19話【ヨハンシュ】理想の結婚2
耳を澄ます。
しばらくじっと集中した。
無音。
(聞き間違いか?)
ちょうどそのころ、考えあぐねて半ばまどろんでいたところだった。
夢うつつだったのだろうか。
『俺は隣にいます。なにかあれば枕元のベルを鳴らしてもらうか、壁をノックしてください』
ヨハンシュは別れ際にそう告げた。
ひょっとして。
自分を呼んだのか。
そう思った時には部屋を飛び出していた。
無視してはいけない。
聞き間違いと流してはいけない。
そんな気持ちに突き動かされた。
「え? 中将?」
廊下に待機していた団長が驚いたように目を見開く。
彼の足元に座り込んでいた副官も慌てて立ち上がった。
「いま、音が鳴らなかったか?」
尋ねるが、ふたりは不審そうに顔を見合わせるばかり。
ヨハンシュはノックもせずにフォーゼの部屋に入った。
「あ……」
眠っているか。
それとも起こして驚かせるか。
そんな予想は外れた。
フォーゼはベッドにいた。
涙を流しながら、膝を抱えて。
小さくなって。
入ってきた自分を見て。
安堵した。
「どうしました」
後ろ手に扉をしめた。
近づき、ベッドに座る。
ぎし、とわずかにベッドが傾いだ。
途端に、彼女の目から安堵の色が消えた。
怖がらせたかと案じたが。
彼女の瞳に映ったのは、罪悪感だ。
申し訳なさそうに顔をゆがめ、頬を濡らしていた涙を手でぬぐった。
「ごめんなさい」
「どうして謝るんです」
「……ごめんなさい」
「俺を呼んだことを謝るんですか?」
「ごめんなさい……」
「フォーゼ王女は謝ることなどなにもしていません」
「ごめんなさい……」
「怖い夢をみたのですか」
あたりをつけると、ぴたりと唇が閉じた。
しばらく彫像のように凍りついたと思ったら、唇が震える。
「ごめんなさい……」
やはり口から紡がれたのは詫びの言葉。
そして、ぼろぼろと水晶のような涙が頬を伝って顎から落ちる。
「そんな日もあります。大変な目に遭われたのですから」
婚約破棄を繰り返され、この結婚だっていきなりのことだったろう。
熱が出るほどに準備を急がされ、生まれた地を離れて明日、生涯暮らすかもしれない場所に行くのだ。
心が揺れてつらくなる。
そんなのは普通だ。
「ごめんなさい」
「俺の方こそ。なにもわからないふがいない夫で……。こんなことでどうするのか」
自分が情けなくなる。
なにが「少し強気のほうがいいのだろうか」だ。
こんなに傷ついて。
自分を守る盾さえ持たず。
無防備で。
傷だらけで。
また傷つくかもしれないとおびえている。
そんな人をどうかしようなんて。
「ごめんなさい」
ヨハンシュは詫び、キルトケットをつかんだ。
相変わらず。
かたくななまでに膝を抱えて縮こまる彼女の肩にかけてやる。
そして、その布越しに彼女を抱きしめた。
「ごめんなさい」
もう一度そういうと、腕の中でフォーゼが震えるように首を横に振った。
「優しくしないでください」
かすれた声でそんなことを言う。
「どうして」
「これは私の罪なんです。ずっとずっと贖罪を……」
フォーゼはそこまで言うと、嗚咽を漏らした。
「幸せになんて、なっちゃいけないんです」
そして慟哭した。
ヨハンシュは布越しに彼女を抱きしめ、彼女が泣き疲れて眠るまで、ずっとずっと撫で続けた。
「気づけなくてごめんなさい」と言いながら。




