!!)
ヨハンシュは内心冷汗ダラダラだった。
顔を近づけて気づく。
フォーゼ。
めちゃくちゃいい香りがする。
おまけに髪なんてまるで絹のようだ。つやつやでふわふわで……。また、彼女に近づいて気づいたが、寝間着のした……。え、下着、つけてないんじゃね……。
(メイドたち……!)
今日は初夜とかじゃないんだっ! とヨハンシュは罵りたくなった。
彼女たちからすれば「どうやらまだ床を一緒になさっておられぬご様子」「騎士団からもそのように聞いています」「ここは我らの腕の見せ所!」的にしているのかもしれないが。
(こういうこと、やめろ!!!!!)
心の中で喚きまくりながらも、ヨハンシュは穏やかに伝えた。
「明日は初めて領民に会うことになります。今日はどうぞゆっくり寝てください」
フォーゼは返事もそこそこにベッドにもぐりこんだ。
ほっとしながらも、ヨハンシュは立ち上がり、室内の照明を落とす。
できるだけゆっくり。
そうしないと。
こんな状況でベッドに入ったら。
(さっきの自分の発言を訂正したい!!!!!!!)
なんでおそいかからないって言ったんだ、俺! おまけにゆっくり眠ってくださいってもう!!!!! 身もだえしながら、なんとか自分を取り戻し、そしてそっとベッドに入る。
(気配を消そう)
仰向けになり、じっと石像と化した。
そうここは敵陣。
自分は斥候として藪に身を潜めているのだ。
敵はすぐそばにいる。
気配を消し、とにかくここをやり過ごそう。
隣から寝息が聞こえるが気のせいだ。
ここは敵陣……。
ひたすらそんなことを考え、ようやくもったりとした眠気に囚われようとしたとき。
いきなり隣で悲鳴が上がってヨハンシュは心臓が止まるかと思った。
跳ね起きると同時に、フォーゼも上半身を起こす。
そのまま四つ這いになって動き出そうとしたが、右足を突っ張らせて顎からベッドに落ちる。
「どうしました⁉」
フォーゼを抱きしめて尋ねると、彼女はバタバタと腕の中で暴れた。
「あ、足! 痛いっ!」
足? 右足か? そういえばさっき、妙につっぱらせて……。
「痛い! 外して! 痛い! 足枷やめて!」
足枷?
ヨハンシュは彼女を抱きしめたまま呆然とする。
なにを……。言ってるんだ……?
だがフォーゼは荒い息のまま必死でヨハンシュの手から逃げ出そうとする。
ヨハンシュはできるだけゆっくりと尋ねた。
「足? どっちです? 右? 左?」
「右!」
見ると、バタバタと暴れているのに、右足だけはやはり棒のように硬直していた。膝からつま先までがぴんと伸びてしまい、曲がっていない。
(あ、これ……)
さっき、彼女は水を一気に飲み干した。
水分不足でもあったのかもしれない。
「攣ったんですね。待って、落ち着いて」
疲れたり、水分が足りないと兵士でもこういう状態になる。対処はすぐできる。
「痛い!」
「ゆっくり仰向けになって」
「外して! 足……! 逃げられない!」
「大丈夫ですよ、じっとして」
「外して!」
泣く彼女を見て、ヨハンシュは胸を刺されたように痛い。
たくさん食べさせて。好物の菓子を与えて。
それでも彼女の身体はこんなにも細い。
足枷。
それで囚われた時の彼女は、どれほどか細く、小さく。そして無抵抗だったことだろう。
「外してあげます。そんなに動いたら外せませんよ」
そう言われてフォーゼは涙をこらえて我慢する。じっと動かずに、痛みをこらえる。
そのしぐさにも胸がえぐられる。
どうして彼女はこんなに我慢ばかりさせられるのだろう。
ヨハンシュはフォーゼの足裏に添え、一気にぐいとつま先を上にして押し上げる。
「……っ! 痛い!」
「大丈夫。ゆっくり息をして」
しぃ、となだめられてようやくフォーゼは落ち着きをとりもどしたようだ。
頼りなく、何度も短い息を繰り返す。
ようやく。
痛みから解放されたのか。
閉じていた瞳から、涙がこぼれる。
「もう大丈夫」
気づけば、ヨハンシュは彼女を抱きしめていた。
そっと。
フォーゼも自分の背中に手を回す。
「うん」
うなずいて。
そのまま彼女は脱力した。
ようやく眠れたようだ。




