98 支え合い
(……ここまではセーフか)
モトキは自室に戻ると、窓から手を伸ばしていた。
屋敷の外に出ると起動するらしい奴隷魔術。
その外に出るというのは、どの範囲からを示すものなのか。
起動すると首を絞めつけられるというのは、どのくらいの拘束力を有しているのか。
自分の状態を正確に把握する必要があるのだ。
(肩……頭……。この時点では反応なし。そして次は本命の――ぐがっ!)
モトキは少しずつ体を外に出していき、術式を刻んだ胸元が、外と内の境界に触れた瞬間、突如として首を圧迫感が襲った。
酸素が口内から、喉を通って行かない。
締め付ける力も強く、我慢し続けることは難しかった。
「ぜぇ……ぜぇ……。これは……キツイ!」
モトキは即座に身を引くと、徐々に圧迫感は消えていく。
他に異常はないかと全身を確認するが、特に問題はなかった。
(やっぱり即死する類のものじゃないか。我慢すれば200メートルくらいは走れるか?)
しかし屋敷の周辺には何もない。
逃げ出して200メートル程度移動しても、そこで野垂れ死にするだけだ。
2階にいるイザールに不意打ちを仕掛けたとしても、モトキの予想通り魔人だとしたら、自殺と変わらない。
(やっぱりハゲに術式を解除してもらうしかないな。その為には次の闘技場で準優勝……)
それで本当に解除してもらえる保証はない。
そもそもイザールを裏切らない範囲でと言う約束だ。
しかしそれしか方法が思いつかないのだ。
(情けないな……。行き当たりばったりで、何も解決出来てない……)
モトキは床に仰向けに倒れて、天井を見上げる。
すると窓の外から会話の声が聞こえてきた。
モトキは窓から首を出し、声のした方を見る。
すると部屋に上半身を突っ込んだ女性の姿が見えた。
(あの部屋は確かアグラヤさんの……奥さんか!)
モトキが屋敷の中で唯一は話せていない相手であるアグラヤ。
盗み聞きは少々後ろめたく思ったが、共通の話題でも分かれば、そこから仲良くなれるかもしれないと、モトキは耳を澄ませることにした。
モトキは、イサオキとエアの声を聞き逃さないようにと、聴覚を鍛えていた。
集中すれば犬や猫を上回るモトキの聴覚は、たとえ告白中に電車が通ろうと、花火が打ち上ろうと、正確に聞き取ることが出来るのだ。
「――大丈夫。あと1回準優勝すればいいだけだ、心配するな」
「私も全力で応援するっす! 全財産賭けて背水の陣っす!」
「それはやめろと言ってるだろ。毎回勝てる訳でもないんだから……」
「だって私には何もできないし……。だからせめて勝利も敗北も、同じ覚悟を持っていたいから……」
「まったく……。これは是が非でも勝たないとな」
「お父さんなら絶対に勝てるっすよ!」
(この声テティスだ! テティスがアグラヤさんの娘!?)
まさかの関係だった。
モトキは思わず声を出しそうになったが、何とか飲み込んだ。
(闘技場でテティスの姿を見かけたけど、そんな関係だったとは。一緒に闘技場に参加することになったらやり辛いな)
最強の選手であるアグラヤとは、是非とも一戦交えたかった。
しかし当然ながらアグラヤにも、帰りを待っている人がいるのだ。
そう思うと、全力で戦うことは憚られた。
(100勝しないで脱走する気満々の俺が、他の人の開放の足を引っ張るのもな……。けど準優勝しないと、ハゲと取引できないし……)
「それじゃあ今日は帰るっすね」
「ああ、気を付けて帰るんだぞ」
「大丈夫っすよ。いざとなったら……」
「ん?」
「あっ、そうそう、今日新しく入ってきた、女の子の部屋がどこか分かるっすか?」
(え? 俺?)
「それならあの辺りだ。知り合いなのか?」
「本当に知ってるだけの関係っす……」
そう言うとテティスはモトキの部屋に向かって行った。
アグラヤから聞いた大体の位置の部屋の中を除きながら、モトキを探す。
モトキは盗み聞きなどしていないと言う体で、素知らぬ顔をしながら椅子に座っている。
「あ、見つけたっす。こんばんわ、モトさん」
「ヘ、ヘイ、テティス! こんな所で奇遇だね!」
「なんすか、その不気味なテンション」
嘘を付くことに向いていないモトキ。
テティスは怪しみながらも、深くは追及しなかった。
「それで、こんな夜中にどうしたんだ? 女の子が1人歩きする時間じゃないぞ」
「モトさんに心配される謂れはないっす。これ」
テティスはポケットの中から何かを取り出して、モトキに差し出す。
それは昼間男達に取り上げられた、チェーンの切れた2つのペンダントだった。
「どうしてテティスがこれを!?」
「みんなが取り合ってたのが、たまたま私の方に飛んできたから、こっそり拾っただけっすよ」
「だけどどうしてそれを俺に? 宝石付いてるし、売ればちょっとした金にはなるぞ」
「それは……」
テティスは言い淀む。
顔を逸らしてしばらく悩んでいると、何かを思い付いたような顔をして、モトキの方に向き直る。
「さ、さっき庇ってもらったからっす! いや、私が裏切り者だって疑われた原因が、そもそもモトさんなんすけど、それでも借りを作ったみたいで気持ち悪くて……」
「テティス……」
「なんすか?」
モトキはテティスの手を引き、窓に近付けると、頭を優しく撫でた。
「ありがとう。テティスは良い子だ」
「ふわぁ」
その絶妙な撫でテクの心地よさに、テティスは意識を持って行かれそうになる。
しかしギリギリのところで我に返り、大きく後ずさって逃げた。
「ななな何するっすか!」
「お礼。俺にはこのくらいしかできないから。嫌だった?」
「嫌と言うか何というか……私は子供じゃないっす!」
「そっか。とにかくありがとう。これ、凄く大事な物なんだ」
「でしょうね。モトさんって家族とか大事にしそうっすから」
「ん? これが家族所縁のものって言ったけ?」
「あっ?」
テティスは慌てた様子だ。
モトキは少し考えると、テティスがペンダントと家族を結び付けた理由がすぐに分かった。
ロケットペンダントの中に入れてある家族写真だ。
(テティスもお父さんが大事みたいだし、そこに共感したのか)
「な、なんすか! その嬉しそうな顔は!」
「もう一回撫でさせて」
「嫌っす! とにかく、これで貸し借りなしっすからね! 私達はもう無関係! それじゃ!」
テティスは足早に、その場から立ち去った。
『根は悪い子じゃないみたいね』
「ああ、あんなことをしないと生きられない、この街に問題があるのかもな」
『そうね……』
「……」
『……』
「いつから起きてたの!?」
『モトキがお風呂に入っていた時から』
「返事しろよ!」
割と前から目覚めていたセラフィナ。
モトキは何時まで経っても起きないセラフィナを、心から心配していたのだ。
だと言うのに今まで黙っていたセラフィナに、流石のモトキも怒りを露わにした。
「心配したんだからな……」
『ごめんなさい』
「もう大丈夫なのか?」
『……ちょっとはね』
セラフィナの声には悲しみが滲んでいる。
父親と国を失った悲しみは、そう簡単に癒えるものではないし、受け止めきれるものでもない。
『夢の中でずっと考えていたわ。お父様や家族の皆、国の皆。頭の中はグチャグチャで、何も生産的なことは考えられなかった。本当にただ漠然と考えていただけ……』
「うん」
『そんな中でモトキの声だけがはっきりと聞こえていたわ。私が眠っている間に苦労させちゃったわね』
「不甲斐ないばかりだよ」
セラフィナを白の国に連れ帰るどころか、状況はどんどん悪くなっている。
ついさっきペンダントを取り戻したことで、やっと少しだけ持ち直したところだ。
『そんな最中。モトキの「助けてセラフィナ」って声が聞こえたわ』
「……いや言ってない。思ったけど声に出してない」
『モトキの危機に、1人だけ眠っている訳にはいかないと思って起きたら、女風呂でワチャワチャと……』
「イサオキとエアに誓って、疚しいことは一切していません!」
『分かっているわよ。目も瞑っていたしね』
割と最悪のタイミングだった。
こんな理由でセラフィナに助けてもらっても困るだろう。
『モトキ、現在の状況を説明して。ここからは2人掛かりよ』
「……ごめんな、こんな時くらい、俺だけで何とかしてやりたかったんだけど」
『こんな時はお互い様でしょ? 辛いのはモトキだって同じじゃない』
確かにモトキは、イオランダ達と家族ではない。
この世界で7年しか生きていないモトキは、セラフィナと比べて積み重ねてきたものは少ない。
だからセラフィナと比べれば、モトキの心の傷は浅いものだ。
モトキがそんな割り切った考えを出来ないことは、セラフィナが誰よりも知っている。
たとえ本当の家族でなくても、積み重ねてきたものが少なくても、モトキの愛はいつだって本物なのだ。
途端にモトキの心の奥底から、悲しみが溢れてきた。
涙が溢れて頬を伝う。
それはモトキが転生してから、初めて流す悲しみの涙だった。
モトキだけではない、セラフィナと2人分の涙を。
『私は辛いわ。モトキも辛いわ。だけど私達には、いつだって大事な人が傍にいる。だからお互いに支え合いましょう』
「……ああ、頼もしい!」
モトキは涙を拭って顔を上げる。
それからセラフィナに、テオドールに来てからの事を説明した。




