救い
(1)
マリオンはベッドの中に横たわりながら、昨日の夕方に届いた自分宛ての手紙を読んでいる。手紙の送り主の欄には、『イングリッド・メリルボーン』と書かれていた。
内容を一通り読み終えると、大きく寝返りを打っては頭を抱える。
こんな風に昨日の夜から、手紙を読み返す度に何度となく繰り返している。
手紙の内容は、メリルボーン家の計画に謀らずも巻き込んでしまったことへの詫びと、父クレメンスやクロムウェル党の悪行を白日の元に暴いてくれたことへの礼が書かれていた。そして最後の一文にはこう記されていた。
『数々の罪を犯した最低の人間である私ですが、貴方には幸せでいて欲しい、と強く願っています』
どうして、皆、自分の事よりも、こんな僕の幸せを望むのだろうか。
イングリッドだけではない、ハルもそうだった。
自分は、イングリッドもハルも救えなかったのに。
実父のファインズ男爵のような権力もなければ、ランスロットのような腕っ節の強さもない、どうしようもないくらい非力で役立たずな人間だと言うのに。
結局、いつも最後には誰かが手を差し伸べてくれなきゃ、何も出来ないと言うのに。
誰でもいいから、これ以上ないくらい、ぼろ糞に僕を非難し、罵倒して、殴ってよ。
皆からの優しさが却って、痛くて痛くて仕方がないんだーー。
コンコン、コンコンーー
部屋の扉を叩く音と共に、「にいちゃん、ごはんだよーー」と、ノエルが部屋に入って来た。
「……うん、分かった。すぐ行くよ」
マリオンは、ノロノロと緩慢な動きで半身を起こす。すると、ノエルがマリオンの腕を掴んで、薄いブルーの瞳でじぃっと見つめる。
「にいちゃん、どうしたの??おなかいたいの??」
ノエルは、シーヴァ譲りの整った顔に心配そうな表情を浮かべて、マリオンの顔を覗き込む。幼いながらに、マリオンの様子がおかしいことを気にしているのだろう。
「……大丈夫だよ、ノエル。すぐに着替えて居間に行くから、イアンさんとシーヴァと一緒に待ってて」
マリオンの言葉に素直に頷きつつ、ノエルは彼を何度も振り返りながら部屋から出て行き、程なくしてマリオンも部屋から出て行く。
居間のテーブルで朝食を食べていると、イアンから「マリオン、ちょっと付き合って欲しいところがあるから、この後一緒に出掛けないか??」と、声を掛けられる。
「……いいですよ……」
「……そうか。じゃあ、早速だが朝飯食べたら、すぐに出掛けるぞ」
イアンが仕事以外で何処かへ出掛けようなんて誘ってくるのは、子供の頃以来だ。
もしかしたら、ずっと塞ぎ込んでいる自分の暗い気持ちを紛らわせようとしてくれているのか。
嬉しいというよりも、申し訳ない気持ちでマリオンはいたたまれなくなったが、断る理由もないため、素直にイアンの言葉に従うことにした。
(2)
朝食後、子供達をシーヴァに預け、イアンとマリオンは家から離れ、街中をひたすら歩き続けた。
外に出るのはハルの葬儀以来だったマリオンは、通り過ぎる家々のドアノッカーに飾られたクリスマスリースや、ちょっとだけ裕福であろう家の前に置かれた、オーナメントが吊るされたクリスマスツリーを目にする。
「……そう言えば、もうすぐクリスマスなんですね……」
いつもより華やぎ、活気づいた街の様子を何処か遠い目で見つめながら、マリオンは呟く。
「何だ、忘れていたのか??そう言えば、シーヴァが今日はノエルと一緒に、エバーグリーンの葉を使ってクリスマスリースを作るんだ、って言っていたなぁ」
「……へぇ、そうですか……」
やはり、マリオンの反応は鈍い。
イアンはマリオンに聞こえないよう、こっそりと溜め息をつき、先を急いだ。そんな彼につられるように、マリオンの歩く速度も自然と速くなる。
住宅地を抜け、街で一番大きな広場を横切ったところでイアンは足を止める。
「着いたぞ」
イアンがマリオンを連れてきた場所――、そこは街の教会だった。
白い石畳で出来た階段の前にて、城壁のように高くそびえる黒い鉄柵の門が二人を待ち構えているようだ。
その門を潜り、教会の中に入ろうとしたマリオンを「中に入るのは、後だ」とイアンは呼び止め、「まずは墓参り」と教会の建物を越えて、更に奥――、小さな森かと思う程に、様々な種類の木々が無数に生い茂る墓場に案内した。
ごちゃごちゃに入り乱れて並ぶ墓石は緑に埋もれ、どれがどの家の墓石なのか、非常に分かり辛い。しかし、イアンは迷うことなく、すぐに目標を見つける。
「……イアンさん、もしかして……」
横を向いて片手を持ち上げている、小さな天使像の下の墓石には『ジニー・ノーラン(×××―×××)』『キャサリン・ノーラン(×××―×××)』と書かれていた。
「俺の、最初の妻ジニーと、ジニーとの間に生まれた娘キティの墓だ」
イアンがシーヴァとマリオンと出会う前に妻子を亡くしていたことを、マリオンは知ってはいたが、何が原因かまでは分からなかった。何となく聞いてはいけないと子供心に思っていたので、イアン本人には勿論、真相を知っていそうなシーヴァにすら尋ねることが出来なかったからだ。
「マリオンには話していなかったが……、ジニーとキティの死は、俺のせいでもあるんだ」
「……えっ?!……」
驚くマリオンに、イアンは弱々しい笑顔を向けながら、二人の死について語り出す。
風邪を引いた娘に、医者へ連れて行く代わりに咳止めで阿片チンキを与えていたら、薬の副作用で心臓麻痺を起こし、死なせてしまったこと。知らなかったとはいえ、自分のしたことが原因で娘を死なせたショックにより、目を放した隙に妻が首を吊って死んでしまったこと。
「もしもあの時、俺がもっと働いていれば、その稼ぎでキティを医者に診せることが出来たし、阿片チンキが危険な薬だと知っていれば、死なせることはなかった。ジニーをもっと気に掛けていれば、あいつは首を吊らなかった……。二人の死は、防ごうと思えば防ぐことが出来たんだ……。今でも、それは後悔している」
「…………」
「当時の俺は人生に、自分自身に失望していたよ。仕事で稼いだ金は、孤独と不安を埋めたいがために、毎晩娼婦を買うことに使っていた。あいつらが死んで三年経っても変わらず、そんな生活を送っていた。自分のような不甲斐ない男は家族を持つべきではない、とずっと思っていたんだ……」
「…………」
「でもな、マリオン。神様ってやつは、何処かで好機を与えてくれるもんだ。その証拠にシーヴァとお前に出会わせてくれて、血こそ繋がっていないが、こんな俺でももう一度、家族の温かさを得られたんだから。更には、また自分の子まで持てた、それも二人もな。だから」
イアンは、茫洋としているマリオンのコバルトブルーの瞳を強く見据える。
「ハルやイングリッドのことを救えなかったからと言って、自暴自棄になるのだけは止めろ。その代わり、また救うべき誰かがお前の前に表れた時は、同じ過ちを繰り返さないようにするんだ」
「…………」
「と言っても、お前はすでに人を救っているけどな」
「……えっ??……」
マリオンは半信半疑の様子で、イアンを見返す。先程よりも、瞳に生気が戻ってきている様な気がする。あと一息だ。
「まずはメリッサだろ。お前が家に匿っただけじゃなく、無事に別の街まで移すことが出来たし、クロムウェル党に暴行されて肋骨やられてでも、彼女の居場所を決して教えなかった」
「……でも、そのせいでイアンさん達が……」
「それだって、お前が助けてくれたじゃないか」
「……でも、それはランスが間に合ったから……」
「それより前に、お前が木材であいつを打ちのめしてくれていなければ、今頃は俺もシーヴァも子供達も殺されていた」
「……あっ……」
マリオンは思い出したように小さく声を上げ、そんな彼に「そうだろ、そうだろ??」と、悪戯っぽくイアンは笑い掛ける。
「マリオン、家族と恋人を守ったお前は無力なんかじゃない。そのことを忘れるなよ」
イアンの大きな掌で、サラサラとした銀髪をぐしゃぐしゃに撫でられたマリオンは瞳に涙を溜め、力一杯大きな声で「……はいっ!!……」と返事をする。少しはにかんだような笑顔を浮かべながら。




