18 羊牧場
「それでセラフィナ、どうやって城から出る気だ?」
「どうって、城の門が開いた時にこっそり通るしかないでしょ?」
「そんなことだろうと思った」
シグネは呆れた顔をしている。
セラフィナは真面目に答えたというのに、この反応には納得がいかなかった。
「いいか、門の前には1日中門番が立ってるんだ、見つからずに通ることは不可能なんだよ」
「そうなの?」
セラフィナは城から出たことがないので見張りの存在など想像もしていなかった。
モトキは最初に城に来た時のことを思い出す。
城の周りは水堀で囲まれており、城と街を繋ぐ通路は正面にかかる橋が1つのみ。
そして橋の前には2人の門番、城の中には兵士がずらり。
こっそり通り抜けるなどまず不可能であろう。
「それじゃあ外に出るのは無理だね……」
「いや、実は城の外に通じる隠し通路があるんだ。俺は何回かそれで外に行ったことがある」
「そうなの!? 隠し通路なんて初耳なんだけど!?」
「城の中を探索してるときに偶然見つけたんだよ。玉座の間の後ろにあったから、たぶん王族がいざというときに通る道なんだろ」
そういう訳で一行は玉座の間に向かうことにした。
途中で兵士やメイドとすれ違い挨拶をされたが、それは問題ない。
問題があるのはリツィアやキテラといった、3人の予定を把握している人物と遭遇することだ。
3人は慎重に、且つ不審に思われないよう堂々と玉座の間を目指す。
『シグネ君、どんどん引っ張っていくな。そういえば長男だったな』
「シグネは子供っぽいけど、私が姉には見えないでしょ?」
セラフィナは小声で答える。
心の中にいるモトキにはかなり小声でも十分聞こえ、移動しながらなら他にはまず聞こえないのだ。
『いや、エド君はセラフィナのこと姉さんって呼んでたし、2人の間にもう1人いるほど年が離れてるとは思わなくて』
「そうね。私とエドブルガは2ヶ月しか歳変わらないから」
『ん? おかしくない?』
どう考えても計算が合わなかった。
この世界の妊娠期間が何日かは分からなかったが、少なくともリツィアは3ヶ月以上妊娠状態なのだ。
「私は2人と母親が違うのよ。異母兄弟ってやつ」
『そうなの!?』
全く予想していなかったカミングアウトである。
モトキはとても驚いたがセラフィナは平然としていた。
(まあ王族なら側室の1人や2人いてもおかしくはないのか? けどそれならリツィアさん以外の母親はどこにいるんだ?)
「……よし、今は誰もいない。2人とも入っていいぞ」
モトキがモヤモヤと考え事をしているうちに、3人は玉座の間の前までたどり着いていた。
シグネが玉座の間の扉に耳を当てて中を確認すると、幸いなことに今は誰もいなかった。
玉座の間の裏には確かに隠された扉があったが、妙なことにその扉にはドアノブも引手もなく、押してもびくともしない。
すると扉を何とか開けようとしているセラフィナとエドブルガを見て、シグネがニヤニヤと笑っていることに気付いた。
「開け方知っているのでしょ? 早く教えてよ」
「しかたねぇな。この扉はこうやって開けるんだよ」
シグネは掌に魔力を通し扉に触れると、扉は天井に向かってスライドした。
そしてシグネは力なく、膝から崩れ落ちた。
「何やってるんだよ、兄さん!? 兄さんは魔術を使う魔力なんてないだろ!?」
「今、生命活動に必要な分を使ったわね!? 死ぬ気!?」
「いや、すげぇ疲れるけど死んだりしないって」
そう言うとシグネはあっさりと立ち上がった。
地球で言うなら大量に血を抜くような行為である。
相当加減を間違わなければ死にはしないだろうが、貧血になりかねない。
病弱だったころのセラフィナなら、これでも十分死んでいただろうが。
「まずは俺がやった方が2人ともビックリすると思ってさ。ま、出口と帰りは2人に任せるけどな」
「初めにこの扉見つけた時、よくそんな開け方をしようと思ったわね……」
「残りの扉は僕が開けるよ……」
2人に呆れられつつも、シグネは隠し通路の中に入って行き、2人もそれに続く。
四方を石で舗装された通路で、窓や明かりの類は一切なく、シグネが取り出したランプの明かりを頼りに進んでいく。
かなり音の響く空間なので、流石にここでは内緒話は出来ず、モトキは先ほどのモヤモヤを抱えたままま黙っている。
「あ、そうだ。私今日の計画が成功したらリシス叔母様の稽古に参加するつもりなの」
「本当に?」
「ええ、城を抜け出せるくらいの体力があれば大丈夫かなって思って。だから成功したらよろしくね」
それを聞いてエドブルガは嬉しそうにしている。
シグネは自分との約束があるとはいえ、セラフィナが嬉々として稽古に参加する意思を見せたことに少し驚いていた。
まさか剣の稽古より遥かに大変な筋トレをしているとは夢にも思わなかったからだ。
(剣の稽古を始めれば、モトキの筋トレをやらない大義名分になるわ……)
「それにしても元気になったよね、姉さん」
「ああ。ちょっと前まで城を抜け出そうとか絶対に無理だったのにな」
「元気の神様が奇跡を授けてくれたのよ。ありがたいことだわ」
「なんだそりゃ?」
適当にはぐらかしている様で殆ど事実である。
病弱だったセラフィナは産まれてから一度も外に出たことがない。
そのためモトキの願いを抜きにしても、セラフィナはいつか外に出てみたいと思っていたのだ。
それから雑談を交えながら20分ほど進むと行き止まりに辿り着いた。
シグネの指示でエドブルガが壁に魔力を通すと、隠し通路の入り口同様、壁が上方にスライドする。
そこは古びた木の小屋の中だった。
「ここから出ると城下の街だ。お前等、出る前に眼の色を変えるんだぞ」
「エドブルガ、キースペルは覚えている?」
「うん、カラコン!」
セラフィナとエドブルガが魔術を使用すると、瞳に対する光の反射率が変化し、シグネと同じ青色に見えるようになった。
「どうかな? ちゃんと変わってる?」
「ええ、大丈夫よ」
「よし、それじゃ行くぞ!」
シグネが扉を開け小屋から出ると街の少し高い場所に出た。
「ここが城下の街……。広い、それに人も大勢……」
セラフィナは初めて出た城の外の景色に目を奪われていた。
様々な建物、行きかう人々、交し合う声、駆け抜ける風、遠くに見えるいつも居るはずの城。
それは窓から見下ろしていただけでは分からなかった光景だ。
セラフィナは口元を抑えて、眼に涙を浮かべている。
「姉さん大丈夫?」
「こんなの知らない……。私……城を出てよかった」
セラフィナは感極まっていた。
そして今までで一番強く実感した。
自分はもう今までの自分ではないのだと。
「それで、羊牧場はどっちだ?」
「えーと……」
『ちょっと待って。城の正門があそこだから現在地は……よし』
「牧場はこっちだよ」
セラフィナが落ち着きを取り戻すのを待ち、改めて目的地である羊牧場へと向かうことにした。
モトキのナビゲーションに従い、2人を先導するように牧場に向かって進んでいく。
『モトキ……』
「ん? どうした?」
『ありがとう。モトキが私の体を治して、鍛えて、羊をモフりたいって言わなかったら、こんな世界を一生知らないところだったわ』
「そりゃ良かった」
モトキが牧場までの道順を正確に覚えていた為、然程時間がかからずに到着することが出来た。
柵に囲われた広い敷地には、何十匹もの羊が放し飼いになっている。
「うわー」
「凄い! 羊がこんなにいっぱい!」
「触らせてもらえないか聞いてくる」
シグネは牧場主の男性に羊を触らせてもらえないか交渉していると、その背後に奥さんらしき人は赤ん坊を抱えているのが見えた。
それはモトキが転生先の候補としていた女の子だ。
『無事に生まれたんだ。良かった』
程なくしてシグネは戻ってきた。
どうやら羊を触りたがる子供は偶にいるらしく、その対応にも慣れており、快く了承してくれた。
「けれどゆっくり優しく触るんだよ。機嫌を損ねて蹴られたりしたら大変だからね」
「「「はーい、ありがとうございます」」」
3人は元気よく返事をすると、1頭の羊に近づいて行く。
牧場主が大人しく触りやすいと教えてくれた1頭だ。
「まずは姉さんからだね」
「私から?」
「お前が言い出しっぺだろ? 早く触ってみろよ」
「うん」
セラフィナはモトキと入れ替わり、羊の毛にゆっくりと触れていく。
羊の体毛は深く、腕がひじの辺りまで吸い込まれていった。
「お、おぉおおお!」
続いて体を羊に預け、全身で羊の毛を堪能する。
想像以上の柔らかさと心地よい暖かさに、モトキは幸福感に包まれていった
「ヤバイ、これは想像以上のモフモフだ。ほらセラフィナも」
『いいの? なら遠慮なく』
セラフィナもモトキ同様、羊の毛に触れて埋もれていく。
セラフィナにとって完全未知の感覚に、本日2度目の衝撃を受ける。
「はあぁあああ、駄目。これは人を駄目にする魅惑のモフモフだわ……」
堕ちた。
セラフィナはモトキ以上に羊の毛にハマってしまったのだ。
その後、全員が羊の毛を十分に堪能すると、適当な場所でしばらく休憩し、持ってきた弁当を食べ、城に帰ることにした。
「あぁ、今日は素晴らしい一日だったわ。楽しくて、頭が活性化して、今なら凄い術式が組めそう」
「結局術式に行きつくのかよ。ま、楽しかったのは同意だな。また来ようぜ」
「うん、またいつか来れるといいな。みんなで」
3人は楽しそうで良い顔で笑っている。
それはモトキも同様だった。
しかしそれと同時に在りし日の記憶も呼び覚まされたのだ。
(昔はイサオキとエアと一緒にこうやっていろんな場所に行ったな。凄く楽しかった。幸せだった。けどもう……)
モトキはセンチメンタルな気分に浸っていた。
更に幸せで楽しい時間がモトキの危機感知を鈍らせてしまった。
隠し通路のある小屋へ向かうには、人通りの少ない裏路地を経由する必要があった。
そこは襲うには絶好のスポットなのだ。
背後から何かが落ちる音がし、振り向くと丸い球状の何かが炸裂し、3人を煙が襲った。
『しまった!』
「何だこりゃ!?」
「2人とも、吸っちゃ駄目!」
「だけど――」
3人はその場から逃げようとしたが、突如強い眠気に襲われ、その場に倒れこんでしまった。




