12 散歩
セラフィナは夢を見ていた。
真っ白で果てが見えないほどどこまでも広い空間。
その空間にポツンと1つだけある横長の四角い物体。
近づくとそれは木で出来た箱だということが分かった。
中には花がいっぱい敷き詰められており、その中で1人の男性が眠っていた。
体は半透明で、陶器のように砕けてバラバラだ。
見慣れぬ真っ白な服に身を包み、頭には三角の布を巻いている。
文化が違うためセラフィナには馴染みがなかったが、それは棺と死装束。
「……モトキ?」
セラフィナは彼のことを知らなかった。
だが何故かここで眠っている男性が、2ヶ月前に自分が呟いたという「もとき」であるような気がしたのだ。
「あなたがモトキなの? あなたは一体何者なの?」
セラフィナの問いにモトキは何も答えない。
それはミタカ モトキの魂であったもの残骸であり、それ以上の意味を持たなかった。
「あなたが私を助けてくれたのかしら? だとしたら私は――」
気が付くとモトキはどこかに消えており、場所は城の中に代わっていた。
セラフィナが城内を必死になって歩いていると、逆立ちで高速移動するシグネとエドブルガに追い抜かれてしまう。
脈絡がなく、ありえない光景で、状況がコロコロ変化していく。
セラフィナは正しい意味で夢を見ていた。
そして朝目が覚めると、夢で見たことはすっかり忘れているのだ。
・
・
・
「ひぃ……ひぃ……」
「姫様、あと少しです」
セラフィナが目覚めてから5日。
ハイハイから始まり、手すりや人の肩を借りながら歩くことを経て、ようやく自分の足だけで歩けるまで回復した。
現在は城内をぐるりと散歩中である。
キテラに励まされながら、セラフィナはゆっくりだが確実に歩を進めていく。
セラフィナがようやく目的地に到着すると、そこで待っているキテラに倒れこむように抱きついた。
「頑張りましたね、あとは戻るだけですよ」
「ぜぇぜぇ……。何でこの城はこんなに無駄に広いのよ……。キテラ、帰りはおぶって……」
「それは姫様の為にならないのでお断りします。姫様の為にならないので」
「そこを強調して言われたら何も言い返せないじゃない……」
セラフィナの傍付き、キテラ。
虚弱で病弱なセラフィナの生活をサポートする彼女専属のメイドだ。
セラフィナは彼女のことを強く慕っており、無条件に甘えられる相手である。
もっともキテラの方は無条件で甘やかしてくれるわけではないが。
少々厳しいことを言うが全てセラフィナを想ってのことであり、セラフィナもそれをよく理解していた。
「分かっているわ。今の私の体力じゃ魔術コンテストの行われる無色の大陸への旅には耐えられない。来年こそ参加するために今は頑張るわ」
「はい、ですが無理はいけません。少し休憩にしましょう」
そういうとキテラはシートを地面に敷き、お茶と軽食を取り出す。
セラフィナは人心地が付き、中庭の方に目をやるとエドブルガが剣の稽古をしていた。
エドブルガを指導しているのは、白く長い髪を束ねた女性。
イオランダ王の妹であり、白の国騎士団の副団長リシストラタ。
セラフィナ達の叔母である。
セラフィナがエドブルガ達に手を振っていると、その存在に気が付いたようで駆け寄ってきた。
「姉さん、散歩の休憩中?」
「ええ、エドブルガも頑張っているようね。シグネは一緒じゃないの?」
セラフィナは体が弱いため免除されていたが、剣の訓練は白の国の王族の義務である。
なので当然シグネもエドブルガと共に稽古を受けているはずなのだ。
しかしここにはシグネのシの字もなかった。
「まったく、シグネには困ったものです。素晴らしい剣才を持っているというのに、地味な鍛錬は嫌だと今日もどこかへ逃げ出してしまいました」
リシストラタは溜め息を付き、やれやれと肩を落としている。
「僕が弱いのもあると思うよ。稽古は僕に合わせてやっているから、僕よりずっと強いシグネには退屈なんだと思う」
「強さに関わらず基礎というものはどこまで行っても有効なものなのですが」
セラフィナはリシストラタの言葉にうんうんと同意した。
剣のことはさっぱりだが、魔術の世界でも基礎の重要性は変わらないからだ。
「ほぅ、セラフィナにも分かりますか。ではあなたも一緒にどうですか? 体を鍛えるなら剣を振ることは効果的ですよ?」
「はははっ、死んじゃう……」
セラフィナは虚弱故に圧倒的に打たれ弱く、稽古で使っているのは木剣とはいえ、いいのを貰えばあっさり死んでも不思議ではない。
そしてただ散歩をしているだけでも大変だというのに、剣の稽古など絶対に嫌だった。
「そうですか。ですが気が変わったらいつでも言ってください。歓迎しますよ」
「ええ、機会があれば……。そろそろ行くわ。エドブルガ、頑張ってね」
「うん、姉さんも」
セラフィナはもう少し休んでいたかったが、これ以上ここに留まっては危険と判断し散歩を再開しだす。
来た時とは別の通路を使うため、少々距離が長くなっているが、途中にセラフィナのお楽しみあまり部屋があるため苦ではなかった。
たどり着いたのはセラフィナの魔術の師、オルキスの部屋である。
セラフィナが部屋の戸を叩くと、やや白髪混じりの初老の男性が出てきた。
「おお姫さん、さっき帰ってきましたよ」
「お帰りなさい、オルキス。魔術コンテストの結果はどうだった?」
「今年は6位。ベスト5は全員青の国の連中よ」
青の国とは、白の国の東方。
無色の大陸を挟んで逆側に位置する友好国である。
世界で最も魔術研究者の多い国で、オルキスの故郷でもある。
「流石は魔術の総本山ね。私もいつか行ってみたいわ」
「あそこは魔術研究者なら一度は行った方がいいですからね。住み続けるなら白の国が一番ですが。そうそう、姫さんにお土産ですよ」
オルキスが取り出したのは、今年の魔術コンテストの上位入賞術式が記載された資料である。
それを受け取ると先ほどまでの疲労はどこへやら。
セラフィナは幼い子供のようにはしゃぎだした。
実際まだ8歳である。
セラフィナがさっそく資料を読もうとするとキテラにヒョイと取り上げられてしまった。
「そういうことは部屋に帰ってからです」
「そんなー」
「おいおい、キテラ。姫さんだって魔術研究者の端くれだ。こんなお宝を前にしてお預けなんてそりゃないぜ」
「今読んだら興奮して体力を使い果たしてしまいますよ」
「うっ……」
「あー、ありそうだな……」
ぐうの音も出なかった。
セラフィナは魔術のことに関すると周りが見えなくなることがよくあり、彼女自身もそれは自覚しているのだ。
セラフィナは渋々納得し、一刻も早く部屋に戻るため散歩を再開した。
「それじゃあオルキス、また来るわ。資料ありがとう」
「おお、いつでも来な」
セラフィナは逸る気持ちを抑えながら、早歩きで部屋に向かう。
そのおかげで行きより長い距離だったというのに、短い時間で戻ることができた。
「よし、見るわよー!」
「いえ、先にお風呂へ行きましょう。そんな汗だくの姿で王のいる食卓に着くわけにはいきません」
「そ、そんな! ちょっとだけ! ちょっとだけでいいから読ませて! ほら、予定より早く戻ってこれたわけだし!」
「ちょっと読んで、そのあと我慢できますか?」
「できない! 私の馬鹿―!」
結局セラフィナが資料を読めるようになったのは夕食の後であった。
「姫様、あまり夜更かししては駄目ですよ。魔術のこととなると平気で徹夜するんですから」
「はははっ、気を付けるわ」
気を付けはするが、それを実行できるかは怪しかったので、既に寝る支度は済ませてある。
これでいざとなれば強引に寝る方法があるのだ。
キテラが部屋を後にすると、セラフィナは待ちに待った資料を読み始めた。
「今年の優勝は……フリージア選手! 流石は優勝回数7回の天才魔術研究者! そしてこれがフリージア選手の術式! 素晴らしいわ! まるで美術品のような美しさ! それでありながらこの魔術の完成度と汎用性! パーフェクトよ!」
セラフィナ大興奮である。
「2位は……パウリーナ選手!? 前回は選外だったにいきなり2位!? 凄い、なんて奇抜な術式なの! 今までの常識から逸脱した新次元の術式! これで本当に成り立つの!? あぁ、再現してみたいわ!」
セラフィナは興奮のあまり、とても人には見せられないような笑顔で不気味に笑っている。
「嘘っ!? 何この消費魔力量! こんな微小な魔力でこんな……しかも火属性! ひょっとして私の魔力でも使えるじゃないかしら!」
思い立ったら即実行。
セラフィナは特殊な羽ペンを取り出すと、右腕に資料と同じ術式を描いていく。
書き終わるとインクはスーッと無色透明となり見えなくなった。
そこに魔力を流し込むと、先ほどの術式が再び浮かび上がるのだ。
セラフィナは右手を胸に当たると目を瞑り意識を集中させ、魔術を発動させた。
「ヒートスキン!」
魔術名を唱えるとセラフィナの体が赤い光に薄っすらと包まれていく。
しかしそれはすぐに消えてしまい、セラフィナは足に力が入らなくなり、ベッドに倒れこんでしまった。
「駄目か、魔力が足りないわ。これならギリギリいけると思ったんだけどなぁ……」
目論見が外れ落胆していると、酷い疲労感と眠気に襲われた。
これがセラフィナの強引な睡眠方法、魔力枯渇である。
まだ資料を読んでいたいという気持ちはあったが、流石のセラフィナも限界を感じモゾモゾと布団の中に潜り込む。
(はぁ、エドブルガ程とは言わないけど、せめてもうちょっと魔力があれば研究が捗る……のに……な……)
セラフィナは布団に入ってから1分も経たないうちに深い眠りについた。
特に夢も見ない深い眠りである。




