22話【ヨハンシュ】侯爵領到着2
「王女は長旅を終えてようやく我が領まで来たんです。数日はゆっくりします」
「それを決めるのはあなたではなくてよ、ヨハンシュ」
つい、とカップを傾けて品よくお茶を飲むと、ひょいとヨハンシュ越しにジゼルシュを見た。
「ねぇ、ジゼ。会合にフォーゼが参加するのはいけないこと? 会合内容的にはどう?」
「……まあ、明日は会議というより実地報告会だからな。そう時間はとるまい」
「実地報告会? ああ、ひょっとしてミナン芋ですか」
「そうだ」
ジゼルシュがうなずき、近づいてくる。フォーゼだけが不思議そうに三人の顔を見まわすので、ヨハンシュが説明をした。
「侯爵領は8つの地方から成り立っています。各地には村民を代表する郷士とよばれる名主がいて、定期的に侯爵家で会議を開くのです」
ああ、こういうのも順を追って説明しようと思っていたのに、とヨハンシュは苦々しく思う。義姉が絡むとだいたい、予定通りいかない。
「どうやら明日がその郷士会のようですね。で、実地報告会というのは……。義姉が嫁入りの時、ミナン芋という植物の種芋をたくさん持参したのです」
まあ、持参したのは他にも桑だったり蚕だったり、なかには実験道具なのか調理器具なのかわからないものも多数あったのだが……。
「それを実験的に各地で植えてみたのです。明日は、各地でのなり具合や収穫についての報告を中心に議題を進めるつもりです」
ジゼルシュが弟のあとを継いだ。「そうなんですね」とフォーゼがうなずくのを、食い気味にリリィが前のめりになる。
「郷士会は男性だけじゃなくて女性も来るの」
「そうなんですか!」
フォーゼが目を丸くする。まあ、そうだよな、とヨハンシュは思った。
これもリリィが嫁入りして変わったことのひとつだ。
『あなたがたを信じていないわけじゃないけど……。ちゃんと女性にも伝達しているのか心配だわ』
自身が参加して二度目の郷士会でリリィがそう言い放ったのだ。
もちろん場は紛糾した。荒れた。
だが、リリィが、『じゃあ、あなたがたの奥方か、あるいは村民の女性をここに連れてきてごらんなさい。ここで決定したことを知っているかどうか私が確認するわ』の一言で黙った。
侯爵領だけではないが、決定権はほぼ男性が握っている。
会議で決定したことは、各地方でしっかりと守られているが、それは「男性によって」守られている。
女性たちは、「よくわからないが夫(父親)の言う通りにしよう」ということになってしまい、情報を男性だけが握っていることになっている。結果的に、女性がなにかしようとしても男性たちが『勝手なことをするな! 言う通りにすればいいんだ!』と怒鳴りつける形になってしまう。
『あなたがたの奥方を次回から参加させなさい。奥方ひとりで心配なら村民の女性を数人付き添わせても構わないわ。ねえ、ジゼ。それでいいでしょう?』
ジゼルシュはしばらく黙考した。
しばらくどころか結構黙考した。熟慮した。
その結果、『そうしよう』とうなずいた。
もちろん反対された。かなりの抵抗にあったが、
『そもそも、ここで決まったことがちゃんと伝わっているのなら問題ないのでは? まさかと思うが、会議決定事項を、各地方で勝手に曲解して伝えていないよな?』
ジゼルシュの言葉に、数人の郷士が黙った。
結局はそういうことなのだ。
『それに女性だって村民だ。領民だ。決定事項に参加していないということは……。確かに嘆かわしいことであった』
こうして郷士会に女性も参加することになったのだ。
これが。
かなり功を奏した。
やはり、『会議の決定事項はこうだった』という思い込みもあったようで、同席していた妻や村民女性から『いや、それは違う。私たちはこう聞いている』と言われるようになり、上意下達がかなり徹底されることになったのだ。
産業についても、そもそも農作業自体が力仕事、体力仕事ということもあり、男性主体で物事が決まっていっていた。
そこにリリィが「力がなくても作業効率を上げる方法」をいくつか持ち込んできた。農業用具を改良したり、女性の意見を取り入れたり……。
そんなわけで。
以前であれば郷士会はただの「食事会」の色合いが強かったのだが、最近はテーブルで会議することは稀だ。
屋外で改良版農具の披露をしたり、新種の野菜栽培講演会が開かれたり……。
かなり活性化している。
「ほら、これ可愛くない?」
リリィが両手でつまんで広げたのは、ハンカチだ。
四隅には蔦の刺繍がほどこされ、小さな桃色の花が散らされていた。
「これ……」
見覚えがあると思ってフォーゼに視線を移すと、彼女は小さくなってそっと片手をあげていた。
「わ、私のハンカチです……」
「さっき見たの! これ、ご自身でされたんですって。この刺繍をね、女性たちに教えるのはどうかしら。レース編みもできるんですって?」
「できるといっても、ものすごく高等なものでは……!」
「いいのよ。冬の期間、農閑期になっちゃうから、その間に家でちまちまできる仕事があればいいんだから」
リリィがにっこりと笑う。
「なにかひとつ特化しなくてもいいの。たくさんの手段が提示できれば」
「たくさんの……手段?」
フォーゼが繰り返すと、リリィはうなずいた。
「私の母国では、ミナン芋が主食でね。こればっかり作ってたの。そしたら、8年前にミナン芋にだけかかる病気が大流行して……。大飢饉が発生してね。もちろん国庫を開けて対処したけどぜんぜんで。大牙の灰色狼も、もともとは飢餓難民が食料を求めて各地で暴動を起こしたものなの。越境して侯爵領で盗みを働いたりしてね。それがいまも続いていて……」
リリィは悲し気に眉を下げ、広げていたハンカチを丁寧に畳んだ。
「だから方法はたくさんあるほうがいい。どんなことにおいてもね。一途っていえば聞こえはいいけど。第二、第三の方法は考えておくべきだとおもって。それで、広い視野を持ちたくて留学をしたの」
「そうなんですね」
フォーゼが相槌を打つ。
ヨハンシュはその顔を見て「まずい」と思った。
なんか表情がキラキラしているからだ。
リリィの虜になっている。
「そしたら、なんとジゼに出会って。きゃっ♡」
言うなり、リリィは立ち上がり、ジゼルシュの首に両腕を回して抱き着く。ジゼルシュは「はっはっは。おいおい」と笑って受け止めていた。
「母国のためにも。そしてこの国のためにもなにかできないかな、って」
ヨハンシュからすれば、リリィは野心の塊だ。兄ぐらいの器がないと御せないのは確かだろうし、最近になって思うのは、実は隣国の王様も娘を持て余していて、これ幸いに手放したのでは、ということだ。
「だからフォーゼ。肩に力を入れて参加しなくてもいいの。あなたの知っていることを伝えてくれれば」
リリィはジゼルシュに抱き着いたまま言う。フォーゼは戸惑いながらこっくりとうなずくから、ヨハンシュは咳払いした。
「いいんですよ、断っても。なんなら俺から……」
「いえ、あの。その。私も……侯爵家の一員になったのですから。そういった場には出てみたいです」
フォーゼは顔を上げ、どこか嬉し気に微笑んだ。
「もちろん微力ではありますが……。縫物仕事は好きです。ぜんぜん、負担ではありません」
「なら決まりね!」
リリィはジゼルシュの頬にリップ音を立ててキスをすると、くるくると回りながら椅子に座った。
「さあ、おふたりともいつまでも立ってないで! 新生リゼルナ侯爵家、初のお茶会なんですから、楽しみましょう!」
まったく、と。
ヨハンシュは苦笑いをしながら、兄を伴って椅子に座る。




