14話【ヨハンシュ】初夜が明けて
「遠慮なく。もし俺が倒れたら、フォーゼ王女に食べさせてもらいますから」
そう言ってみたものの、「いえ、いやです」と言われたり、「絶対自分で食べます!」と主張されたらどうしようと、ヨハンシュは内心ひやひやしていた。それだけではなく、背中に滝のような汗だって流れていた。
だが、フォーゼは迷った末に、口を開けてくれた。
その様子はまるで、初めて川面に顔をつける子どものよう。
ヨハンシュはその口に匙を含ませる。
ぱくり、と。
フォーゼが口を閉じ……。
そしてあきらかに目の色が変わった。
人間、こんな風に覚醒するのかというぐらい瞳孔がぎゅっと開いた。
やばいもん入れてるんじゃないだろうな、とヨハンシュがうろたえたぐらいだが、その目は「早く次を!」と訴えてくる。
ヨハンシュは匙を深皿に沈める。
「おいしい……」
ぽつりとフォーゼがつぶやく。
それを聞きながら、ふとそういえば彼女が食事をしているところを見ていないな、と気づいた。
初めてあった館内。あそこでバスケットに入れられたサンドイッチを勧められたが、当の本人は食べていなかったのではないか。
昨日の結婚式や披露宴でもそうだ。
ジュースや水を飲んでいるのは見たが、なにか食べていた様子はない。かくいうヨハンシュだって昨日は早朝に食事をして、次の食事は深夜だった。
(そりゃ、医師に叱られるはずだ)
夫だと言うのに、妻がなにも食べていないことに気づいていないのだから。
「よかった。次は卵部分、どうですか?」
胸に沁みて広がる罪悪感を払うように、ヨハンシュは半熟卵を割り、パン粥と一緒に口に運んだ。
途端にやっぱり、ぎゅんとフォーゼの目に力がみなぎる。
あとでちょっと自分でも試食してみなければなんか恐ろしくなってきた。
そのあとの食欲たるや。
まだヨハンシュが小さい頃に飼っていた鷹の幼鳥並みだ。
次々と口に入れてやらないと、怒ったように鳴くので、せっせと食べさせたのを思い出す。……まあ、あのときは生ひき肉だったが。
そうして完食したフォーゼ。
ちょっとヨハンシュは驚いた。
目に生気が戻り、頬が上気した彼女は。
とても、愛らしかった。
初めて目にしたときは、陶磁器人形のようだったが、今目の前にいる彼女は違う。
唇は赤くつややか。
青い瞳は宝石のようにきらめき、磁器にさえ見えた頬はしっとりと潤んでいた。
二十歳、にはまだ見えない。
細くて小さな分、まだやはり思春期のような危うさをもってはいるが。
それでも、とても美しい少女には見えた。
(やはり栄養が足りてなかったんだろうか)
そもそもの食事量も足りていなかったのだろう。
あの医師が指摘したことは正しかったのだ。
ちらりと脳裏に浮かんだのはナナリーの姿だ。
健康的でのびやかな肢体。
フォーゼとはまるで違う。
血のつながった同じ娘をどうしてこんなに区別して育てられるのだろう。
また暗澹たる気持ちが胸に湧くので、「さて、それでは」と声を出してみた。
とにかく、いま、彼女は完食した。
そしてこれからも完食する。させる。
そう決意し、にっこりと微笑んだ。
「待望のデザートを持参いたしましょう」
そう言うと、驚いたことにフォーゼが前のめりになって声をかけてきた。
「あ、あの!」
「はい?」
なんだろうと思いつつも、声に張りと力があることに気づき、ヨハンシュはちょっとだけうれしくなった。
「もう力が入るようになりましたので、自分で食べられます!」
言われてみれば、膝の上でそろえられている手もしっかりと握れるようになっていた。
「そうですか? それはうれしいですがちょっと寂しいですね」
ヒナに給餌している気持ちだったのにな、と。
それに黙々と食べる女性というのは見ていてすがすがしい。ちょっとだけ残念。そう思っていたら……。
「なので! そのよろしければ、ヨハンシュ卿と一緒に食べたいのですが……!」
「なるほど」
ヨハンシュは目を細めてうなずいた。
それならば、彼女の食事を見ながら自分もデザートが食べられる。
「それはいい。早速準備いたしますね」
ヨハンシュは扉の向こうに待機させている執事に合図をする。
空の食器はすぐに下げられ、すぐにデザートが出てきた。
カステラにフレッシュチーズと果物が添えられたものだった。
ヨハンシュのものにはリキュールが加えられていたが、フォーゼのものは違ったらしい。
彼女はまるで子どものように嬉しそうに完食した。




