659 魔術王
「オルキス、大丈夫?」
「今年もダメだったか……」
発表を終えたオルキスは、セラフィナに背中をさすられながら項垂れている。
まだ船酔いの影響が残っているだけではなく、今回使用した魔術はオルキス渾身の作品であり、絶対の自信があった。
しかし結局船酔いしてしまった事が、とてもショックだったのだ。
「けどおかしいっすね。練習でもあの船に乗ってたっすけど、その時は大丈夫だったっすよね?」
「毎年こうなのよ。練習では大丈夫なのに、本番だと失敗する。術式にも、魔力運用にも、ミスは見られないのだけど……」
「本番の緊張が、酔いやすくしているのではないでしょうか」
「そうかねぇ……そうかも……」
コンテストは昨年の上位5名の発表という、盛り上がりどころだというのに、オルキスの嘔吐により、少々盛り下がっていた。
パフォーマンスも含めて、良くも悪くもインパクトが強すぎたのだ。
「メンケントの一件の印象は払拭できただろうけど、このまま終わるのは頂けないわね」
「すまんな、ワシのせいで……」
「オルキスだけのせいじゃないわよ。私達は研究者なのだから、派手なパフォーマンスで、会場を盛り上げるのに向いてないのよ」
だがこのままで終わる訳にはいかない。
既にメンケントの件のイメージを上書きする事には成功しているが、初観戦者を魔術の世界に引っ張り込むには、終盤の盛り上がりが1番大事だ。
それは最後のセラフィナだけが頑張ればいいというものではない。
クライマックスに向けて、盛り上がる流れを作らないといけないのだ。
「……まあ無用の心配でしょうけどね」
「さあさあ、いよいよ登場するのは昨年準優勝! 赤の国の第3王女! 魔術界の秘宝、魔宝姫の1人! ソフィア選手の登場だ!」
先程まで盛り下がっていた雰囲気を一蹴するほどの、凄まじい歓声が会場内に響き渡る。
初観戦者が見に来たのはこの為だ。
魔人殺しの英雄が1人、ソフィア・ドレッドノートの雄姿を。
しかし疑問に思う者達もいた。
ソフィアは初参加から前回まで、助手には同じ魔宝姫であるセラフィナが付いていた。
しかし今回ソフィアの助手を務めているのは、ラクダの着ぐるみを着た謎の人物だ。
背丈からセラフィナでない事は明らかである。
「こんにちは、ソフィア・ドレッドノートです! 今年もこの栄光の舞台に立つ事が出来き、歓喜の極みです!」
ソフィアの言葉に答える様に、観客が歓声で返す。
しかしそれに反して。ソフィアの声のトーンが、僅かに下がる。
「始める前に、皆様にお伝えしなければならない事があります! 既に知っている方もいると思いまずが、このコンテストで数々の偉業を成し遂げ、魔術界を牽引し続けたフリージア選手! 彼女は半年前に、魔人との戦いに参戦し、命を落としました!」
会場が一転静まり返る。
魔人との和平を考えると、影響力のある立場にあるソフィアが、魔人に悪印象を与える発言は控えるべきだろう。
しかしこれは、ソフィアにとって必要な行程なのだ。
「私と親友のセラフィナは――いえ、多くの魔術研究者の方々にとって、フリージア選手は越えるべき目標であったと思います! しかし私は……私達はフリージア選手を越える事は出来なくなってしまいました!」
初めて参加した魔術コンテストを終え、その際にセラフィナとソフィアは誓いを立てた。
フリージアを越えて優勝すると。
しかし2人は優勝こそしたが、フリージアが参加していなかった為、その誓いが果たされる事はなかった。
「ですが私は諦めてはいません! 直接越える事が出来ないのなら、実績で越えて見せます! その最初の一歩が今日この時! 私は優勝し、魔宝姫の二つ名を返上し、魔術の王となります!」
会場は再び盛り上がる。
そしてソフィアの発表が始まった。
ソフィアが発表する魔術は、派生属性である木属性の魔術だ。
ソフィアはステージの中央に巨木を生やし、周囲に花を咲かせた。
その文字取り華やかな見た目と、フリージアにしか成す事の出来なかった派生属性魔術。
そして芸術品のように美しく洗礼された術式は、フリージアの姿を彷彿とさせた。
「ソフィア……素晴らしいわ! 凄まじいわ! あなたは私の最高の好敵手よ!」
セラフィナはソフィアの魔術に、鳥肌が立つほど圧倒され、同時に歓喜に打ち震えていた。
ソフィアに向けられた歓声が、控室のガラス窓越しからでも、セラフィナの全身に響いている。
「凄い盛り上がりっすよ! セラさん、勝てるんすか!?」
「去年の私なら絶対に勝てなかったわ。でも今年の私も、魔術界の歴史を変えるものよ! さあキテラ! テティス! 行くわよ!」
「はい」
「想像の10倍緊張するっすね!」
「姫さん、しっかりな。2人も姫さんの事を頼んだぞ」
セラフィナはキテラとソフィアの2人を助手としてステージに向かう。
その途中で、発表を終えたソフィアとすれ違った。
しかしお互いに視線を合わさず、言葉は交わさず去っていく。
必要な言葉は、先程の発表で全て受け取った。
その返事をするのは、同じステージの上が相応しい。
「さあ最後はこの人! 前回優勝者にして、ソフィア選手と同じく、魔宝姫の称号を持つ者! 白の国の王! 最強の魔人殺し、剣姫! セラフィナ選手の登場だ!」
テティスがセラフィナとキテラを抱え、大ジャンプから空中回転をし、ステージに着地する。
その派手な登場と、ソフィアによって最高の発表により、会場の盛り上がりも天井知らずだ。
「ソフィア! さっきのは宣戦布告と受け取ったわよ! 優勝し、魔宝姫の二つ名を返上し、魔術の王となる! 望むところよ! フリージアさんを越えるのは私よ!)
セラフィナは発表を始めると、キテラとテティスの手を握る。
リンクコントロールの魔術で、2人に刻まれた術式の主導権を自分に移す。
(神の加護を失って、私は魔術を殆ど使えなくなってしまった。けれど私は1人じゃない。魔術師ではなくなっても、魔術研究者として生きていける!)
セラフィナが2人の術式を起動させると、セラフィナとキテラ、テティスの2組に分かれ、会場の両端に移動した。
「開け時空の扉! 術式強制発動! キースペル、セラフィナ21式バージョン4.0! ホワイトホール!」
キテラとテティスが正面に手をかざすと、そこに白い穴が出現する。
それを見たエアは驚愕した。
「あれは私の空間転移能力!?」
「はい、あれはお姉さまが、エアさんの力を模して作ったものです。仕組みは別物らしいですが」
セラフィナは考えていた。
将来魔人が受け入れられるようになれば、エアの能力は世界中で広く使われ、物流事情を一変させる事になるだろうと。
しかしエアという個人に依存したシステムは危険極まりない。
魔人の寿命が長いとはいえ、不老不死ではないのだ。
魔王が完全に消滅した事により、その寿命もどの程度か分からない。
エアの命が尽きれば、世界の物流が止まる事になってしまうのだ。
だからセラフィナは、エアの魔法を魔術で再現した。
キテラとテティスという、アステリア最上位の魔力量を誇る2人がいて、ようやく成り立つ大魔術だが、改良を重ねて行けば、将来世界を変える事になるだろう。
セラフィナは魔術の内容を説明すると、実演の為に、キテラ側の白い穴に入って行った。
(あとはテティス側の穴から勢いよく飛び出して、決めポーズよ! 派手さではソフィアやオルキスに劣るけど、魔術の内容では――え?)
セラフィナがテティス側の白い穴から姿を現す。
しかし派手に飛び出すはずが、セラフィナの足取りはゆっくりである。
そして振り返り自分の左腕を見ると、その腕をボロボロの布切れを纏った何者かが掴んでいた。




