15話【フォーゼ】カフェ
フォーゼの熱は2日で下がり、3日目には侯爵領に向かって出発ができた。
直接は言われていないが、フォーゼにかなり配慮した旅程のようだ。
夕方には必ず宿泊場所に到着するし、出発は朝食を完食してから。
食事量も厳密に管理されており、また、フォーゼの様子を見て調理方法が変えられていることに気づいた。
王城内にいるときよりも断然多い食事量を摂っているというのに、馬車馬や騎馬が休憩をする場合、近くのカフェに連れて行かれ、菓子やケーキを食べさせられた。まるで子どもの補食だ。
そしていまも、フォーゼはヨハンシュが『おいしいと有名らしい』と噂を聞いたカフェに連れてこられていた。
「ここは焼き菓子も種類が多いようですよ。いかがですか?」
「いえ、本当に結構です」
チョコタルトにフォークをいれようとしていたフォーゼは急いで首を横に振った。
「そうですか?」
いつの間にかメニュー表を見ていたヨハンシュが首を傾げた。
「では持ち帰りますか?」
「大丈夫です! もう十分ですから」
うっかり「はい」などと言おうものなら、たぶん店中の焼き菓子を購入しそうだ。
(支払いのことも甘えっぱなしだし……)
しょぼんと肩を落としながらフォーゼはタルトを見た。
カフェだけではない。
フォーゼがほぼほぼ着の身着のままで王城を出たことに気づいたのだろう。先日は、到着した宿泊地に業者が待機しており、ある程度の外出着と下着をその場で購入してくれた。
医者だってそうだ。フォーゼは診察代を支払っていない。
父王がいくらか持参金を侯爵家に渡しているとは思うが、自分ではいくらなのか知らない。
『あの……。お金ですが、侯爵領に到着してからお支払いさせていただいてよろしいですか?』
母の形見を売ることはできないが、アクセサリーなどはいくつか持ち出している。あれを売れば……。
そう思ったのに、ヨハンシュは驚いたように目を丸くした。
『俺たちは夫婦ではありませんか。なぜそんなことを言うのです』
確かに夫婦ではあるが、いつ父王が離縁を切り出してくるかわからない関係性ではある。できるだけ負担をかけたくはなかったのだが……。
(甘えるしかないこの現状がつらい……)
侯爵領につけば、刺繍かレース編みをしようか。それを売ればいくばくかの……。
つらつらとそんなことを考えていたら、頬に温かいものがふれた。
顔を上げる。
ヨハンシュだ。
「またそうやってうつむいて……。不安になると申し上げたのに」
フォーゼの頬に手を添え、ヨハンシュが苦笑いするから、フォーゼは慌てた。
カネがかかるうえに病弱で、かつ気難しいなど申し訳なさすぎる。
「いただきます。おいしそう」
フォークで切り分け、口に運ぶ。
濃厚なカカオの風味が鼻から抜け、ねっとりとした甘さが舌にからむ。だが、しつこくはない。適度な苦み。それに酸味。
「あ……。オレンジピールですか」
さわやかさのもとはそれらしい。
「お好きでしょう、そういうの」
「はい」
元気よくうなずいて前を向くと。
ヨハンシュが頬杖をついて自分を見ている。
目が合うと微笑まれた。
(本当に素敵な方……)
社交界で噂になるのはわかる気がする。
兄のジゼルシュが結婚したときは、未婚の淑女たちがかなり寝込んだと冗談交じりに言われるほどだ。
いまも女性客の視線を独り占めしている。
『どなたかしら』『さっきお父様が、侯爵の紋だと』『まあ、あの有名な!』そんな小声がフォーゼのところまで聞こえるほどだ。
ただ本人は気づいているのか気づいていないのか。しれっとした顔でお茶を飲んでいる。
(私、こんな人の向かいでケーキを食べてていいのかしら)
あの、どうぞ。席を譲りますよ、と声をかけようかしら。
そんなことを考えていたら、くすりと笑い声が聞こえた。
「またなにか考え事ですか?」
「いえあの……。なんか申し訳なくて……」
小さくなってタルトを口に運ぶ。
「申し訳ない?」
「私みたいなのがヨハンシュ卿のおそばにいてもいいんでしょうか……」
「それを言い出したら、俺のほうが確認したいですよ。王女を娶るような資格はありますか、と」
「それは武勲を立てられたのですから!」
「よかった」
にこりと笑うからやっぱりフォーゼは身を小さくする。
「……ですが、金銀財宝のほうが価値がありますよね……」
なにしろ自分はいつ爆発するかわからない爆弾のようなものだ。
「王女だとしても、ナナリーのほうがきれいで……」
「なんだか以前もそのようなことをおっしゃいましたが、ナナリー王女のことはなんとも思っていませんから」
やけにきっぱりと言われた。
「いや……あの、でも花束を……」
「花束? ああ、あれはフォーゼ王女のために持参したんです。途中でナナリー王女にお会いして、『姉に渡しましょうか』とおっしゃったのでお渡ししただけで……」
そのあと、珍しくむっつりとした表情になる。なにか嫌なことを思い出したのだろう。フォーゼは慌てた。
「そ、それはなにか手違いがあったようですね」
「でしょうね」
「あ、あの。このケーキもそうですが……」
フォーゼは半分以上を平らげたタルトに視線を移す。
「その……。私の好みをすごくよくわかってくださって……」
服だってそうだ。
業者が持参した商品は、すべて自分好みだった。
「よかった。なにより嬉しい言葉です」
「やはり軍人さんという方は、よく人を見ているのでしょうね。レオが……」
つい彼の名前を言ってしまって口をつぐむ。
妙な沈黙を隠すようにタルトを口に頬ばった。
「レオ?」
だがヨハンシュは聞き逃してはくれなかったらしい。
そっと上目遣いにうかがうと、彼はじっと自分を見ている。
「その……、えっと」
「王女の口から個人名をお聞きするのは珍しいな、と。無理強いはしませんが、どなたなのか気になって」
やんわりとヨハンシュは言う。逃げ道も用意してくれている。
フォーゼは迷ったが、チョコタルトを全部口に放り込んで食べると、意を決して顔を上げた。
「私が二度目に婚約をしたひとで……。伯爵家の次男でした。レオという少年で」
当時自分は12歳で、レオは15歳だった。
1回目の婚約者である宮中伯のことはあまり覚えていない。「優しいおじさん」といった感じだった。
だがレオとのことはよく覚えている。
ほとんど友達のいないフォーゼにとって親しく話せる同世代であり、兄のように頼もしく思える存在でもあった。
「彼は将来、どこかの騎士団に入りたいと言っていました。そのために剣技も磨いていて……。当時からヨハンシュ卿のことを尊敬していて」
「俺、ですか」
意外そうに目を少し開く。ということはレオのことは知らないようだ。あなたの一方通行だったみたいよ、と心の中でからかう。
「ヨハンシュ卿はそのころから有名で。レオはよく口にしていました。『ヨハンシュ卿のようになりたい』と。そのためには、相手をよくみなくては、と」
「確かに剣技は……というか、剣技に限らず、武芸というのはみなそうかもしれません。自分がこうしたい、と思ったら、まず相手にそうしてもらわなくてはいけない。そのためにどう相手に働きかけるか、それが」
肝心ですとでも続けるのかと思ったが、ヨハンシュは不意に口を閉じ、誤魔化すようにお茶を飲んだ。
「そのレオ卿のことが、とても大事なのですね」
不意にそんなことを言い出す。
フォーゼはきょとんとヨハンシュを見つめたが、にこりと笑ってうなずいた。
「ええ。とても」
ヨハンシュはやわらかく微笑んだあと、カップのお茶を飲み干した。
座りなおすと、フォーゼに言う。
「よろしければ、ですが。そのレオ卿のことをお話いただけませんか? もちろん、お断りいただいても……」
「そんな! 私もお話を聞いていただけるならこんな嬉しいことはありません! レオもきっと喜びます!」
そしてフォーゼは話し始めた。
彼と初めて出会った時のこと。
本が好きな少年であったこと。
一度こっそり王城の練兵場でレオを見たけど、剣の扱いが拙くてハラハラしたこと。
彼と一緒に芝生の上に寝転がり、空を見上げたこと。
フォーゼは話しながら、どんどん心が軽くなることに気づいた。
いままで。
彼との思い出は大事だったが、話せる相手がいなかった。
父王のでっち上げだろうが、レオの一族は逆賊だ。レオ自身も処罰を受けて修道院送りとなり、そこで命を失っている。
『彼のことを話したい』『思い出話に花を咲かせたい』
それは許されないことだった。
「あ……王女」
突然、ヨハンシュがハンカチを差し出してくるからフォーゼは戸惑う。
頬をつたった涙がテーブルに落ち、初めてフォーゼは自分が泣きながら話していたことに気づいた。
「ご、ごめんなさい」
「俺の方こそ、無理させたようで……」
「いえ、違うんです。嬉しいんです。だって、レオのことを話すことで、ヨハンシュ卿も彼のことを知ってくれて……」
ハンカチを受け取り、涙を拭いながら、フォーゼは笑った。
「私だけしか彼を知らないなんて……。そんな悲しいことがもうなくなったんですもの。ありがとう、ヨハンシュ卿」




