12話【ヨハンシュ】初夜
結婚式の夜。
いわゆる初夜。
ヨハンシュとフォーゼは同じ寝室にいた。
ついでに言うと、ジゼルシュと近隣に住まう医師も。
「風邪ではないでしょう。症状からかんがみるに、疲労のせいではないでしょうか」
「疲労? それであんな高熱が出るのか?」
「というか、もう数時間目を覚ましていないぞ」
寝室の隅に男ばかりが三人集まり、額を寄せ合うようにして小声で話している。
披露宴が終わり、フォーゼは馬車に、ヨハンシュは騎乗で王都をパレードした。
黒鷲騎士団といえば常勝騎士団だ。
その中将が王女を娶った。
噂はたった三日のうちに王都どころか近隣領にまで響き渡ったらしい。
沿道にはあふれんばかりの国民が並んでいた。
みな、先頭を行くジゼルシュと、馬車と並走するヨハンシュに歓声を上げた。
もちろん、国民の目は王女を探してもいるので、ヨハンシュが途中、手を振るようにジェスチャーを送ると、彼女ははにかみながら沿道に手を振った。
途端に花吹雪が舞い、ライスシャワーが飛んだ。
華々しいパレードは王都を抜けるまで続き、馬車で2時間ばかり走ったところにある、本日の宿泊地に到着した。
移動初日ということで移動時間は短く、王都近郊にある侯爵家の狩猟用コテージを選んでいた。
夕方に到着し、ヨハンシュが馬車のドアを開け、フォーゼをエスコートしようとしたら。
彼女はぐったりとしていてすでに半分意識を失っているので仰天した。
横抱きに抱えて馬車から連れ出すと、服越しにもわかるほど熱い。
ジゼルシュに報告すると近隣の医者を手配してくれ、その間にヨハンシュが寝室に運んだというわけだ。
「過度な労働や緊張は身体をむしばみます。傷やしこりといった目に見えるものがないぶん、身体が苦痛を訴えるために熱を出すのです」
医師が眉根を寄せる。
「どこのお貴族様かご存じありませんが……。あのご令嬢、ぜんぜん栄養が足りていないのではありませんか? まだここらの村娘の方が発育がよいですよ」
このコテージに呼ばれたということは、この医師はふたりが侯爵家に連なるものだとは知っているのだろう。
それでも医師が険のある目でジゼルシュとヨハンシュを見た。
義憤に駆られての言動だからか、ジゼルシュも怒る様子はない。
「やはり、栄養状態は良くないか?」
フォーゼの出自は黙ったまま、ジゼルシュが尋ねる。ふん、と医師は鼻で息を抜いた。
「よくありません。もっと栄養のあるものを食べ、十分な休養を与えねばなりません。それこそがあのご令嬢の薬になりましょう」
ヨハンシュはそっとベッドの方に顔を向けた。
眠っている。
死んでいるんじゃないかと思うほど微動だにしない。
時折、短く早い呼吸をするぐらいで、あとは青白い顔で目を閉じたまま。それなのに身体は燃えるように熱い。
過労という言葉が、ヨハンシュの心にどしりとのしかかる。
(そうだよな……。ずっと衣装を縫い続けて……)
それだけではない。
宮廷でフォーゼの姿を見ない、という意味をヨハンシュは深く考えたことがなかった。
閉じ込められていたのだ。
あの館に。
わずかなメイドとコックだけを与えられて。
そして王家にとって使い道があるときだけ館から出される。
死なない程度に生かしている。
それは娘に対することでもないし、人にたいしてすることでもない。
(無理……してたよなぁ……)
この数日、睡眠時間などほとんどなかったに違いない。
それなのに結婚式、披露宴、パレードだ。
いままでたいした運動量もなかったろうに、突然一日中立って過ごすのだ。馬車にいるときだって、気を抜けない。国民にたいしてアピールしなければ。
(もう少し様子を気遣ってやればよかった)
兄からは「溺愛せよ」と言われていたが、そもそも基本的な気遣いができていない。
「ただ、いまのあの状態で高栄養のものを消化吸収できるとは思えません。まずは消化のよいものから徐々に量を増やしていき、なにより睡眠をよくとらせることです」
「わかった。しばし待て」
言うと、ジゼルシュは扉口に移動した。
待機している執事になにごとか伝えると、また医師の方に戻ってきた。
「廊下にいる者に、どのような食材を使い、どのような調理法がいいのか伝えてくれ」
「わかりました。どうぞお大事に」
「申し訳ない、もうひとつだけ」
歩き去ろうとする医師をヨハンシュは呼び止めた。
「なんです」
「暑がるのだが、そんなときはキルトケットを剥いでもいいのだろうか。それともちゃんとかけておかないといけないのだろうか」
ベッドに寝かせ、メイドに手伝ってもらって腰回りを緩め……。
そしてキルトケットをかけておいたのだが、いつの間にか自分で剥いでしまう。メイドはそのたびにしっかりと首元までかけなおすのだが、なんだかそれが可哀そうで仕方ない。
「そうですな、暑がるようならそのように。ただ、汗をかいているのならこまめに着替えを。今度は寒気を覚えて風邪をひく可能性もあるので」
「わかった」
「では」
「いやあの、もうひとつ」
「……はい」
「あれだけ身体が熱いのだから、水風呂にいれてはどうだろう」
「患者を殺す気ですか」
「いや、我々は……、ねぇ、兄上」
「そうだ。熱が出たら水風呂に漬けられていたが」
「そりゃ頑丈なあなた方でしたら、風邪で多少弱っていても体力も筋肉も脂肪もあるでしょうからかまいませんよ。水風呂でも氷風呂でも入って熱をお下げなさい。ですが、あんな鶏ガラのような娘を水に漬けたら、心臓が止まりますよ」
「……聞いておいてよかった……」
心臓がバクバク言っている。実は兄も同じことを考えていたような顔をしていた。
そんなヨハンシュたちを見て、医師はあきれたようだ。
「また、明日来ましょうか?」
「できればそう願いたい!」
ヨハンシュが切に願うと、医師はちょっとだけ表情を緩めてくれた。悪い奴らではないようだと思ってくれたらしい。
「どちらかの奥方ですか?」
「ああ、弟の」
「俺の妻だ。といっても、今日結婚したばかりだが」
ふむふむと医師は頷いてから、なにか気づいたように顔をヨハンシュに向けた。
その顔はやはり最前のように険しい。
「初夜など今日は無理ですよ」
「わかっている!」
「当分無理です。しばらく無理」
「わ……わかった。というか、わかっている」
「では」
「ちょっと待った!」
「今度はなんです」
医師はあからさまにうんざりしたが、ヨハンシュは食い下がる。
「命に別状は……ないよな?」
「わかりません。人の生き死になど案外あっさりしたものです」
「不安にさせるようなことを言わないでくれ!」
「だから病人を看病するときは、いつもと違うところをよく観察するんです。いい勉強です。妻に張り付いて様子を見ておきなさい」
医師は言い置くと、さっさと退室してしまった。
「あの医師の言うのももっともだ。ヨハンシュ」
「なんですか、兄上」
「フォーゼ王女の様子をよく見ておくように」
「兄上はいてくださらないのですか!」
「お前の妻だろう」
「まだ夫になって一日も経っていません!」
不安だと訴えたが、ジゼルシュは首を横に振った。
「この時期、領地不在が長引くのはまずい。本来であれば、一緒に帰都する予定であったが、明朝までに王女の熱が下がらなければ、お前たちを置いていく。あとからゆっくり帰ってこい」
絶望のただなかで、ヨハンシュは兄の言葉を聞いた。
「心配するな。あの医師は脅しただけだ。人はそう簡単に死なん」
「父上はあっさりお亡くなりになりましたが⁉」
「例外だ。なにごとにおいても例外はある」
普段めったに兄のことを疑いはしないが、このときばかりは「本当に⁉」と言いそうになった。
「それにこれは怪我の功名」
「怪我の功名?」
「うむ。体調不良で心細いフォーゼ王女に寄り添うことによってお前への愛が芽生えるかもしれん。弱っているときは誰でもいいからすがりたいものだ」
「……なんだか卑怯な手に思えますが」
「卑怯だろうがやり口が汚かろうが何でも構わん。いいか、ヨハンシュ」
ジゼルシュは弟の鼻先に人差し指を突き立てた。
「しばらく床も共にできんのだ。それ以外で夫たる姿を妻に見せねばならん。それはわかっているな?」
「それは……まあ」
「身体を交わせば情も生まれるというが、それはできん。しばらくは食べさせて眠らせろ。体力回復が一番だ」
「わかりました」
「極力動かすな。動くと体力ゲージが減る」
「わかりました」
「フォーゼ王女がお前にベタぼれするかどうかで我がリゼルナ侯爵家の明暗が決まるのだ!」
「兄上、声が……」
「溺愛しろ! 甘やかせ! 食わせて太らせ、眠らせるのだ!」
「兄上、声が……っ」




