69 空飛ぶ姫
セラフィナとモトキは、金色の女性がいた場所を、ぼんやりと見ていた。
「何だったんだ、今の……」
『私達を兄さんって呼んでいたけど……』
「セラフィナを見て男だと思う奴は、目が腐ってると思う」
『……ひょっとしてエア? 私の中のモトキを感じたとか』
仮にモトキの存在に気付いたとする。
モトキの事を兄と呼ぶ女性は、エアを置いて他に居ない。
そしてさっきの女性がエアだとしたら、たとえ女性の姿になったとしても、気付いて不思議ではない。
「魂の管理所のバンさんは、エアが転生するとしたら、魂を浄化されてからだから、記憶を引き継いでるはずがないけど……」
『モトキの妹なのでしょ? 覚えていても不思議ではないわ』
モトキは納得できなかったが、否定も出来なかった。
浄化と言うものが、実際にどういうものかは分からない。
しかし仮にモトキの魂が浄化されても、イサオキとエアの事を完全に忘れられるのかと言われたら、少しくらい覚えていられるような気がするのだ。
『エアも何らかの方法で、記憶を持ったまま転生して――』
「……いや違う。エアなら俺の事は、モト兄って呼ぶ。俺に何かを伝えたいのなら、呼び方を変える意味がない」
『ならイサオキ?』
「確かにイサオキは、兄さんって呼ぶけど……」
イサオキが300年生き続ける可能性。
神の加護があるのだから不可能ではないだろう。
モトキの為にそれくらい生き続けようとしても不思議ではない。
「……それも違う。俺が転生するまで生きることが前提だとしたら、イサオキは女性の体を絶対に選ばない」
『断言したわね』
「するさ。イサオキならこう考えるはずだ。「兄さんの妹はエアだけだ」ってね。だから俺の妹には絶対にならない」
『それって重要なことなの?』
「重要なことだ」
ちなみにモトキが女になることは重要ではない。
元からモトキは、イサオキとエアの兄であると同時に、父親代わりであり、母親代わりでもある。
そこに姉要素が加わったところで、大した影響はないのだ。
「この際「兄」が誰を意味するかは置いておこう。気になるのは「彼の力」と「気を付けて」だ」
『アンネ達を攫った奴は、何か特別な力を持っているってことかしら』
「あの女の人の言っていることを信じるならな」
金色の女性が、荒唐無稽なことを言っている可能性もある。
しかし彼女の声は、どうしようもなく2人の心に響いたのだ。
「……気を付けるに越したことはないよな」
『そうね。実際相手は、護衛騎士のアラビスごと、アンネを攫った手練れなんだから』
「お姫様ー!」
先程落としたロープを登り、カリンが飛行船までやって来た。
「お怪我はないですか!」
「ああ、誰かと戦ったわけじゃない」
「その前に飛行船に突っ込んで……いや、いいです。お姫様1人ですか? 話し声が聞こえたですけど」
「声に出てたか。ただの心構えだ」
カリンに続いて、ソフィアを背負ったカリスト。
最後にはアルステーデが乗り込んだ。
「アンネは?」
「まだ確認してない。たぶん奥だと思う」
「よし、俺とアルステーデが前に出る。カリンは姫達を頼むぞ」
「……分かったです」
カリンは一瞬だけ言い淀んでから了承した。
セラフィナとソフィアを守ること自体は、とても重要な事であり、騎士としてこれ以上なく名誉なことである。
しかしどうしても、カリストとアルステーデと比べて、実力が劣っている考えてしまうのだ。
「……行くぞ!」
カリストが勢いよくドアを開け、一行は逸の中に雪崩れ込む。
1つ目の部屋には誰も居らず、どんどんと奥へ進んでいく。
そして一際大きな部屋に出ると、その奥には大きな椅子が備え付けられており、眠ったアンネリーゼが座らされていた。
「アンネ!」
「他には誰もいないのか?」
「アラビスは?」
「ここだ」
大きな椅子の後ろから、アラビスが姿を現した。
「……他には誰もいないのか?」
「ああ、わざわざ私達の為によく来てくれた。アンネ様は、この通り無事だ」
アラビスは、微笑みながらセラフィナ達の方へ歩き出す。
この部屋には敵は居ない。
救出対象である2人の無事も確認できた。
それでもセラフィナ達は、警戒態勢を解かなかった。
「あなた達を攫った奴は?」
「ここに来るまでに会わなかったか?」
「あいつ等だけじゃ無理だ。護衛騎士であるあなたが、あいつ等に後れを取る程度だというなら別だけど」
「これは手厳しいな」
セラフィナ達の知るアラビスは、騎士然とした固い性格の男だった。
しかし目の前のアラビスは、どうにも言動が軽く、飄々としている。
「気配は同じ……見世物って訳じゃないな。残念なことに」
「どういうことかな?」
「まどろっこしい! はっきり言ってやるよ! 青の姫を攫ったのはお前だな!」
カリストは、アラビスを糾弾する。
今まで誘拐犯は、護衛騎士を一方的に無力化できる程の力があると仮定していた。
しかし、その護衛騎士が犯人だとすれば、そんなものは必要ない。
「ああ、その通りだ」
アラビスは、悪びれもせず認めた。
それどころかニヤニヤと笑っている。
カリストは剣を抜き、アラビスに向かって切りかかる。
アラビスも自分の剣でそれを受けた。
その隙にアルステーデが、アンネリーゼの下に回り込む。
「下賤な者が、アンネに触れるんじゃない」
アラビスは、オルキスの剣を弾き、アンネリーゼに近付こうとするアルステーデを迎え撃つ。
すかさずカリストは、アラビスに追撃する。
手練れ2人の猛攻に、アラビスはどんどん劣勢になっていく。
「ちっ! ファイヤーウォール!」
アラビスは、2人との間に魔術で炎の壁を作り出す。
カリストとアルステーデは、たまらず後方へ下がる。
「エクスティング!」
ソフィアは、水の膜でファイヤーウォールと包み込むと、即座に消火した。
「2人とも安心して燃やされて! ボクが1秒で消火するから!」
「頼りになるぜ!」
「それでいいのですか!?」
カリストは気にしない。
エクスティングは、魔力の消費量がとても多い魔術である。
消費魔力量1の炎を消すのに、5の魔力を消費するのだ。
「アンネの話から、アラビスの凡その魔力量は分かる! ずっと誤魔化し続けたのでなければ、その余剰魔力量は間違いなくボクの20パーセント以下!」
「なるほど、これは少々厄介だ」
「いいや、積みだ」
炎の壁と、それの章かに全員が気を取られている隙に、モトキがアンネリーゼの元に辿り着いていたのだ。
「ほう……」
「あっ! いつの間に!」
「チャンスだったもんで、ついね」
アラビスよりカリンの方が驚いている。
いくら護ろうとしても、すぐに遠くへ行ってしまうのだ。
アラビスは、完全に追い込まれた状況だ。
ここから拘束することは容易だろう。
しかしアラビスは、余裕そうな態度と表情を崩さなかった。
『まだ何か奥の手があるの?』
(嫌な予感もする。不用意に近付くのは危険か?)
モトキは、アラビスの奥の手を警戒して、説得を試みることにした。
「何でこんなことをした?」
「理由ですか? 知れたこと。アンネを手に入れる為ですよ」
「やっぱりロリコンでしたか……」
「あなたにどう思われようとかまいませんが、私の愛はアンネだけのものです。だというのに……何故アンネは、あんな青臭いガキに!」
アラビスは、怒りを露わにする。
飛行船で再開してから、ずっと笑い続けていた表情が、初めて崩れた。
『エドブルガの事?』
「その青臭いガキと同い年に欲情してる、お前が言えた台詞か!」
モトキは、自分がアラビスと大して年が変わらないことは、気にしないことにした。
そもそもセラフィナに抱いている感情は、アラビスのそれとは違うのだ。
「アンネは騙されているのだ! 四色王国から遠く離れた地に行けば、いずれその事実に気付くだろう!」
「そうかよ。テメェの言ってることが妄言だって、実証することが出来ないのが残念だぜ」
「あなたはここで終わりですよ!」
アラビスは再びにやけた表情を見せる。
すると剣を捨て、懐から漆黒の刃のナイフを取り出した。
刃は金属ではなく、半透明な鉱石で出来ている。
「なんだ? 凄い嫌な感じだ……」
『あれが切り札ということね!』
「させるかよ!」
カリストとアルステーデが、アラビスに切りかかる。
するとアラビスの周囲に、黒い衝撃波が走り、2人を弾き飛ばした。
「なんだこれは!?」
「正直予想外だった。まさかあなた達が、こんなに早く追いかけてくるとは思わなかったのでね。できればこんな意味の分からないものに頼りたくはなかったのだが……」
アラビスは、黒いナイフを自分の胸に突き刺した。
口から大量の血を吐き、痛みに膝を突く。
「なっ!」
「ふ、ふふふっ、何故私がこのタイミングで……海竜が現れたタイミングで行動を起こしたと思う?」
「まさか海竜が現れることを知っていたのか!?」
「そうだ、そして王達が海竜討伐に向かうこともな! 故にここには1人もいない!」
黒いナイフがアラビスの体内に吸い込まれると、全身から黒いオーラを放つ。
それはやがて、アラビスの眼に吸い込まれていった。
「魔人を殺せる存在は!」




